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例えば苦手なものというのは人間だれしもが持っていると思う。それは確定的だし、否定する権利なんて誰にもないはずだと声を大にして言える。というか、いいたい。
「やっば……」
外は完全に日が昇っている。体のだるさなど無縁でむしろ清々しい。そう、今の状況を平たく言えば。
「寝坊した」
決して朝に弱いわけではなく、睡眠の質がいいのか眠気が残っているわけではない。ただ、逆に睡眠の質がよすぎるのかどうしても寝坊しがちだった。むしろ、今までこちらの世界に来てかよく寝坊してこなかったと自分をほめたたえたい気分だ。
「って、言い訳してる場合じゃないよな」
急いでテントを畳んだり用事を済ませる。
これ幸いと魔力を消費することを気にせずに氷山の一角で氷を作り浮遊させる。それを鏡代わりにする。ほんの少し髪が跳ねていたので懐からタガーを取り出す。
「水よ、纏え。滴れ」
ダガーから流れ落ちる水を手のひらで掬って髪をとかす。余ったものは口に含みうがいをして捨てる。
「はぁ……とにかく、これで」
「健也殿……」
「うわっ!?って、カーラちゃん。いつから、そこに」
「健也殿が氷山の一角を作り出した辺りだな。気配を消していたわけでもないのに気付いていなかったことを見るに、よっぽど慌ててたようだが」
「あはは……恥ずかいところ見せっちゃったね」
「いや、そういう日があるのも仕方がないが……。なにも魔法や妖力を使うことはなかったのになとおもってな」
「どうしよって考えたら自然と思いついて」
「この世界に順応しているな……。ともかく、勇者殿を迎えにきた」
気を取り直すようにわざとらしい咳払いの後続ける。
「僕を迎えに?」
「あぁ。アニエス殿はここの村人にドレッドが住処としている山の事を聞きに行っておる。それが少し前だったからな。その情報をもとに作戦を立てようとおもってな。ついでに朝飯も共にしようとな」
「なるほど……。そういや、ドレッドの強さとかそこらへんもわかんないしね」
「あぁ。その点についても食事をしながら話し合おう。席にはすでにクロエとクリオが取っている」
「おっけ」
「じゃあ、こっちだ」
カーラちゃんはガサっと荷物の半分を取る。
「あっ、荷物は」
「もし、私がか弱い女の子ならいいが……まあ、そういうのはクロエあたりにやってくれ。私は大丈夫だ」
笑って僕をいなすとかっこよく去っていく。流石というか、なんというか。僕はちょっと尊敬に近いものを抱きつつ彼女の後ろをついて歩く。
今更だが、スリカ村の事がよくわかる。のどかな雰囲気。なんだか、田舎を思い出す。
あと、勝手に草人族だけしかいないと思い込んでいたが、その他の種族も住んでいるようだった。
「ここだ」
しばらく行った先に一軒の店。そこを指さしてから西部劇に出てくるような木の扉を開いて中に入る。
「あっ、こっちですぅ」
僕たちの来訪に気づいてクロエちゃんが立ち上がって呼びかけてくる。
「あれ?クリオ」
「なに?」
「いや……、なんでもない」
首を横に振る。クリオは首を横に少し傾けたのち肘をつく。その時獣耳がペタンと垂れたのがフードを通さずに見ることができた。
「お待ちしておりました」
「アニエスさんももう帰ってきてたんだ」
「はい、ある程度情報の収集はできましたので、まずはメニュー選びましょう。お金は潤沢……とは言えませんが普通に旅するだけなら十二分な量がありますので、好きなものを」
「わかりました」
といったもののこの世界の独特の料理なのか、それともこの村の料理なのかわからないがなんとなくそれっぽいものを選んでいく。まあ、わざわざ地雷の可能性があるものを選ぶ必要性はないだろう。
少しすると料理が運ばれてくる。どれもが城でものほどではないが美味しそうな匂いを立てている。
「じゃ、頂きます」
僕は手を合わせて食事を始める。口に含んだ瞬間に芳醇な肉汁があふれ出す。素直に美味しいと言わざる得ない。
「それでは、簡単に仕入れてきた情報についてお伝えしますね」
「あっ、はいお願いします」
料理に夢中になりそうな自意識を無理やり変える。
「まずですが、ドレッドが住み着いているという山は標高が2000メートル程度の山でその中腹に巣を作っているようです」
普通に登れるほどの距離だということか。逆に言えばいつドレッドが襲ってきてもおかしくないともいえる。
「どこにいるかなどは後程登りながら詳しく説明いたします。そしてドレッドですが、どうやらオスとメスがいるらしく……つまりは子育ての為に巣を作っているのではないかと推測ができます」
「もし、子どもがいたら気も立っている可能性もあるということか」
「こ、この時期のドレッドは厄介ですぅ」
「そうなの?」
「は、はいです。あの、繁殖期、なのです」
「あー、そういうことか」
繁殖期に凶暴化するというのはこの世界でも共通なのか。
「ですが、1つ気になることが」
「ねえ、もしかしてだけど、“色”じゃない?」
確かめるようにクリオが尋ねる。するとアニエスさんは驚いたように目を開ける。
「なぜ、それがわかって」
「はぁ……ようやく得心がいったよ。面倒なことになるよ、これは」
親指を噛んで苦しげにクリオが言う。
「どういう、こと?」
「一応、ボクの推測が正しいかの答え合わせもしておきたいから、その色について教えて」
「通常、ドレッドは個体差も多少はありますが、基本的に赤色をしております。ですが、このドレッドは緋色……とでもいうのでしょうか。通常の赤よりもかなり濃い色だそうなんです」
「濃い、赤……」
元の世界でも突然変異などで通常の個体とは異なる性質をもつ動植物が産まれることも決して稀ではない。大体はそういう生物は淘汰されることが多いが、たまにそちらの方が優秀ならば自然とそちらの変化した動植物が数を増やしていくことがある。つまりは進化なわけだが。
クリオが見渡して口を開く。
「健也以外は知っているだろうが一応言っておく。個体数は少ないけど通常種とは異なる色や性格、形をもった魔物が出てくることは確認されている。ドレッドもそう。そして今回が濃い緋色となると凶暴性は一つランクが上がる。面倒なことになるのは確定だな」
「そんなに、強さが変わるの?」
「ただ強くなるというんじゃない。なわばり意識が強くなるが為の凶暴性だ。そして一番の問題はここ」
そういって自らの頭をこんこんと指す。
「知能……」
「正解。知能の上がったドレッドは連携攻撃は当たり前のようにしてくる。ヘイトを一人に集めさせる、なんて古典的な策も意味をなさない。何より辛いのが相手の技量を見極め必要とあれば撤退する強さも持っている。撃退しろ、ならば通常種のドレッドよりやりやすいが今回は撃退ではなく討伐。となると、面倒さは大きく上がる」
「逃げる前にやれ……ということになるわけか」
「そういうこと」
なるほど、その説明でどうして眉をひそめたのかがよくわかる。だが、一つだけわからないことがある。 正直それはこの討伐とは何一つ関係のないことなのだが消化しておきた気がする。
「なんで、クリオはドレッドについてそんなに詳しいの?」
「えっ?あぁ……」
そういえばクリオは最初からこの件に疑問を感じていたようだった。そのころからこのことを危惧していたのだろうか。もしそうなのだとしたらもっと早く対策を練れていたかもしれないだけに悔やまれる。
「まあ、ちょっとしたつてがあってな。緋色のドレッドについては個人的に調査もしていた。それに、いくら凶暴と言われるドレッドとはいえこの村の規模が持つ小部隊なら討伐も不可能でないのに負けたことをかんがみると……緋色種が思い当たったってだけの話だ」
「なるほど……。そのつてって?」
「あの、もしかしてですけど……。5年前の―――」
「うるさい」
「ひっ」
クロエちゃんが何かを発言するよりも早くクリオが鋭殺気でそれを制する。
「おい、それは無いんじゃないか」
見かねたのかカーラちゃんが止めに入る。
「…………」
それには返さず少しふてくされたようにテーブルに出されたコーヒーを飲むクリオ。
「よしっ」
パチンと手を叩いて場の空気を換える。
やはり、このパーティー。キーとなるのはクリオな気がする。彼女をどう扱うか。心を開かせるか。それがすべての鍵になると思うのだ。だが、今それを問いただす必要性はない。
「食事も終えたしドレッド緋色種の討伐に行こうか」
「そうですね。幸いにも山は近いですので今から行けば十分日が暮れるまでには帰ってこれそうですから」
僕の示した意図に気づいてくれたのかアニエスさんも乗ってくれてなんとか場の空気も変えることができた。
だが、クリオだけは不安そうな顔色で自らの親指を噛み続けていた。
「なんか、急に空気が悪くなったような」
山に登ると徐々に空気が薄くなって高山病にかかるという話はあるがそれは何千メートル級の話。こんな低層でかかるはずがなく、むしろ空気が澄んで気持ちよくなりそうなのに、寒気に似た何かを感じさせ気持ち悪さも感じさせる。
「濃い、邪気のせいですね」
「邪気……。ということは」
「はいです。もうそろそろドレッドの巣が見えるということです」
「そういえば、こんなに邪気が濃いんだったら他の魔物が現れたりとかは?」
「あぁ、強力な魔物は邪気を振るい、それによって魔物を量産させ一つのダンジョンを作り上げることがある。油断はしない方がいい」
魔物が魔物を呼ぶ、という訳か。そして邪気は負の感情の塊。気を抜くとそれにとらわれ、思考がおかしくなってしまいそうだ。
「あ、あたしが弱い魔物を遠ざけておきますです。連鎖する驚嘆、です!」
一瞬高音が鳴り響いたとおもったらすぐにその音は聞こえなくなる。これはある程度弱い相手にしか通じない黒魔法。高音で耳をおかしくさせるというものだ。それにより嫌がる魔物たちを近づけないというものだ。だが、それは自らが弱い、という認識を持っていることが絶対条件の心理的なものであるので、強者には通じない。おそらく緋色のドレッドには聞かないだろう。
ザクザクという不気味な予感すらも感じさせる足音を鳴らしながら近づいていく。
「……あれが」
思わず呟く。坂を上りきったところに二体の魔物が見える。
それは血のように紅く、竜のように大きい。歴戦の長を語っているのだろうか、体には緑の苔生えている。
「えぇ、ドレッドです」
アニエスさんの言葉でようやく口にたまっていた唾液を飲みこむことができる。ジュールやスライムとは違い圧倒的な不穏を体に重くのしかかる。
自然と戦闘準備が整えられていく。
すでに戦闘態勢に入っている前衛、クリオとカーラちゃん。後衛、アニエスさんは鋭くドレッドを睨んでいる。それは隣、中衛のクロエちゃんも同じだ。
「まだ、気づいていない様子だね。先制、仕掛ける?」
「そうしよう……。カーラちゃん。ここから攻撃できる?できたら同時に怯ませてほしいんだけど」
「了解だ。できる」
その細い体のどこに力があるのか、左手だけで長剣を持ち、右手でナイフを取り出す。
「ドレッド。お前の悪意ごと切る。集え、電気よ……」
ビリビリとナイフに電気がたまっていく。足音を立てないように、少しずつ近寄っていったがそれに合わせて歩みも止める。
そして電気が最大限までにたまったとき……、カーラちゃんはドレッドに対してナイフを放物線を描くように投げた。
「堕ちろ!」
そのナイフが頂点に達して落下を始めた先にいるのはドレッド。言の葉に応じてナイフにたまっていた電気が雷のように落ちる。
爆発するような光を目を閉じることで避ける。一瞬遅れてやってくる風と雷の音。そしてドレッドの鳴き声。
「行くよッ」
クリオは靴を脱ぎすてる。その足はすでに獣のものへと変えている。
ドレッドはようやく我に返ったように辺りを見渡し、僕たちを見つけるがもうドレッドはクリオの攻撃圏内に入っていた。
ズシャッと切り裂く音が聞こえクリオは牙をドレッドに突き立て血肉を抉っていた。
怒りをあらわしクリオへと向いたヘイトに抉られた方のドレッドが炎を吐き攻撃する。
「させるかっ!零へと帰る空間!」
その炎は黒き闇へと吸収されていく。
それを受けてドレッドはその羽をはばたかせ宙へと浮かぶ。
「集え、水よ」
長剣をもったままカーラちゃんは駆け出す。
「突き刺さる無限弓、です!」
ヒュンっと弓を引くクロエちゃん。だがドレッドは不可視のそれを直感だけでよける。
「一筋縄では、いきませんか。無限回廊」
アニエスさんの援護を受けて僕は走り出す。ドレッドはアニエスさんが作り出した幻の僕に炎を放っている。
「集え、水よ」
僕のダガーにも水を集めさせて長剣を持つカーラちゃんの元へと急ぐ。こちらの意図に気づいたカーラちゃんは小さく頷くと長剣へ水をさらに募らせていく。
幻を倒した二体のドレッドは僕らの不穏に気づき咆哮を上げながら炎を吐き攻撃するが、獣の足を持つクリオの前では遅い!
獣の腕は僕ら二人を軽々と抱え上げ炎をよけながら走る。
「やれっ!」
「「舞い散れ!」」
その言葉に合わせて僕らは一気に水を解放させる。放散させた水は、空気に交じりずっしりと重くなる。 急激な大気の変化にドレッドは対応できず地へと落ちていく。それを見逃すはずがない。
「冷淡な火花、です!」
蒼い炎が水蒸気を一気に凍らせていく。武器から離れたため妖力の力は届きにくいが、まだ微量に残る命令の力を水蒸気に出す。
「「集まれ!」」
氷へと変貌していった水蒸気は徐々に集まりだし二つの氷柱を完成させる。ドレッドが落ちて砂埃が舞う。
「吹かす風色」
砂埃がアニエスさんの放ったそよ風で消えていく。
丸裸となったドレッドの腹についに妖力の力が消えた氷柱が落ちる。
―――ギャァーーー。
悲痛な叫びの後パタリと動かなくなるドレッド。そして体が消えていく。
「終わった……」
ぱたりと地面に伏す。緊張から解放されドッと疲れが押し寄せる。
「えぇ。よかったです」
アニエスさんもホッと一息つきながら声を落とす。クロエちゃんはドレッドの被害がどこまであるのか調べているのか辺りをキョロキョロとしていた。
「にしても、手応えがあまりなかったな……」
「えっ、そ、そうなの?」
和やかな空気が流れかけた時、クリオが眉をひそめながら訝しげにつぶやく。それに驚嘆の声を上げたが確かに少し疑問に思う。こちらの一点攻勢だった。ドレッドの強さがよくわからない戦いだったとも言える。一歩間違えれば死んでいたかも知れないが間違わなけれは死なない、そんな風に感じさせられた。
「……ああ、まるで元から弱っていたがかのような気がする」
「あの……少し気になることがあるです」
「気になること?」
「はいてす。一つ目はドレッドの子どもがいないかです。嬉しいことにいませんでしたです」
「よかった。で、一つ目ってことは?」
「はいです。二つ目。それはドレッド討伐に失敗されたとみられる村人の姿も遺体も、痕迹もないのです」
「あっ……」
道中もそうだ。何事もなさ過ぎた。なぜ、遺体も何もない。もし、生きているのであればなぜ村まで帰ってこない?
「そういうこと、でしたか」
何か納得をしたかのようなアニエスさんの声。クロエちゃんも小さく頷き返している。僕、カーラちゃん、クリオはまだ理解できておらず2人に状況説明を促す。
「……草人族は独特な黒魔法をもち入りますです」
話す順番を決めたのかゆっくりと話し始める。その冒頭の文は聞いたことのあるものだった。
「何が独特かと言いますと……、自己犠牲の黒魔法を独自に開発していたんです」
「自己犠牲……?」
その瞬間、詰め込まれた知識があふれ出す。草人族、黒魔法、自己犠牲。この三つからつながった知識が算出される。
「寄生の自戒」
思わず呟いてしまう。思考を拒否するつもりはないが、否が応でもその知識が脳を浸食していくように感じて気持ち悪さも感じる。それはこの寄生の自戒という魔法のせいだろうか。
「はいです。体を魔力によって全て胞子にさせて対象の生物に寄生。徐々に体力を蝕んでいくものなのです」
「そういう、ことか」
説明にカーラちゃんは長剣を握る手を強める。
「私も同意見だと思います。その証拠、とでも言いましょうか……ドレッドの体には苔のようなものが生えていました。おそらくあれの一つひとつが、そうだったということだと。またそれによって子をなす余力もなかったのではとも推測できます」
「自分の命をかけてまでか……」
長剣を直しながらドレッドがいなくなった場所に手を合わせる。
「草人族はもとより繁殖率がとても高い種族ですから……自らを犠牲にして絶対数を守る犠牲魔法を得意としたんでしょう」
なるほど、そういう背景も合わせて考えれば納得だ。だが、一人納得していないのはクリオだ。
「……守るという行為は一方通行でしかないってこと忘れてない?」
「どういうこと?」
「自らを犠牲にしてまで守った……。彼らはきっとそれで満足だろうしそれが全て間違いだなんて言わない。でも、残された家族はどうなるの?」
「それ、は……」
「覚えてる?ボクたちを村長のところまで案内してくれた子のことを。あの子、ママのところに帰るって言ってた。もしかしたら父親がドレッド討伐部隊にいたのかもしれない。もし、そうならあの子はこれからずっと、父親に甘えることができなくなるんだよ?」
「しかし、そうするしか彼らにはできなかった。自戒魔法のおかげで体力が奪われ子をなし得ることができなかった可能性も示唆されている。もし、それを行わなければ……この村はすでになくなっていたかもしれないぞ?」
「…………」
カーラちゃんの言葉、それもまた一つの真実。それはわかっているからなのかクリオはなにも返事をしなかった。
「全て……」
僕は何とかしようと思ったその時にはもう口が開いていた。一気に注目を浴びる。
「全ては人間国との均衡が破れたから魔国も援軍などを出せなくなった。それのせいで……ドレッド襲ってきたともいえる」
「そうですね。そちらに手を裂いているから魔物討伐も後々になっている現状があります。つまりは……邪気がそのままになっており強力な魔物が発生する可能性が高くなっています」
アニエスさんの言葉に小さく僕は頷きクリオの肩に手を置く。
「クリオも、現状打破のためにも人間国との交易を再開させるため頑張ろう」
「ふっ、わかったよ。とにかく、不幸な人が増えないようにさっさと村長の元へ討伐報告と、彼らの勇士を語りに行こう」