軽口は男のたしなみ
それからもコウサクはほうぼうに聞き込みを続けた。
他の冒険者達、町の人々。
それはコレットの行方を捜すと同時にその人となりを調べるものだった。
結果、コウサクの中でのコレット像が大分形を成してきていた。
曰く、真面目、優しい、穏やか・・・どうやら付き合っている異性らしき人物はいないようである。
コウサクの脳裏に思い描かれるコレットはある意味で冒険者らしからぬ優等生な人物であった。
町の人の評判も悪くなく、冒険者より黒猫亭で看板娘でもやっていた方が良いのではないかという人物である。
それ故に解せない。
コウサクが当初思い描いていたいくつかの人物像。そのどれとも重ならないのだ。
例えば、遊び好きの放蕩娘。
例えば、恋多き恋愛至上主義者。
こういった娘であれば話は簡単である。遊びで借金をつくって夜逃げした。男をつくって駆け落ちした。そういったストーリーが思い描ける。
しかし、聞き込みで浮かび上がったコレット像とそれらがどうしても重ならない。
仮に男ができたとして、親同然のアンナに一言もなく姿を消すとはどうにも考えにくい。
ならばどんな理由ならばありえるか?
例えば事故。全く想定外の事故や災害に遭い、命を落としたか。
これであればどんな人間でも起こりうる。しかし、死体も発見できないような事故とは何か?
魔物に喰われる。崖などから落ちる。池などで溺れ死体は沈んでいる。
いくつか考えられるが、どれも今ひとつ説得力に欠ける。
崖や池は存在する。しかし、それらは町からそれなりに離れた場所にある。
魔物が存在するのは迷宮か町の外だ。
いかに駆け出しとはいえ冒険者であるコレットが意味もなく危険な場所をうろつくなどということがあるだろうか。
まして彼女はつい先日、迷宮で死に掛けたばかりである。むしろ、一層警戒する方が普通であろう。
ならば、他の理由は?
そんなことを考えるうちにコウサクは目的地に着いた。
黒猫亭だ。もう一度アンナに話を聞こうとやってきたのだ。
時間はもはや夜。酒場が一番賑わう時間帯だ。
普段であればコウサクはこの時間の酒場にはけっして近付かない。酒を勧められかねないからだ。
しかし、今は違う。仕事中だといえば自然にそれをかわすことができる。
かわすことができる上、仕事にストイックな感じで実によい。至極『ハードボイルド』である。そう判断しての行動だった。
黒猫亭のドアに手をかけた時、大きな音が聞こえた。
賑わいの音ではない。 何かが壊れる剣呑な音と張り上げられる怒号であった。
「コレットの奴はどこだ!?隠すと為になんねぇぞ!!」
「出さねぇってんなら女将さん。帰ってくるまでの間アンタに俺たちの相手でもしてもらおうか?あぁ?」
散乱した皿と料理。倒れた椅子と机。
砕け散った机は二人のうちいずれかの男が壁にでも投げつけたのかもしれない。
二人の男。一人はひょろ長く、一人は肥満体だった。
共通して言えるのは二人とも見るからにガラが悪い。堅気の人間であればお近づきになりたくないことうけあいだった。
店内の惨状を見れば、彼らの暴れっぷりも一目瞭然。
面倒ごとを嫌ったのか店内にはアンナと件の二人以外、既に誰もいなかった。
怒号をあげていた二人だが、ドアの開く音に気がついたのかいっせいに入り口へと目を向ける。
その目には一瞬警戒が浮かんだようだったが、コウサクの姿を見てすぐに侮るような目つきへと変わった。
「兄ちゃん。今日はもう閉店だ。飲みたきゃ他所行って飲みな。」
「ボヤボヤしてっとぶち殺すぞ!!」
睨みつけ脅しあげる二人。
しかし、コウサクの目はそれらを見ない。
「やあ、こんばんはアンナさん。またお話を聞きたくて伺わせてもらいました。・・・しかし、つい先日お会いしたばかりなのに、あなたが転職されているとは知りませんでした。」
「転職・・・?」
場違いなほど穏やかなコウサクの言葉にアンナもまた思わず言葉を漏らす。
「だってそうでしょう。豚と・・・そっちの痩せたのは馬かな?酒場だと思ったら牧場になってるんだから。でも牧場はやめておいたほうがいい。豚も馬もどちらも出来が悪そうだ。」
「おい・・・てめぇ・・・豚ってのは俺のことか?」
「馬ってのは俺かよ?」
「こりゃ驚いた今日日のケダモノは言葉を喋るのか。なるほど牧場じゃなくてサーカスだったか。頑張れよ二匹とも。後は玉乗りしながらお喋りできれば前座くらいは務まるようになるだろうさ。」
「てめぇ!!」
最後の怒号は『豚』と『馬』どちらのものであったか。
ともあれ、二人の大男達はコウサク目掛け飛び掛った。
悲鳴をあげ、目を閉じるアンナ。
数瞬後、恐る恐る目を開ける。コウサクの無残な姿を予期しながら。
しかし、現実は違っていた。
コウサクは依然自身の足で平然と立っている。
倒れているのは『豚』の方であった。
飛び掛る『豚』と『馬』。
それとほぼ同時にコウサクもまた踏み込んだ。踏み込んだのは『豚』側のやや横。
二人とも巨漢であるが肥満している分、やはり『豚』の方が視界を占める面積が大きい。
踏み込んだ瞬間、『馬』にとってコウサクは完全に『豚』の影に隠れていた。
一方、『豚』。彼は自分の横に踏み込んできたコウサクを捕らえようと振り向く。
一瞬止まる動き。体勢を変えようと『豚』の片足に体重がかかる。
コウサクの狙いはそこだった。
方向転換の支点となるその片足をコウサクは過たず狙い打った。
下段の関節蹴り。
膝の正面から打てば、相手の膝を砕き、一生相手を不具にする危険な技。
今回は膝の横合いから打ったのでそれほどの重傷は与えていない。
しかし、それでも蹴りのダメージと方向転換のための加重は『豚』の膝に充分なダメージを与えていた。
彼にしてみれば一瞬にして片足を無力化されたのだ。
そして関節はどんな巨漢であれ鍛えることのかなわない急所でもある。それを狙い打たれ、激痛からまさしく豚のように悲鳴をあげる。
驚いたのは『馬』だった。一瞬相手を見失った瞬間、相棒が急に倒れたのだから。
しかし、彼には何が起こったのかわからない。コウサクが『豚』の影に隠れていたというのもあるし、余りに一瞬の出来事であったからだ。
『馬』の顔に警戒の色が浮かぶ。
彼は無言のまま腰に手をやる。
抜き放ったの一振りの短剣。
刃渡りは30センチ程度。しかしその刃は肉厚であった。ナイフというよりは鉈を連想させる。
『馬』はコウサクを脅威と見なした。そして躊躇せず武器を抜いた。
一方、コウサクは丸腰。しかし、コウサクの顔には依然警戒の色が見えない。
「道具も使えるのか。これは利口なうお馬さんだ。だけどお前さんにそれの使い方が本当にわかってるかな?」
ニヤリと笑みを浮かべて言う。『馬』は答えない。
『馬』は様子を伺っていた。目の前の相手の余裕は何か。
武器は持っていない。では魔術か。しかし呪文や魔具の類は見られない。
しばしの膠着。『馬』は短刀を手に突きかかった。
油断はしない。しかし、コウサクの態度は一種のブラフと判断したからだ。
飛び掛る『馬』。その耳にやはり場違いなほど落ち着いた声が響いた。
「やっぱりお前さんはわかってないな。」
次の瞬間、突きかかった短剣が腕ごと跳ね上がる。
そして直後の激痛。短剣が床に落ちるが、それにも構わず己の腕を抱きしめる。
肘が本来曲がるべきではない方向に曲がっていた。
コウサクと『馬』を結ぶ直線上。そこには大きな障害物があった。
最初に倒された『豚』だ。
いまや小さく蹲り、激痛に喘いでいる『豚』だが、それでも彼はそこにいたのだ。
『馬』がコウサクを攻めるのであれば、いまや『豚』の存在は障害物でしかなかった。
もし『馬』が冷静であったなら膠着の際に移動し、直線上から『豚』を除外するべきであった。
しかし、彼はそれをしなかった。
度重なるコウサクの挑発と予想外の恐怖が彼にそれを忘れさせたのだ。
そして、間に障害物を挟んだままの攻撃。必然障害物はまたぐか、飛び越えるかしなくてはならない。
ただでさえ人は武器を持てばそれを使うことに心が囚われてしまう。
その上、障害物を越えるという余分なハンデまで背負うのだ。
結果、『馬』の攻撃は至極単調、稚拙な形で実行される。
これを迎え撃つなどコウサクには至極容易いことだった。
迎え撃ったのは前蹴り。
充分にタイミングを見計らって放たれたそれは突きかかる腕の肘をものの見事に蹴り砕いた。
くの字に無理やり曲げられた腕が視覚的にも痛々しい。思わずアンナが目を背けたほどだ。
しかし、『馬』にとってはそれどころではなかった。痛みにもだえ絶叫をあげる。
そこまでは『豚』と大差はない。
だが、彼にとって不幸があったとすれば、痛みにもだえることすら満足にさせてもらえなかったことだ。
痛みにもだえる『馬』の胸倉を無遠慮に掴み上げる。掴み上げたのはコウサクだ。
急に動かされたことで再び激痛が走るが、覗き込む瞳が『馬』にもだえる自由を許さなかった。
先程までの軽い印象は微塵もない。
勝ち誇ることもなければ、嘲りもない冷たい眼差し。
その瞳に『馬』は掛け値なしに恐怖した。
「失せろ。チンピラ。酒場に来るならせめて人間になってから来るんだな。」
次の瞬間、彼らは転げ出るように黒猫亭を後にしたのだった。