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秘密が見える目の彼女

作者: 黒田なぎさ


 人に隠しておきたいこと、恥ずかしいこと、誰にだってあると思います。つらいできごとや、消してしまいたい過去だって。

 私は人の目を見ることで、それがわかってしまうのです。どうしてこんな力があるのか、全くわかりません。おかげでたくさんひどい目にあいました。単に、若いころの恥ずかしい失敗を見るだけだったらいいのです。違うのです。一見優しそうな人が、裏で残虐なことをしていたり、尊敬している人が、裏で悪事に手を染めていたり……。私のことを、陰で罵っている人もいました。そのひとつひとつ、細かな表情や色彩まで、私は目に焼きつけることができるのです。

「私はもう誰とも、心の底から仲良くなれない」

 私はなるべく、クラスメイトと話さないように努めました。将来、友達どころか、きっと恋人だって、結婚だってできないでしょう。見るだけでパートナーの隠したいことがわかる女なんて、嫌すぎます。家族ですら私を気味悪がっています。

 おそらく私のことをわかってくれる人なんて、この世にいないのです。



 ***** 


 杉本めぐみは、おかしいところがふたつもある女だ。

 ひとつは、普段はおとなしいのに、かけている眼鏡を外すとおしゃべりなバカになること。もうひとつは、眼鏡をはずした目で人の目を見ると、相手が恥ずかしいと思っている過去を、見ることができること。


  

「ここに置いてあった財布がない……」

 女子生徒はポツリとつぶやいた。その声は休み時間中の、騒がしい教室のなかで静かに響き、何人かの生徒の視線が集まった。

 俺は教室の端の席でスマホをいじりながら、そのやりとりを横目で見ていた。

「えー、家に忘れてきたんじゃない?」

「ううん、さっきの数学の時間まではあったの。音楽の授業で教室移動したときに、持っていくの忘れちゃって……」

 まわりの女子生徒が、床や机のまわりを探す。そのとき、別の誰かが余計なことを言い出した。

「中居くんが音楽の時間、教室に残ってたよ。聞いてみたら?」

 ちら、と女子集団の視線が俺に集まる。俺は机の上に座って、スマホを見るふりをする。

 しばらく気づかないふりをしていたが、やがて視線に耐えられなくなって、俺は女子集団の方に向かって首を振った。

「知らねえ。俺じゃねえよ」

「別に疑ってるわけじゃないわよ。教室に他に誰かいなかった?」

「俺以外、いなかったね。なくしただけだろ」

 それでも、女子生徒たちは納得していない表情を崩さなかった。

「なんだよ、俺を疑ってんのか? 俺じゃねえ!」

 俺は急にイラついてしまって、叫んで教室を出てしまった。

 やりとりをしているあいだ、目の端で、別の女子生徒が俺を見つめているのがわかった。

 眼鏡をかけた黒髪の女子生徒。

 いつもは長い前髪で見えない黒い瞳が、急にはっきり見えるような気がした。

 

 なんとなく教室にいたくなかった俺は、午後の数学と英語の授業もさぼった。隠れ家である、木造旧校舎の美術室で煙を吐く。ブレザーを脱いでそのへんの机にひっかけ、買ってきたドリンクをちびちび飲む。

 簡単に言うと、俺は不良ということになるんだろうか。俺は単に、学校というシステムがめんどくさいと思ってるだけだ。だが、今はすべてがどうでもよかった。

 コンコンコン、と廊下から扉をノックする音が聞こえた。俺は座っていた机からずり落ちそうになった。誰かが近づけば、古い廊下から足音が聞こえるはずだった。それがなかったものだから、俺はあわてて煙草を携帯灰皿に隠す。

「こんにちは、中居くん」

 ガラリと扉を開けて、杉本めぐみが姿をあらわした。このときの彼女の姿は忘れられない。肩までの黒い髪が、いつもより跳ねている気がする。なにより、トレードマークの黒縁の眼鏡をかけておらず、いつもはよく見えないまんまるの目が、きりっと光っている。

 1対1で彼女と言葉を交わすのは、おそらくこれが初めてだった。

「なんだ?」

「やっぱりここでさぼってんのね。あーんもうタバコのにおい、嫌いなのよ」

 杉本めぐみは手で振り払うような仕草をし、ぼろい教室の中に入る。

「何か用か?」

「ちょーとおしゃべりしようかと思って。さっきの教室での話」

 彼女は俺からふたつ離れた机に、跳び乗るように座った。

「……きみも俺を疑ってるのか? 移動教室のあいだ、ただ授業さぼって教室にいただけで、財布パクったって言うんだな。どうせ俺がそうしそうだって言いたいんだろ。疑いたきゃ、疑えよ」

 疑われることには慣れているが、とにかくひとりにしてほしかった。

 めぐみは俺の言葉を無視して、右手の指で輪をつくり、輪の中から俺をのぞきこんだ。

「あたしね、こうやってすると、人の隠してることがわかるの」

 俺は明後日のほうを向いた。


 

「そりゃすげえな。関係ないけど、きみってそんなキャラだったか? もっとおとなしい子だと思ってた」

「ふふ、今はね、あたしはあんたの知ってる<杉本めぐみ>じゃないの。あたしのことはメグミちゃんって呼んでね。それか『最高にかわいくてきれいでキュートなメグミ様』。あーんかわいい」

 <メグミ>は両手を頬に当て、勝手に恥ずかしがっている。

「……めぐみさんの、双子ってことか?」

「ちがうちがう。こんなヤバイ力があるからね、あんたがひそかに惚れてる<めぐみちゃん>は、いっつもオドオドしてて、目を伏せてて、人と目を合わせようとしないわけ。相手のイヤ~なところがわかっちゃうからね。だから、この力を使うときは、あたしが代わりに出てくるの。二重人格ってやつ?」

 メグミはまた指で輪っかをつくり、目にあてて俺を見つめた。

「ひとつテストしようか? あんたが隠してる恥ずかしいこと、あててあげる」

 俺はドリンクのストローを口に運び、彼女の動きを見ていた。

「あんたはもうひとりのあたし、<めぐみ>のことが好き。めぐみの誕生日に勝手にプレゼントを用意したこともある。プレゼントは近くの本屋さんでラッピングしてもらった文庫本。でもどうやって渡そうか考えているうちに、結局渡せなくて本を捨てちゃう。

 家ではめぐみちゃんを想像して――うわ、そんなことまでしてんの」

 あやうくドリンクを吹き出しそうになった。俺は自分の考えていることが読まれたようで、シャツの上から胸をかきむしる。

「おまえ……ぶっ殺すぞ」

「ほら、当たってるでしょ?」

「当たってるかどうか、言うわけないだろ。当てずっぽうで言ってるかもしれねえ。もっとすごいもん当てろよ」

 メグミはくるりと指で輪をつくり、輪の中から俺を見つめる。

「じゃああたしの目を見て」

 俺は横目で、メグミの目をちらっと見た。くりくりした目。普段はメガネと前髪で隠れていて、俺は彼女の目を見たことがなかった。俺の動きを見逃すまいとするように、彼女は俺の目を見つめている。

 しばらく、沈黙があった。俺はちらちらと視線をそらしながら、それでも彼女の目を見つめずにはいられなかった。彼女が石像のように動かず、真剣に俺を覗いていたからだ。

 叫びたくなるような、しんとした教室。グラウンドから体育の授業を受ける生徒の声が聞こえる。

 ふと気がつくと、メグミの手が震えていた。桃色の唇が小さく開き、眉をきゅっとひそめている。俺はだんだんと怖くなってきた。

 メグミは手を下ろしてひらひらと振った。

「あ、ごめん、まちがえた。まさかこんなのが出るとは思ってなくて」

 彼女は気まずそうに俺から目をそらし、床のほうを見つめた。見られていたときはきつかったのに、そう視線を外されると、それはそれで傷つく。

「何が出たんだ?」

「あんたの家族のこと」

 一瞬、心臓に釘を打ちこまれたかと思った。

 もしかして、まさか、な。

「……確かに、そりゃ隠しておきたいことだな。何が出た?」

「……たぶん、あんたのお父さんがお母さんを、殴ってる。で、お母さんも、小さいときのあんたを殴ってる」


 これが偶然なのかどうか、俺にはわからなかった。彼女がカマをかけた? それとも彼女が、俺の家を監視していた?

「へ、なんだそりゃ……そんなわけねーだろ」

 俺は苦笑して、首をふろうとした。そんなわけがない。

 また沈黙が降りた。結果としてそれが、彼女の言ったことを認めることになった。

 つまり、彼女の能力を。

「ごめんね。こんなことするために来たんじゃないの」

「うるせえ。帰れよ」俺は彼女の姿が見られなかった。もう横を見ることすらできない。

「ごめんって。さっきの教室の事件、あんたがやったんじゃないんでしょ?」

 俺は目をとじて唇をかんだ。完全に当たっていた。俺にとって誰にも知られたくないこと。俺が一番恥ずかしく思っていること。俺の家のこと。めぐみさんに一番知られたくないこと。

 メグミは両手を合わせた。

「ごめんってば。あたしがなんでここに来たかわかる? あんたと話そう、って言い出したのは、あっちの<めぐみ>なの。あんたが濡れ衣着せられるの見たくないからって、勇気出してここに来たの。直前であたしと入れ替わっちゃったけど、あんたを助けたいって言って――」

「だったらどうして俺と直接話さねえんだよ! 俺がクソみたいな家の生まれだからか!?」

 俺は激昂した。メグミの体が小さく跳ねる。

 彼女が俺を気づかってくれているぶん、それが悲しかった。



 驚いたメグミは、ポケットからメガネケースを取り出した。俺から視線をそらし、両手で黒ぶちのメガネをゆっくりと装着する。長い黒髪が大きく揺れた。

 また、メグミの手が震えだした。

 いや、彼女はメグミじゃない。

「……ごめんね、中居くん」

 もうひとりの<めぐみ>さんは、震える声で言葉を吐き出した。髪が邪魔をして、彼女の表情は見えない。しばらくして、すすり泣きが聞こえてきた。

「ごめんね……中居くん。私、怖くて。中居くんのこと、じゃないよ。私、いままでいろんな人の過去、見てきてね。ひどいのもあったの。見たくなくても見えちゃって、耐えられなくなっちゃうの。

 ごめんね、中居くんのこと、勝手に見ちゃって、ずるいよね。ごめんね……」

 俺はさっきまでの怒りがすっぽりと抜けていた。かわりに慌てた。いきなり目の前で好きな女の子が泣き出したら、誰だって慌てる。ただすぐに謝るのもばつが悪かった。

「いや……わりぃ。俺も悪かった。ってか、俺の過去なんかいくら見てもいいけどさ、ロクなもんないよ。情けねえ家のことしかないし」

「……でも、一番に見えたのが、中井くんが悪いことしてるのじゃなくて、よかった」

「まあ、悪いこともしてきたけどさ……俺、バカだし」

 めぐみさんは真っ赤な顔のままこちらを向き、少しだけ笑顔を見せた。俺もほっとして苦笑する。

 彼女はハンカチを取り出し、メガネを外して涙をぬぐった。ああ、こういうときに出せるハンカチを用意しておくべきだ。俺は自分の頭をはたく。

 めぐみさんは顔を上げて、うーんと伸びをした。嫌な予感がした。

「あースッキリした。さすがはめぐみちゃんだわ。涙いっぱつ」

「なんでおまえに戻るんだよ」

 俺は伸ばそうとしていた手をひっこめた。もとに戻った<メグミ>は、笑いながら手の甲で目をこすっている。

「こうしないと話が進まないでしょうが。やーね、<めぐみ>になったとたんデレデレしちゃって」

 うるさい、と俺は机に座りなおす。あんなおとなしい女の子にとっては、俺と話すのも怖いものなのだろう。メグミとめぐみさんは性格が違うが、顔はだいたい一緒である。

「じゃ、話を戻しましょ。教室での財布盗み事件、あんたの無実を証明するの」


 *****


 俺は頭をかいた。

「無実を証明するっつったって、どうするんだよ。あんたの力、そんなに広範囲に使えるのか? かたっぱしから生徒全員に、『あなたが財布を盗みましたか』って聞くのか?」

「するわけないでしょ、そんなめんどくさいこと」

「だったらどうする。あんたの力があっても迷宮入りだぞ」

 メグミは馬鹿にしたように首をふる。

「なんかあんた、犯人を探すのは無理って言ってるみたいね」

「そうは言わねえ」

「あたし、もう犯人を知ってるのよ」

「はぁ?」

 俺は眉をひそめた。だったらなんで俺んとこに来るんだよ。

 メグミは指をOの字にして、俺をのぞきこむ。

「あんた、あたしにまだ隠してることあるでしょ」

「なにも隠してねえよ」俺は目をそらした。

「うっそ~。パソコンであんなエッチな動画も見るし、メガネをかけた子が好きなんでしょ? あ~めぐみは危ないわ。あんなんでオカズにされちゃって」

「頼むからやめてくれそれ」

 メグミはケラケラと笑う。

「でも。隠してることはあるでしょ。あんたは確かに財布を盗んでない。

 けど、あんたは財布を盗んだ犯人を知っている」


 少しだけ、沈黙がおりた。

 その時間は、俺が、なんて返事するのが自然なんだろう、と考えた時間でもあった。

「なんで、そうなるんだよ」

「あんたは財布が盗まれたとき、つまり教室にだれもいないとき、廊下から教室に入ろうとした。そのとき、教室から慌てて出てくる誰かを見てしまった」

「それもあんたの能力で見たのか?」

「ううん、あんたが最初、あたしとこの話をしようとしたとき、やたらと『俺を疑え』って言ってたでしょ。はじめはヤケになったのかなって思ったけど、違った。あんたは犯人をかばってる。

 教室でおおげさに『俺じゃねえ』って叫んだのも、自分を犯人にするためでしょ?」

 彼女は腕を組んで、俺の表情を見逃すまいと見つめている。

 ……こいつほど、ウソが効かない人間もいない。

「別にあたしは、誰をかばってもいいけど、あたしの前で変なお芝居はやめてよね」

 俺はため息をついた。大きくかぶりをふる。

「……あいつが財布を盗んだ理由は、わかんねえ」

「同じクラスの子?」

 俺は頷いた。天井を仰いで目を閉じる。

「なんでその子をかばってんの?」

「……あいつはバカなダチだ。けど、俺の家のことを知っても、俺をバカにしなかった。むしろ、俺のことを気づかってくれた。それだけだ」

 俺は携帯灰皿をとりだし、まだ半分以上残っている煙草をくわえた。

 あいつ、なんであんなことしたんだろう。

 メグミはかくんと肩を落とした。

「信じてる人の、嫌なところを見ちゃう気持ち、わかるけどさ」

「……まだあいつが犯人だとばれていなかったら、あとで自首をすすめに行く。それでいいか?」

 メグミはやや間を置いて、うなずいた。



 ****


 メグミは手を2度叩いて、これで終わり、というふうに手を組んだ。

「あんた、意外と友達想いなんだね。意外だわ~」

「うるせえ、おめえに問い詰められなきゃ、バレずに終わってたのによ」

「あんたがかばってたこと、あたしは黙ってるから、代わりにあたしの力のことは誰にも言わないでよね」

「こんなこと言っても誰も信じねえよ。人の秘密がわかる力、なんて」

 そう言って隣を見ると、メグミが今まさに、黒ぶちの眼鏡をかけようとしていた。

 俺はとびあがって煙草をしまい、姿勢を正した。人格がコロコロ変わるのはやめてほしい。

「……ありがとう、中居くん」

 メグミとは違う、凛とした声が耳に届く。<めぐみ>さんは微笑んだ。

「……本当はね、メグミちゃん、ずっとまえから、中居くんと話そうって言ってたの」

 俺は眉をひそめた。

「ずっと私、自分の力のこと、誰にも言えなかったんだけどね。中居くんになら言ってもいいんじゃないかって。

 中居くんなら、私たちのこと、気味悪く見ないんじゃないかって。その……不良だけど、そのぶん、悪いことを許してくれそうだから」

 彼女は恥ずかしそうに微笑む。俺は喜んでいいのかどうかわからなかったが、とりあえず、別に彼女らを嫌悪するつもりはなかった。これはめぐみさんが、一応俺のことを、気の置けない人だと認めてくれたのだろうか。

 俺は彼女の大事な秘密を知った気がして、少しうれしくなった。これから裏で恥ずかしいことはしない。たぶん。いやきっと。



 

 めぐみさんはもう一度メガネを外し、俺を指差した。

「ねえねえ、あたしさ、この能力使って探偵やろうと思うんだけど。あんた助手になんない?」

 イヤに決まってんだろ、と俺は<メグミ>の目をにらんだ。

 それが俺のできる誠意の見せ方だった。


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