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『ハードボイルド』にきめたくて

 黒猫亭に着いたコウサクは女将のアンナから更に詳細を確認した。

 アンナは歳の頃は恐らく三十の半ば、未亡人であった。

 黒猫亭は彼女の旦那が開いたもので、数年前に先立たれて以来、彼女が店主として切り盛りしてきたとのことだ。

 夫婦の間に子供はいなかったが、アンナにとって失踪したコレットはもはや娘同然の存在だった。

 そしてコウサクの聞く限り、コレットにとってもまたアンナは母親同然の存在だったようだ。

 エドワードからはコレットは店子と聞いていたが、話を聞くとそれは事実とやや異なっていた。

 娘同然の存在、アンナにはコレットから家賃を取り立てる気など毛頭なかった。

 しかし、それを言い出したのは他ならぬコレット自身だった。

 冒険者として自立した際、コレットの方から言い出したことだと言う。

 アンナは拒否したが、コレットはこれに関しては頑として譲らなかった。

 おそらくは彼女なりのアンナに対する恩返しのつもりだったのだろう。

 加えて、彼女は冒険者としての仕事がないときは率先して黒猫亭の手伝いをしていた。

 二人の話を聞く限り、この親子の関係は極めて良好であった。

 不仲による家出と言う線は薄い・・・コウサクはそう判断した。

 それを裏付けるように目の前のアンナは瞳から涙を溢れさせている。

 最初は平静を装っていたようだが、話すうちに不安が蘇ってきたのだろう。アンナは今や顔を覆うようにして泣いている。

 若い頃に比べれば多少肉付きはよくなったかもしれない。しかしそれでもアンナは充分に美しい女性だった。それだけにその涙は一層目の前の人間の心を揺さぶるものがあった。

 

 女の涙は苦手だ。

 コウサクはそんなことを思う。

 男であれば「メソメソするな!」と一喝できるが、女相手だとそうもいかない。

 対処に困る。優しい言葉をかけてやりたくもなる。

 しかし、それはよろしくない。たやすく情を移すのは『ハードボイルド』ではない。

 いつでもクールに鋼の如く揺らがない。それこそがコウサクの考える『ハードボイルド』だった。

 湧き上がる同情を押し殺し、むしろ気楽な口調で語りかける。


「ご婦人。心配はいらない。この依頼、探偵 マツムラ コウサクが引き受けた。あなたはせいぜい大船に乗ったつもりで待っているがいいさ。」


 重くならず、それでいてクールな声音。

 コウサクは自分の返答に内心で一人満足していた。

 一方、アンナは瞳に涙を残したまま、どこかキョトンとした顔でコウサクを見ている。


「あの・・・タンテイってなんですか・・・?」


 当然の疑問である。

 待ち構えていたようにコウサクは答える。微かに自嘲気味な笑みを浮かべながら。


「・・・なに、馬鹿な男の馬鹿な生き様・・・ってやつさ。」


 微かに斜に構えつつ言う。

 完璧だ。100点満点である。実に『ハードボイルド』な返答だった。

 コウサクは内心で自画自賛した。

 その一方、アンナは目を丸くしている。コウサクは気がつかない。

 しばしの沈黙。

 やがてアンナは小さく吹き出した。

 涙交じりの顔に笑みを浮かべて答える。


「はい・・・どうかよろしくお願いします。タンテイさん。」


 何故アンナが吹き出したのかコウサクには理解できない。

 しかし、アンナが僅かにでも笑顔を浮かべたことと、『探偵』と呼ばれたことに内心、上機嫌であった。




 次に向かったのは冒険者ギルドであった。

 報告の為ではない。次の聞き込みの為だ。

 訪ねたのはコレットの冒険者仲間であった。

 大概の冒険者は複数で組んで仕事を行う。

 迷宮の探索、魔物の討伐を一人で行うことは極めて困難だからだ。

 一人で仕事をするのは余程の腕利きか、はぐれ者、もしくは街中での仕事に従事するコウサクのような者達だけであった。

 故に大半の冒険者はパーティーを組む。

 決まったメンバーとのみ組む者もいれば、その時、その時で条件の合うものと組む者もいる。

 コレットはどちらかと言えば後者に近かった。

 まだ駆け出しに近いコレットにはまだ決まったパーティーメンバーは存在しなかった。

 しかし、それでも比較的よく組む者は存在していた。

 コレットは片手剣と回復魔術を使う軽戦士である。

 必然、彼女が組むのは盾役となる重戦士か高火力売りとする魔術師のいずれかであった。

 過去の経歴を元にコウサクはギルドに目当ての人物を探した。

 そして見つけた。


 今、コウサクの目の前にいる男はクリストフと言った。

 ギルド内にある軽食屋内で彼を見つけた。

 ギルドの1階、その半分はその軽食屋が占めている。簡単な料理と酒を出す。

 その店は飲食の為というより冒険者同士の社交場という色が濃い。

 冒険者達は此処で仲間探しから簡単な打ち合わせまで行う。

 冒険者を探すのにこの場所をコウサクが選んだのは当然の選択であった。

 クリストフはコレットが直近の依頼で組んだメンバーの一人だった。

 兜こそ外しているが、今も体には分厚い鎧を纏っている。

 見るからに骨が太く、筋肉質な無骨そうな男。絵に描いたような重戦士であった。

 見かけに反して冒険者としてはまだ新人の域を出ない。冒険者としてはようやく一年を過ぎた程度だ。

 つまり、同じく駆け出しだったコレットとはほぼ同期ともいえる存在だった。

 コレットの話を切り出した時、クリストフと周囲の仲間の顔が眼に見えて曇った。

 周囲の仲間もまたコレットとは良く組むメンバー達であった。

 どこか暗い雰囲気を纏ったままクリストフはポツポツと語り始める。


「俺たちとコレットは冒険者になった時期も近くよく組んで依頼をこなしていました・・・」


「じゃあ君達は馴染みのメンバーだったってわけだ。」


「はい。でもこの間の依頼で俺達は失敗してしまって・・・」


 彼らが最後に受けた依頼は迷宮の探索であった。

 迷宮に潜り、浅い階層に生息する魔物を討伐してその素材を回収する。そんなありきたりなものだった。

 しかし、彼らは不運だった。

 順調に依頼を果たしていた彼らの元にイレギュラーな敵が現れた。

 それは深い階層から上ってきたはぐれの魔物であった。

 まだ駆け出しであった彼らにとってその魔物はあまりに荷が重かった。

 力を尽くしたが敵わず、結果彼らはほうほうの体で逃げ出すこととなった。

 必死の逃走。最初はまとまっていた彼らも逃げるうちに散り散りとなっていった。

 それでもどうにか彼らは地上まで逃げ延びたが、一人だけ例外がいた。それがコレットであった。

 治療を終え、数日彼らはコレットの帰還を絶望的な心境で待ち続けた。

 しかし、コレットが彼らの前に姿を現すことがなかった。

 誰もがコレットの生存を諦めた頃、彼らは不意の再会を果たした。


「コレットとはギルドで再会しました。唐突にです。俺たちは喜びました。でも・・・」


 コレットは違ったという。

 彼らと再会したコレットは顔を強張らせたという。

 再会を喜び、顛末を聞こうとする彼らに対し、コレットは言葉少なに返答するのみだった。

 そして、彼女の傍には見慣れぬ男達がいた。

 使い込まれた装備、慣れたたたずまい、見るからにベテランの冒険者達であったという。


「それで・・・自分はこの人達と組むことになったからもう関わらないでくれって・・・きっとあいつ、自分が見捨てられたと思って俺たちを恨んでるんです・・・でも当然っすよね。パーティーだったのにあいつを置いて自分だけ逃げちまったんだから・・・」


 彼らの顔に沈痛な色が浮かぶ。そしてクリストフのそれはより一層であった。 

 おそらくクリストフはこのパーティーのリーダー的な立ち位置であったのだろう。それだけにコレットに対する責任感も人一倍のようだった。


「それからのことはわかりません。たまにギルドで会っても、コレットは言葉どころか目も合わせてくれませんでしたから・・・」


「・・・そうか、辛いことを聞いて悪かったな。こいつは礼だ。これで一杯やっていってくれ。」


 コウサクはそう言って。テーブルに数枚の銀貨を置く。数人が一杯やれる程度の金額だ。

 背を向け立ち去るコウサク。

 背を向けたまま不意に口を開いた。


「人間には2種類いる。」


 唐突な言葉にクリストフ達は顔をあげ、コウサクの方を見た。


「過去に飲み込まれる人間と糧にする人間だ。」


 さして大きい声ではない。しかし低く、よく通る、そして真摯な声音を帯びていた。


「過去は変えられない、だがこれからを変えるのは自分自身だ。そして過去に飲まれず、糧にすることができた人間だけが過去を意味のあるものできる。・・・それに」


 コウサクは振り向き指差す。

 指差したのはクリストフの鎧だった。


「過去は変えられない。その傷だらけの鎧はお前さんがこれまで仲間の盾になって戦ってきたことの証でもある。これだって変えられない過去ってやつさ。自分だって命がけの状況で仲間を助けられなかったことを悔やめるならリーダーとしては上等の部類だ。その辺をわきまえて次に活かせるなら次はもう少しましな自分になれるだろうさ。・・・・・・まぁ、なんだ・・・頑張れよ新人さん。」


 それだけ言うと足早に立ち去っていく。

 クリストフ達からは見えないがコウサクの顔は赤い。『ハードボイルド』らしからぬことを言ってしまった。そんな自覚があるのだ。しかし、それでも言わずにはいられなかったのだ。

 クリストフは呆然とコウサクを見送る。

 仲間を助けられなかったリーダー。

 しかたなかったと慰めてくれる者はいた。心無い言葉を浴びせる者もいた。そしてそれ以上に自分を責めた。

 だが、過去を見据え、それでも自分を評価してくれた者は初めてであった。

 冒険者になって一年。自分と仲間を守ってくれた愛用の鎧を撫で、再び前を向く。

 風変わりな服装で『タンテイ』を名乗った男はもういない。

 コレットを探す為に再びどこかへと向かったのだろう。

 クリストフは今はいないその風変わりな男に向け、深々と頭を下げたのだった。

 

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