第八幕:C
昔、そう……大昔に、
この「世界」が終わりかけたことがありました。
その時、その「世界」は完璧な状態で、
そこに住む人々の心の豊かさも、慈悲深さも、
何もかもが申し分なく、
彼ら二人も十分幸福らしい様子であるように見受けられました。
今度こそは、きっと――。
創造主さまも、主の遣わした対鳥も、
確かにそのように思っておったのです。
しかるに人間とは、かくも哀しき生き物かな。
些細なことで心はすれ違い、
些末なことが心のわだかまりとなって、
二霊はまたしても、
遂にまことの幸せを得ることなく、
そうして「世界」の外へと去って行かれたのです。
さて、残されたのは、
「世界」とそこに住まう庭の人々でありました。
お二方はよほど、お心苦しかったので御座いましょう。
白の鳥は、巨大な神殿を造り給うて、
黒の鳥は、慈しみの涙を落とされました。
「愛しき庭の子供たちよ」
「哀しき庭の子供たちよ」
「お前たちに、この箱庭が生き永らえる術を授けよう」
「お前たちに、破滅するこの箱庭を守る術を授けよう」
上がった幕もいつかは降りる。されど……、
幕が閉じぬ間は、決して芝居が終わることはない。
舞台に役者が上がり続けている限り、
決してこの庭が滅び去ることは、ない――と。
神殿に呼び集められた人々に、
主の対鳥はこのようにお言いになります。
そうして、その庭の人々は、
憐れむ遣い鳥との間に堅い約束を交わしたのです。
それは、遥かなる遠い記憶。
「世界」を「世界たるもの」として維持し続けるために、
鳥を仲立ちとして人々が、
箱庭そのものと交わした根源的な契約。
「また満ちるのか。悲しみの、偽りの……」
神官たちがさめざめと泣いております。
誰とも知れず、呟き声が殿内の空気を微かに震わしました。
古い約束が交わされました。
まだ人々が、一つの同じ聖なる言葉を操っていた頃の話で御座います――。
§ § §
とうとう、半月が過ぎた。
ミカゲはまだ、学校に来ない。
(きっと、大丈夫だよね……?)
三、四日、家を留守にすることなど別段珍しくはなかった。一週間、友達のところを転々としていたっておかしくはない。
第一、ミカゲと関係のあった人の中には大人の女性もいたと聞くから、そのうちの何処かで厄介になっている可能性もある。
不安は……ないといえば嘘になる。
けれど、以前のように恋い焦がれ、彼の爛れた人間関係に胸を痛めるといったことは少なくなった。いや、ほとんど無くなったといっても差し支えないだろうか。
その理由に、アキラは心当たりがあった(しかし断固として、その心情は許容しうるものではなかったが)。
「今はかなり大変みたいなんだ。近しい幹部メンバーから、ここが正念場だって聞いた」
「それって例のギメラ関連の?」
「詳しくは言えないけど、水面下で抗争が続いてるんだって。路地裏では小規模グループの小競り合いも起こってる」
「…………そう」
いつになく真剣な面持ちで語るモミジに、とりあえずアキラは用意したお弁当を手渡す。こんなことくらいしか、アキラが彼にしてやれることはない。
「アキくん、心配しないで?」弁当を受け取りつつ、モミジは優しく微笑を浮かべる。「ミカゲさんが危ない目に会うだなんて、万に一つもないよ。手練れの親衛隊も居るんだし」
「オレんとこより人数多いんだよー」なんて言って笑っているモミジに、アキラはふいとそっぽを向いて小さく、
「モミジは、危なくないんだよね……?」
「……ねぇ、それはどういう意味?」
刹那、モミジの顔から微笑みが消えた。
「どういう意味も……。そのままの意味さ。お前が傷つくことはないのか、という心配の――」
「やめて」
「――ッ!」
「お願い、やめて。オレのこと、そんな風に心配したりしないで。気遣ったりしないで」
「ど、どうしたんだ? どうしてそんなこと言うんだよ」
「…………」
「……おい」
「…………」
「……なぁ」
「………………」
「なんで黙ってるのさ」
暫く、屋上に沈黙が流れた。
ゆったりとした昼休み。憩いの時間を有意義に使おうと、グラウンドでは男子学生たちがサッカーなどに興じている。
時折、楽しそうな歓声が聞こえる中、アキラはただじっと、黙ってモミジの次の言葉を待ちわびていた。
「……何も、知りもしないくせに」
「…………」
だがそれ以上、アキラの期待した返答が得られることはなかった。
§ § §
〈Side K?〉
総長「ああ、分かってるさ。準備に抜かりはない。お前らの方こそ、手抜かりのないようにしておけ」
副総長『すでに七部隊を配備して御座います。次のシークエンスでは、更に八個部隊の編成が完了する予定です――』
副官A『第三から第六部隊は、すでにご自宅周辺にて待機しております。第一及び第二部隊には〈シャンバラ〉の警備を、第七部隊は工作と後方支援を命じております――』
総長「なにが〈シャンバラ〉だ。単に監禁のための廃工場だろ。いちいち大層な呼称を」
副官B『ですが、秘密の暗号名を付けよとお言いになったのは、総長ご自身です――』
総長「うるさい黙れ」
副官A・副官B『…………』
副総長『まあまあ、話を戻しまして。最終報告、七部隊三十五名、総長閣下のご命令一つで速やかに実力行使可能です――』
総長「……よし」
副官A『総長、親衛隊はいかが致しましょう――?』
総長「……分かっている。……おい、聞いているな」
親衛隊長『はい。ここに御座います――』
総長「もしもの時あらば……。その時は俺が動くやもしれん。最後は貴君らだけが頼りだ」
親衛隊長『勿体なきお言葉です――』
一同『我ら〈グリム〉一同、黒き御使いの御為に――』
総長「…………期待している。以上、交信終了」
『――――…………』
§ § §
今にして思えば、まったく馬鹿な真似をしたものである。
しかしその時とっさに、彼の手を掴んでいた。
そうして次の瞬間には勢い良く、駆け出していた。
刹那、昼休みの終わりを告げる予鈴がけたたましく鳴り響く。
屋上のフェンスを乗り越えて、二人は渡り廊下の屋根へと飛び移った。
すぐ頭上では男たちの怒鳴り声が聞こえる。きっと見張り役の不良たちなのだろう。
不審な様子をいぶかしんで、屋上に突入して来たに違いあるまい。
「〈目標〉が逃げたぞッ!〈対象〉も一緒だ!」
「〈カマエル2〉は本部に連絡! 手近の部隊は追跡隊に加われッ」
「何をしている、追え追え! 逃がすなッ!」
怒声を背に受けつつ、アキラは走り続ける。
「アキくん、ねぇ……」すぐ後ろで声があったが、無視した。
絶対に諦めない。この手を放してなるものか。
「情けない……声、だなぁ!」
再び飛び降りて、二人は草むらの上に着陸する。制服が葉っぱとクモの巣だらけになったが、幸い足はぐねらずにすんだ。大丈夫、走れる。
「だ、だってー」
口をへの字に曲げて、今にも泣き出さんばかりのモミジは、それでもアキラの手を離すまいと固く握っている。
勿論、アキラもそれに応じつつ、
「僕は信じてるよ。行こう、二人で、行けるところまで」
少し息を整えて言う。
「アキくん、オレは……ね、本当は――」
「いたぞッ!」「あそこだ!」
刹那、頭上で声がする。
アキラはモミジの言葉を遮って、駆け出した。
何事かと野次馬の生徒たちがわらわらと集まって来る。追跡の連中のたじろいだ気配を感じて、しめたものだと、アキラたちはその輪の中に紛れ込む。
そのまま走り去って、追っ手との距離を取った。
モミジは自身にかけられた嫌疑のショックがかなり大きいらしく、今は完全に失意の中にあるが、勿論アキラはモミジを信じている。
なぜだか心中に、彼への疑いの気持ちがまったく湧かないのだ。
根拠など別に要らなかった。
「ありがとうアキラ。オレのこと、疑わないでいてくれて」
「なに馬鹿なこと言ってンのさ! もう黙ってて!」
「…………うん」
こんな状態で、まともに闘うなんて無理だ。
傘下と言っても、チーム全員がモミジの元から離れるわけではないはずだから、とにかく副総長さんたちに連絡を取って体勢を整えよう。
とにかく今は身を隠すしか。しかし、そんな場所が都合良く見つかるわけ――。
(あそこしかない、か……)
幼い頃、ミカゲと遊んだ思い出の場所――。
〈第八幕:C 終〉
もう少しで終わる予定です。




