第四話 黒い訪問者
ようやく話が動き始めます。
……意識が思考の海から、ゆっくりと浮かび上がる。
焚き火のパチパチと鳴る音が、野営地の深夜の静寂に沈んでいく。
どれくらいの時間、愚にもつかない考えに耽っていただろうか。
まあ如何程の間でも構うまい、未だ朝には遠い。
俺にとって、独りで居られる唯一の安息は続くのだ。
そんなふうに思いながらも、心の何処かで、朝になったら世界が入れ替わってしまわないだろうか、と願っている自分を見つけてしまう。
ハヤト・ハザマという男の存在しない世界に。
そして、そう。
あの頃のように、俺だけに微笑みかける、銀色の輝きを幻視してしまうのだ。
――どうしたんですか、ユウヤさん?何だか酷いお顔をしていますよ?――
――ああ、何でもない。ただ少し、そう少し悪い夢を見ていたみたいだ――
……俺という男は、何処まで情けない、惨めったらしい人間なのだろうか。
そんな事は起こり様が無いと、誰より自身が理解しているというのに。
彼女の心は、既にこの身を離れてしまったのだから。
(このまま王都まで同行せず、何処かで別れるか)
真なる勇者の凱旋、そして仲間達との――クロエとの結婚。
そんな場面に付き合う必要が、果たしてあるのだろうか。
偽勇者として侮られ、軽蔑されている身であっても、勇者パーティーのメンバーとして、何らかの栄誉を賜る事は出来るだろう。
一応、公式に宣言されたのは、俺を勇者としたのは間違いだった、という事だけで勇者を騙った偽者とまで言われた訳ではない。
対魔連合からも、正式な真なる勇者一行のメンバーとして認められている。
凱旋式で俺が与えられるであろうもの。
爵位、領土、金銭。
そんなものに、何の意味があるというのか。
王国以外の国であれば、俺の顔も権力者以外にはそんなに知られていない。
この世界、ウルタールはアジア人的な顔立ちの人間も普通に居る。
偽勇者とさえバレなければ、問題なく暮らして行けるだろう。
全てに背を向けて、完全に独りになる。
俺という、負け犬に相応しい結末では無かろうか。
(もう、流石にいろいろ疲れたしな)
…………
「いや、良い夜ですね」
唐突に、暗闇から話し掛けられた。
焚き火の明かりが、辛うじて届くかどうかという位置。
黒い――男が立っていた。
深夜の闇よりもなお仄暗い。
それはまるで、夜の野営地を黒く刳り貫いたかのよう。
(これ程近づかれるまで、何故気が付かなかった!?)
偽勇者を始末しに来た、暗殺者の類だろうか?
浮かんだ考えを、直ぐさま打ち消す。
――人である筈が無い。
此処が魔王の居城に遠くない魔族領であるとか、そんな事は一切関係なく。
何故か確信を持って、そう言い切れる。
「……貴様は、何なんだ」
「勿論、魔族ですよ、勇者殿。ええ、魔族ですとも。それ以外の何であると?」
「俺は勇者じゃない」
黒い男の巫山戯たもの言いの中でも、一番引っかかった言葉を即座に否定する。
「残念だったな、黒い魔族。俺は偽者の方だ」
自棄になってそう言い放つ。
「ええ、ええ、よく存じ上げておりますとも。最も、わたくしの認識では、勇者というのは貴方様だけなのですが」
「最近いらした聖剣の方、あれを勇者とは思っておりませんので。……アナタもそうではありませんか?」
「……わからないな。お前達の仲間を次々と倒し、遂には魔王まで討ち滅ぼしたのは全部あいつだぞ」
魔族の中での勇者の認識に、多少困惑する。
こんな得体の知れない相手と、普通に会話している現状を含めて。
「わたくしはこの十一年間、貴方様をずっと観てきたのですよ、勇者殿?」
「聖剣、聖剣?聖剣!確かに凄い、凄まじい。魔王様が討たれたのもなるほど、納得ですとも」
「ですがね、ええ、わたくしとしましては、彼を勇者と認めるには、いささか抵抗がありまして」
「脆弱なヒトの身でありながら、何度も泥を啜りながらでも、我々に抗い続けてきた貴方様にですね」
「ある種の尊敬といいますか、敬意のような思いを抱いているわけなのです」
「……そいつはどうも。有り難過ぎて泣けてきそうだよ」
少しの本心も紛れ込ませ、そう答える。
黒い男、普通のそれとは到底思えない、やけに饒舌で風変わりな魔族。
だが、可笑しな事に、これだけ楽しげに喋っているというのに、その不気味さは微塵も薄まらない。
必死に冷静を装ってはいるが、男が現れてから冷や汗が止まらないのだ。
(俺では、恐らく勝てないだろう……なら、ハザマであれば倒せるのか?)
ハヤト・ハザマ、魔王さえ容易く屠った聖剣を持つ勇者。
で、あるのにも関わらず、目の前の黒い男を倒せる気がしないのは、一体何故なのだろうか。
(……いや、俺に強者の本当の強さなど判る筈も無い、多分気のせいだ)
ふと、理由もわからず、この魔族の姿がもっとはっきりと見てみたくなった。
相手に合わせて、稚気を交えた提案をしてみる。
「もう少しこっちにこいよ。そんなに遠くちゃ話し辛いだろ。火にあたりながら話そうじゃあないか?」
「いえ、お気持ちはうれしいのですが――ご遠慮させていただきます、ええ」
「実はわたくし、恥ずかしながら火が少しばかり苦手でして」
「……そうか、そいつは残念だ」
これ程の魔族が、焚き火など恐れるのだろうか。
いや、そんな筈はなかろう。
何か、此方へ近づきたくない訳でもあるのだろうか。
相手にその姿をハッキリ認識されると、力が削がれるのか?
推論の域は出ないが、そう考えると割としっくりくる。
「で、そろそろ本題に入ってもらえるか?単なる魔王の仇討ち、ってわけじゃあ無いんだろう?」
普通に考えれば、その可能性が一番高い。
だが俺には、黒い男の目的が、単独での仇討ちなどとは少しばかり違うような気がしていた。
「ええ、そうですね。わたくしも、そうした方が良いと思っていたところでして。実はここだけの話、勇者殿に素敵なご提案をと思い、伺わせて頂きました次第なのです」
「聖剣の彼――ハヤト・ハザマの居ない世界に、ご興味はありませんでしょうか」
何か怪しいのが来て沢山喋りはじめました。