その1
ずっと心待ちにしていた十歳の誕生日。
厳かな儀式の後、盛大なパーティーが開かれる予定であった。ほんの少しの不安とそれを上回る期待。高鳴る胸を押さえながら呼びかけたその後。私が覚えているのは、周りの大人の驚いた顔、目が開けられないほどの眩しい光、そして。
吸い込まれそうな『漆黒』だった。
「はぁ……」
穏やかな午後。春の風はとても優しく、陽の光はほのかに暖かい。目の前には大好きな親友たちがいて、美味しいお茶とお菓子も並んでいる。でも、これからのことを思うと胸がいっぱいだった。私はティーカップを元の位置に置くと、思わずため息をついてしまった。
「そんな顔しないでちょうだい、アマーリエ。せっかくのお茶が台無しだわ」
「だって、」
「考えたってなるようにしかならないわよ」
「でもヴィオラ」
「しつこいわね。席に着いてから何度ため息ついたかしら?これ以上何か言うのなら、その口を縫い付けてあげましょうか」
「それはやめて」
親友の一人であるヴィオラ・レイ・ウォルドロンは少しも表所を変えずに淡々と言った。それだけに本気で思っていそうで怖かった。彼女は教養もダンスも完璧だったのに、刺繍だけは壊滅的だった。縫い付けるなんて冗談でもやめて欲しい……冗談よね?
「社交界デビューは半月後よ?なのにまだパートナーが決まっていないなんて、どうすればいいのよ!?」
令嬢らしからぬ大声を出して、私は切実に訴えた。にもかかわらず、親友たちは何度言ってもどこ吹く風だった。
私はアマーリエ・ファン・レーヴェン。これでも伯爵家の令嬢である。現在目下悩み中なのは、先程の通り、半月後に控えた社交界デビューのパートナーがまだ見つかっていないこと。
私たち貴族は、15歳になったら社交界へデビューをする。と言っても仮のお披露目みたいなものだけれど。そして16歳から3年間、学院で貴族の子息令嬢と勉学に励み卒業パーティーが王宮で行われた後に大人として認められるようになる。
この15歳の社交界デビューのパートナー、言わずもがなとても重要なものだ。
兄や姉、従姉妹など親族がパートナーとなる場合もあるが、家同士懇意にしている子供たち同士をパートナーとする場合や申し込まれてパートナーを決める場合も多い。その先は婚約や結婚もありえる。そこから大人たちの思惑や家同士の駆け引きがあるらしいけど、私はまだ子供なので割愛させてもらう。
私にも、兄や成人した従兄弟がいるのだけど、兄は外国へ留学中で、従兄弟は断固拒否された。そして私へのパートナー申し込みも、一通たりとも手紙が来ていない。届く手紙の数はその令嬢に注目している数だと考えてもいい。この社交界デビューで受け取った手紙の数は話題に上がる。このままでは誰からも相手にされなかった令嬢だと烙印を押されてしまい、その後の社交界での居場所すらなくなってしまうかもしれない。
ちなみに公爵家令嬢の親友ヴィオラには、大量の申し込みの手紙が来たそうだ。パートナーが決まった今でも手紙が毎日来ているらしい。
公爵家ほどはないにしても、我がレーヴェン伯爵家は貴族での地位は高く、さらに広大で豊かな領地と、領地でしか取れない貴重な宝石が採れる鉱山を持っており潤っている。レーヴェン伯爵家とつながりたいなんて貴族、絶対多いに違いないのに。
これでは私自身に問題があるみたいに思われるじゃない!?自分で言うのもなんだけど、見目は悪くないはず。侍女たちが『お嬢様は黙っていれば可憐でかわいらしいのに……』と言っているのを聞いたもの。私にも問題ががほんーのちょっとはあるかもしれない。そりゃ他の令嬢と比べたらちょっと天真爛漫かもしれないけれど、目を覆いたくなるほどの欠点でもないしそれは些細なことのはず!!
「このままだとデビューできないわ!」
「それはないだろう」
それまで黙ってお茶を飲んでいた親友の一人であるラドルフ・ラルス・レンパーが口をはさんだ。
「お前の目は節穴か?隣にいる『クロ』を連れていけば解決するじゃないか」
「…………」
私は周りから何度も言われた言葉を前に口をつぐんだ。そして隣で静かに座っている『クロ』と呼ばれた青年にちらりと目を走らせる。すると私が知っている中で一番美しい黒の瞳と目が合ってしまい慌てて目をそらした。
どうして彼をパートナーにして問題はないと誰もが言うのだろうか──彼は人間じゃないのに。