怖い話
暑いねー、7月の前半は涼しかったけど後半になったら暑くなって寝苦しい夜が増えて来た。
寝苦しい夜を乗り越える手段の一つに怪談話ってのがある。
怪談話をしてあげたいが私自身その手の物が駄目なんだわ。
それでだ、怪談では無いけど怖い話を聞かせてあげよう。
東日本大震災、君達の中にも怖い思いをした人はいると思うけど。
あ、違う、違う、震災が本題じゃないから。
あの震災のせいで私は失業しちゃってね、失業保健を貰えたので暫く家でテレビを見ながらのんびりしていた。
そうしたら震災や原発事故で東京の方へ避難している福島県人に向けて、汚染者は来るなとか帰れとかの罵声を浴びせた奴がいるとニュースキャスターが話している。
これを聞いて、昔学生の頃住んでいた東京多摩地区の市役所に掲げられていた看板を思い出した。
看板にはこう書かれていた。
「非核宣言都市」とね。
その看板を見て人の故郷に原子力発電所を押し付けておいて自分達は非核宣言だと、そういう事を言うのなら原子力発電所で発電した電気も使用するなって思った事も思い出した。
それで私は東京の人たちにも放射能の恐ろしさを体験してもらおうと考えたわけさ。
車にスコップと土嚢袋それに放射線測定器を積み込んで事故を起こした原子力発電所に向かった。
警戒している警察官達の目を掻い潜り砂浜でホットスポットを見つけ、その場所の砂を車に積み込む。
積み込んだ砂を東京の学校や公園の砂場にばら蒔いた。
10数回往復したかな?
10数回目を終えた帰路、バックミラーを何気なく見たら鼻血が出ているのに気がついた。
これが止まらないんだわ、ティシュを鼻に突っ込んでも上を向いて安静にしていても止まらない、仕方なく近くの総合病院に向かう。
病院の検査室に連れていかれ血をたっぷり抜かれた後、廊下で検査結果を待つ私の耳に検査技師の叫び声が聞こえた。
「何じゃこりゃ! ありえねー」
検査室に医者や看護師さん達が慌ただしく出入りしたあと私は大学病院に移送され隔離される。
大学病院で放射能防護服を着用した医者に聞かされた話では、私の身体は放射能で汚染されているとの事だった。
考えたら当たり前だよね、砂を採取するとき防護服を着用する事も無く放射能で汚染された砂が入った袋と共に長時間一緒にいたのだから。
説明を受けたあと警察や医者に根掘り葉掘り色々質問されたけど、その頃には私の意識は混濁していた。
混濁した意識の奥底にあったのはこの話は墓場まで持って行かなくてはならないって事だけだったな。
え、話しているじゃないかって?
墓場までは持って行ったんだよ、本当に。
それなのに話しちゃった理由はね、今、凄く暇なの。
灰になった後も放射線の濃度が高すぎて、鉛の骨壺に入れられ鉛とガラスで覆われた墓に隔離されているから。
別に嘘だと思ってもいいよ。
日本のお巡りさんって優秀だから私の行った事は解明済みだと思う。
あなたが東京に住んでいるのなら、ここ数年の間にあなたの周りの公園や学校の砂が総入れ替えされていないか調べて、されていたらその理由も調べてみると良いのではないかな。