女性は優しく扱え。敵は丁重に扱え。
『豚』と『馬』を追い払い、店の惨状の片付けを手伝いつつ、コウサクはアンナに詳細を聞いていた。
しかし、さして真新しい情報は手に入らなかった。
突如訪れたあの二人組が「コレットを出せ」と大暴れした。端的に言えばそれだけのことであった。
幸か不幸かコウサクが店を訪れたタイミングは発生からそれほど時間の経っていない段階であったらしい。
しかし、それでも関係者であるアンナにしてみれば、紛れもなく大事である。
コレットの失踪だけでなく追い討ちをかけるようにこの騒ぎ。アンナの顔は目に見えて憔悴していた。
「一体・・・あの子に何が・・・・・・」
己一人で酒場を切り盛りしてきた女性だ。けっして弱い女性というわけではないだろう。
しかし、立て続けに起きる事件は彼女を消耗させ、今や零れ落ちる涙を抑える気力すら沸かないようであった。
よろしくない。
実によろしくない。
コウサクはそう感じていた。
女の涙は苦手だ。心がざわつく。
容易く心を揺るがせるようでは『ハードボイルド』といえない。
しかし、泣いている女性を捨て置くことも『ハードボイルド』としては如何なものか。
片付けを手伝いつつコウサクは内心葛藤する。
程なく店は片付いた。まだ完璧とはいえないが、これ以上は部外者であるコウサクが手を出すよりアンナに任せた方が正解であるだろう。
アンナはコウサクに頭を下げ、涙声混じりに礼を言う。
「今日はありがとうございました。・・・・・・それと、コレットのこと、どうか・・・どうかよろしくお願いします。」
頭を下げるアンナを見やりコウサクは悩んだ。
何か言わねばなるまいと。
「・・・礼を言われるようなことじゃあない。コレットさんのことも任せておくといい。きっと見つけ出してみせる。・・・だから、そんな物騒な真似はやめておくんだな。」
「物騒?」
「ああ。『涙は女の武器』って言うが美人ならそれはなおのことだ。そんなものをちらつかされたんじゃあ、良からぬことを考える男だって出てくるさ。・・・まぁそれは俺も含めてのことだがね?」
コートのポケットに両手をつっこんだまま、皮肉げな笑みを浮かべつつそんなことを言い放った。
沈黙
沈黙
沈黙
沈黙が店内を支配する。
・・・これはなかっただろうか。コウサクは内心で後悔する。
落ち込んでいる女性に対してこの台詞はいささか不謹慎であったか。
しかし、女性を慰めるなどということはコウサクにとって全くの不得意科目であった。
少なくとも彼の中の『ハードボイルド』語録に適当な台詞がなかったのだ。
自分なりに励ましに『ハードボイルド』を加味した台詞を考えたつもりだったが、失敗だったか?
表情を皮肉げな笑みで固めたままそんなことを考える。
続く沈黙に根負けしたのはコウサクであった。
「じ、じゃあ、そういうわけで吉報を期待していてくれ。」
逃げるように黒猫亭を後にしたのだった。
コウサクが去った後も沈黙は続いた。
それはしばらく続き、その後小さな小さな音が響いた。
それはアンナの小さな笑い声であった。
酒場を切り盛りしている関係から冒険者という人種は見慣れているつもりだった。
しかし、そんな彼女から見てもコウサクは変わり者に分類されていた。
奇妙な服装、妙に芝居がかった奇妙な言葉遣い。
それだけであれば胡散臭いことこの上ない人物であるが、不思議と悪い印象はなかった。
顔どころか耳まで赤くしながら、変に芝居がかった慰めを残していったコウサク。その姿はまるで背伸びした子供の精一杯の励ましのようで、そこに妙な微笑ましさを感じてしまったのだ。
信用できる人かもしれない。
コウサクの去った出入り口を眺めつつ、アンナはそんなことを考えていた。
一方のコウサク。
早足で雑踏を歩き続ける。黒猫亭での失敗を振り払うかのように。
しばし、雑踏をあてもなく歩き続け、ようやく彼はクールダウンを果たす。
過去に囚われすぎてはいけない。
常にクールに、冷徹な目で真相という名の獲物に喰らいつく猟犬。それこそが彼の考える『ハードボイルド』な探偵であった。
頭を切り替え、思考を整理する。
己を通り過ぎていく町の喧騒はむしろ考えをまとめる上で心地よいものだった。
コレットはどうやら素行の良い娘らしい。
自分の行動が原因で妙なトラブルを抱える可能性は少ない。
彼女は直近の依頼の後、馴染みメンバーと距離を置いた。
メンバーを恨んでいる?
いや、それはコウサクの調べたコレット像と重ならない。
何か距離を置かなければならない理由が?
ならば、黒猫亭から失踪した理由もそれと同じか?
そして、黒猫亭にやってきた『豚』と『馬』。
彼らはコレットを探していた。
そこから考えられることは何か?
すなわち今現在、コレットの身柄は誰の元にもないということ。
コレットは死んだのでも捕らえられたのでもない。何かを恐れ逃亡しているのだ。
何を恐れている?
わからない。
情報が足りない。
しかし、問題はない。
手がかりなら既に手に入れているのだから。
雑踏の中、コウサクはニヤリと笑みを浮かべる。
それを見た何人かの人々が不気味がるように彼を遠巻きにしたが、コウサクがそれに気がつくことはなかった。
夕暮れ時、二人の巨漢が冒険者ギルドを後にする。
一人は僅かに片足を引きづった肥満体、もう一人は片腕を包帯で吊った痩せ型の男。
見るからに堅気とは程遠い人相の男達であったが、今の彼らはそれに輪をかけて不機嫌な様子であった。
彼らはとある仕事の際に負傷を負った。後遺症が残るほどでもないが、しばらくは仕事を受けることが難しい程度のものであった。
それで今日、彼らはギルドに見舞い金の申請に来ていたのだ。
冒険者ギルドのサービスの中に『保険』というものがある。
危険と隣り合わせの仕事である。
当然、負傷することは珍しくないし、そうなれば仕事にも差し支える。
そうなった時の為の救済措置として怪我の程度に応じた見舞い金を支給する制度がギルドには存在した。
これもまたギルドから会員の為の権利の一つであった。
しかし今回、彼らに見舞金の支給は成されなかった。
申請すれば無条件で支給されるという訳では無論ない。
あくまで『冒険者』としての業務の中で負った負傷に関してだけだ。
故に申請には負傷の際の状況をギルドに詳細に報告する必要がある。
だが、今回の彼らの報告はひどくあやふやなものであった。
魔物討伐で怪我を負ったということだったが、その報告内容は至極不鮮明であった。
つつけばつつくほど、報告の内容は二転、三転。
加えて、普段の彼らの素行はけっして褒められたものではなかった。
ギルドへの申請、報告もいい加減、町でのトラブル報告も過去に数件。
これでは申請に許可が下りないのも無理からぬ話であった。
しかし、当の本人達は納得がいかない。
今日も散々食い下がり、職員に悪態をつき、ようやく出てきたのだ。
そういった行動もまた評価を下げる要因の一つなのだが、無論彼らが自覚していよう筈もない。
今もやり場のない苛立ちを抱えたまま、何かはけ口でも探すような顔つきで闊歩している。
そこへ
彼ら二人の間を割り込むように一人の男が通り過ぎた。
男の体が強く二人にぶつかる。
二人に苛立ちとはけ口を見つけたという暗い喜び、相反する感情が沸きあがった。
「てめぇ!!どこ見てやがる!」
「ああ、こりゃあ骨が折れたわ。どうしてくれんだてめぇはよぉ?」
さして体も大きくない男。
この男を適当に小突いて憂さを晴らし、金を巻き上げ、自分達の慰めとする。
絵に描いたようなならず者思考であった。
しかし、もって生まれた巨体と荒事慣れした雰囲気。
陳腐な演技であったが一般人相手を恐怖させるには充分なものだった。
事実、過去にこの手口で甘い汁を吸ったことは何度もある。
今回もそのつもりだった。
だが・・・
「ああ、骨が折れたとは申し訳ない。ところで治療にはいくらかかった?」
男の言葉は奇妙だった。
そして気がついた。
真夏にそぐわぬ、足までかかる黒いコート。
芝居がかった皮肉げな笑み。
「ところで連れて行くのは獣医でいいのかな?『豚』君、『馬』君?」
それは黒猫亭で自分達を痛めつけた張本人。
コウサクであった。
「て、てめぇ・・・なんで・・・」
「もちろん偶然の出会いってわけじゃあない。お前さん達を待ってたんだ。」
顔を青褪めさせる『豚』と『馬』とは対照的にコウサクは皮肉げな笑みを崩さない。
「お前さん達が冒険者だってことは黒猫亭で検討がついてたからな。理由は二つ。」
二人に構わずコウサクはとうとうと語り続ける。
「一つは武器。あの時の短剣、ナイフと言うにはあまりに肉厚だった。チンピラが脅し目的で持つにはあまりに重過ぎるだろう。それでも持つ理由があるとすればそれは実用。魔物を相手にするなら短剣とはいえあれくらいの重量がなきゃ到底役に立たないからな。・・・そして二つ目は。」
コウサクは胸元に手を入れ何かを取り出す。
それは小さな鎖で首から吊り下げられた小さな金属製のタグ。
「これは冒険者ギルドの会員の証である認識票。どんな奇抜な格好をしている奴でもこれだけは肌身離さず首から下げている。これは冒険者にとっての暗黙の了解で常識・・・そうだろう?」
認識票の役割はいくつかある。
一つは一種の身分証明。これがなければ各種サービスの申請もできない。
万一無くせば再発行には煩雑な手続きを要し、容易くは発行されない。
もう一つの役割は文字通り個人の認識の為。
冒険者の仕事上、どうしても無残な死体を晒す結末に陥ることはあり得る。
そうなった際、その死体の身元を判別するためにも用いられるのだ。
認識票は特別な加工が成されており、薄い金属性ではあるが、安物の鎧程度なら及びもつかない程に頑丈である。
よって持ち主がどれほど無残な死に方をしても、認識票には傷一つついてないという事態もけっして珍しくはない。
そしてこの認識票は基本的に首から下げるのが常識となっている。
荷物に入れていれば冒険の際、紛失する可能性がある。
腕や足につけていても、四肢であれば状況によっては斬り飛ばされることだってある。
故に首である。
首に下げていれば容易くは紛失しない。
首が斬り飛ばされ紛失したならば、そもそもその時には持ち主の命もない。
それはギルド加入の際に強く言われており、これについては冒険者のほぼ全てが守る鉄則であった。
「短剣を見てもしやと思い、胸倉を掴んで覗き込んでみれば案の定だ。まあ、こんなことでもなければ男の胸元なんて覗き込みたくはないんだがね?」
芝居がかった調子で得意げに語るコウサクだが、せっかくの講釈も今の彼らにとっては右から左であった。
「巨漢の二人組だけじゃあ探すのも手間だったろうが、片腕、片足を怪我したノッポとデブなら探すのも難しくは無い。マスターに聞いたらすぐに絞り込んでくれたよ。」
『マスター』って誰?などということは考える余裕もない。
自分達の素性を見抜きわざわざ待ち構えていた。それこそが問題であり、恐怖だった。
「さてお前さん達、コレットさんについてちょっと話を聞かせてもらえるかな。・・・ああ治療費なら気にしなくてもいい。懇意にしている獣医がいるんだ。なんなら今から君達を招待してやってもいいんだがね?」
友人相手に冗談でも言うような軽い口調。
それでも二人は背筋に走る怖気を振り払えない。
二人を見るコウサクの眼はどこまでも冷たかった。




