強くなければ生きていけない
コウサクを囲む大剣使いと魔術師。
真っ先に動いたのは大剣使いだった。
上段からの大振りの一刀。屋内の空気を裂きつつコウサクへと迫る。
対してコウサクはそれに片手を上げて応じた。
大剣使いはその反応に内心で失笑した。
所詮、魔物討伐も満足にできない腰抜け。素人同然の反応。そう思ったのだ。
しかし・・・
コウサクの腕は大剣をすり抜けるようにそれを受け流した。
コウサク以外は知る由もないがそれは空手の上段受けであった。
緻密な腕の角度と前腕に回転をかけながら掲げられた腕は正面から攻撃を受けず、むしろそれを逸らし、受け流す。
そして受けとはけっして受けだけに終わらない。
使いようによってはそれはそのまま攻撃の手へと変化する。
大剣を受け流した腕はそのまま止まることなく大剣使いを襲う。
堅く握られた拳、それは真正面から大剣使いの鼻へと直撃した。
カウンター気味に叩き込まれた拳が大剣使いから大量の鼻血を吹き出させる。
たかが鼻血などと馬鹿にはできない。
大量の鼻血は鼻による呼吸を阻害する。加えて、鼻を強打されれば大の大人であっても意思とは関係なしに涙が溢れ出る。そうなれば一瞬とはいえ視界は半ば閉ざされたも同然であった。
そしてその一瞬。それは戦いの中にあっては生死を分ける一瞬にもなり得る。
痛みに喘ぐ大剣使いを更なる痛みが襲う。
猛烈な痛みと気だるさを伴ったその一撃。金的蹴りであった。
どれほど鍛えた大男であれ、男である以上この激痛は克服できない。
あまりの痛みに一瞬今が戦いの場であることすら忘れ、大剣使いは前のめりになる。
それが最後だった。
痛みを訴える口が強制的に閉ざされる。
閉ざされるにとどまらず、そのまま押しつぶし、そして砕かれる。
振り上げの肘打ち。
前のめりになった大剣使いの顎目掛けて、全身のバネを利かせた肘を叩き込んだのだ。
今度は痛みも感じない。顎を粉微塵に砕かれ、そのまま大剣使いの意識は闇へと沈んだ。
まずは一人目。
しかし、コウサクは休まない。すぐさま次の敵・・・魔術師目掛け疾風の如く駆ける。
魔術師は驚愕したような顔でコウサクを見ている。
しかし、丁度詠唱を終えたのだろう。彼の周りには既に人の頭ほどの大きさの三つの火球が彼を守るように宙に浮いていた。
炎弾の魔術である。
魔術師は驚愕のまま火球を放つ。
対してコウサクは走りながら身を守るようにコートの袖で顔を隠しながら疾駆する。
愚策。
魔術師はそう思った。
しかし、その予想は裏切られた。
コートに着弾し、そのまま燃え広がるかと思われた火球はコートに着弾するや程なく消えうせた。
驚きつつも二発目を放つ。
それも着弾しながらもすぐに掻き消える。
三発目を放とうとした時、既にコウサクは目の前に居た。
直後、魔術師の視界が暗闇に閉ざされる。
コートを脱ぎ、覆いかぶせたのだ。
視界を閉ざされ目標を見失った火球があらぬ方向へと飛びそのまま掻き消える。
しかし、それを魔術師が見届けることは叶わなかった。
視界を閉ざされるや否や重い衝撃が彼を襲う。
猛烈な吐き気、そして気絶することすら叶わぬ激痛。
魔術師にもはや戦意はない。陸に打ち上げられた魚の如く、もだえ、身を捩り、ただただ必死で空気を求めた。
至近距離からの前蹴り。
肋骨の下から掬い上げるように蹴られたそれは、その衝撃をダイレクトに内臓へと伝える。
床を転げまわる魔術師。
そこに救いの手・・・いや足が差し伸べられた。
コウサクの踵が魔術師の頭部へと踏み下ろされる。
一瞬の衝撃。しかしそれは腹部の地獄のような激痛に比べればいっそ心地よくすらあった。
魔術師はその快楽に身を委ね、大剣使い同様その意識を手放した。
ここまで僅か数秒。
治療師の驚きと恐怖で腰を抜かしている。
コレットは信じられないものを見たかのように呆けている。
ジャンでさえその光景に目を見開いていた。
「てめぇ・・・一体何しやがった・・・」
「何って・・・見ての通りさ。言っただろう?野良犬退治は得意だって。」
マツムラ コウサクは異世界人である。
この世界には時折、異世界からの迷い人が訪れることがあるのだが、彼もまたその一人である。
そして、迷い人の中には時に絶大な魔力、神がかり的な力を持つ者も現れるが・・・生憎のところコウサクはそういった特例には該当しない。
コウサクの能力は極めて平凡なものであった。
魔力はあるがそれも人並み。その上、その取り扱いもけっして巧みとは言えない。
まともに使えるのはごくありきたりな身体能力の強化程度である。
従って身体能力も一般人相手ならまだしも冒険者達を相手にするにはけっして突出した能力とはいえない。
ならば、何故丸腰のコウサクが二人の冒険者を圧倒的に打倒しえたのか。
それは強いて挙げるならば、彼の『ハードボイルド』趣味にこそあるのかもしれない。
コウサクは己が『ハードボイルド』であることを常に課している。
そして彼の考える『ハードボイルド』とは何か。
挙げていけばキリがないがそれでも何か一つを挙げるとすれば、それは何よりもまず『タフ』なことである。
『ハードボイルド』な男とは常に『タフ』・・・強くあらねばならない。それがコウサクの信念だった。
その証拠に大抵のハードボイルド作品の主人公は腕っ節が強い。
少なくともその辺のチンピラに負けるようでは到底『ハードボイルド』などとは言えない。
無論、コウサクは『タフ』になるべく努力した。
空手を始め、合気道にボクシング・・・一時の彼は寝食を忘れるほどにそれらに没頭した。
その結果、そんじょそこらの腕自慢では及びもつかない程にそれらの技術に習熟したのだ。
その証拠に一時期は本気でプロを目指さないかと周囲に熱望されたこともあった。
・・・・・・もっとも、まさかコウサクが『ハードボイルド』に成る為・・・なんて理由で腕を磨いているとは誘った人々は夢にも思わなかったろうが・・・
その後、ひょんなことからコウサクは異世界へと迷い込むこととなった。
身寄りもこの世界で生きるこれといった技術や知識も思い当たらないコウサクが生きる術として冒険者という道を選んだことはさして不思議なことではなかったかもしれない。
しかし、コウサクもまた何も考えなかったというわけではない。
考えたのは自分の適性だ。
この世界には魔人や魔物といった人間の敵が当たり前のように存在する。
そんな中で自分は冒険者として果たしてやっていけるのか?
・・・無理ではないだろう。しかし、けっして簡単な道でもない。
冒険者として成功している人間の特徴。それは実に単純明快であった。
体格、力に優れ巨大な魔物相手でも力負けせず渡り合える猛者。
強大な魔力を持ち、強力な魔術で眼前の敵を粉砕できる魔術師。
大雑把に言えばそのいずれかであった。
それに対してコウサクはどうか。
残念ながら、彼にはどちらの素養もなかった。
強いて適正を挙げるなら前者であろうが、それでも人より突出していると言えるほどではなかった。
彼は考え、悩みながら冒険者稼業を続けた。
そしてある時、ふと気が付いたのだ。
それはギルド備え付けの訓練場でのことであった。
自身の鍛錬を終え、休憩がてら他の冒険者の訓練風景を見ていた。
見ていたのは冒険者同士の模擬戦であった。
その時戦っていたのは当時ギルドでも名の知れた腕利きの二人だった。
訓練とはいえ、腕利き同士の模擬戦の迫力は凄まじく、見物人は皆熱狂の歓声を上げていた。
しかし、コウサクは違った。
彼らのように熱狂し歓声をあげる気が到底起きなかったのだ。
もっとありていに言うならば彼らの動きに奇妙な不満を感じていたのだ。
何故、あんな大振りで斬りかかるのだろうか?
何故、そんな大雑把な踏み込みをするのだろうか?
腕利きであるはずの彼らの動きに稚拙さしか感じられなかったからだ。
不思議に思い、他の冒険者の模擬戦も観察してみた。
やはり同じだった。
その冒険者達の動きに稚拙さしか感じなかったのだ。
そして過去に自分が行った模擬戦を思い返してみた。
冒険者としては数段格上である筈の相手なのに模擬戦をしてみると妙にいい勝負になること。
勝ち越したことも珍しくはない。
これは一体どういうことか。
コウサクは考えた。
考え
考え
そして気が付いた。
コウサクは手近な冒険者を捕まえ、模擬戦を申し出た。
相手は木剣を持っていたが、コウサクは武器を持たなかった。
馬鹿にされたと思った相手は怒りにかられて責めてきた。
相手は自分より格上。そして自分は丸腰。
普通であればコウサクが叩きのめされて終わる筈だった。
・・・しかし
コウサクは勝った。
勝ってしまったのだ。特に苦も無く、一方的に。
そうしてコウサクは自分の考えの正しさを確信した。
それは
この世界と元の世界では戦いのコンセプトが全く違うということだった。
この世界には魔物や魔人が当たり前のように存在し、人類の歴史はそれらとの戦いの歴史でもあった。
無論、人間同士の争いが無かったわけではない。しかし、それ以上の共通敵が魔物であり、魔人であったのだ。
『戦い』とは相手があって初めて成立するものである。
一人で稽古することはあるだろう。しかし、その稽古の結果は必ず『相手』に対し向けられるものだ。
問題は誰を『相手』にするかなのだ。
そしてこの世界の戦いの『相手』は人間ではなく、魔物であり魔人なのだ。
それならば、彼らの稚拙に見える動きも納得できる。
必要以上に大振りに見える剣術は強固な外皮を持つ魔物を斬り捨てる為。
過剰なほどの大威力を持つ魔術は魔術に対して強固な守りを持つ魔人を打ち破る為。
その為に長い時間をかけてチューニングされてきものなのだ。
そして、だからこその欠点もある。
彼らにとって人間相手の戦いというのはおまけに近いものなのだ。
例え戦うことがあったとしてもそれまでに学んだ魔物、魔人相手の技を流用して対峙する。そういうものなのだ。
故にそこに齟齬が生じる。
コウサクが『ハードボイルド』を目指して鍛えてきた戦い方はあくまで人間を仮想敵とし、人間相手に長い年月をかけてチューニングしてきたものだ。
この世界においてはある意味、邪道のような戦い方。
しかし、これこそがこの世界におけるコウサクの唯一のアドバンテージと言えた。
人間相手の武術を学んだ者と魔物相手の武術を学んだ者。
その二人が戦えば、互いの体力、習熟度が同レベルであると仮定するならば、有利なのはどう考えても前者であろう。
つまり、コウサクが格上相手でも模擬戦に勝てる理由はそこにこそあったのだ。
大剣使い、魔術師。
彼らとコウサクの実力差はけっして隔絶したものではない。
だが、身に付けた技術が違う。
彼らが魔物や魔人を相手にする為に身に付けた技術。本来、人間相手を想定していない技術。
その綻び。その技術的盲点をコウサクは突いているのだ。
人間であるコウサクを倒すのに大剣による大振りの一撃などいらない。もっと軽い武器をやたらに振り回される方がよほどかわし難い。
コウサクを倒すのに人の頭ほどの火球などいらない。礫ほどの大きさを矢継ぎはやに撃たれるほうがよほど脅威だ。
コウサクは彼らが身に付けた戦術のコンセプトの裏をかくことで己の優位を勝ち取ったのだ。
加えて、勝因を更に挙げるならばそれは季節外れのトレンチコート。
なにもこれは『ハードボイルド』趣味の為だけの一品ではない。
外見の奇妙さが先立ち気付くものは少ないが、このコートは特別製である。
特殊な魔物の皮をなめしたオーダーメイド。
外見にそぐわぬ強度と耐火、耐刃、耐衝撃製を持つ高級品である。事実、コウサクがこの世界で持ち合わせているものの中でもっとも高価な品である。
コウサクが常にこのコートを身に付けているのは伊達や酔狂ばかりではなく、実用性も鑑みてのことであり、彼の『ハードボイルド』趣味ゆえという理由はあくまで半分・・・・・・いや、8割程度でしかなかった。
万全の守りとこの世界では稀有な対人戦闘技術。
冒険者にして対人戦闘のスペシャリスト。
それが、私立探偵(自称) マツムラ コウサクのもう一つの顔であり能力であった。




