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この世は愛の歌で溢れている  作者: 瑞月風花


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3/7

愛を歌えない娘の詩

 寒々しい街路樹があって、誰も寄りつかない錆びれた滑り台があって、風しか遊ばないブランコがあって、柵をつけられた砂場がある。そして私の傍には通勤用の自転車。

 私がこの時間ここに来るようになったのは、ちょうど半年前。半年間、毎日同じように家を出て、毎日同じように家に帰る、を繰り返していた。


 半年前までは違う場所にいた。母と違いどんな技術もなく、どんな資格もなく、母の金を使って短大を出た。そして、小さな工場の事務職というものに就職をして、母と同じバスに乗り始めた。最初は母と同じバスに乗って駅まで来ていたが、しばらく経って、私は自転車で駅まで来るようになった。それが今になって功を奏していた。だから、母は私の失業をまだ知らない。母はここから二駅向こうのデイケアセンターなごみ野のヘルパーをしていて、私はここから工場まで歩いて通っていた。仕事内容は一般事務だった。しかし、普通の事務職なのか、単なる世話焼き役なのか、よく分からないのが実情だった。月の終わりにはネジや金具の在庫を調べて、数をチェックし報告をする。会社に来るお客さんにはお茶を出し、企画書のコピーをする。トイレットペーパーや、ティッシュ、お茶っ葉を補充して、頂きもののお菓子を管理したり、おやつを買い出しに出かけたりする。朝礼が毎朝あって、日中は電話番をして、メモを取る。


 七年間ずっと同じ事を繰り返していて、後輩といっても技術職の男の子ばかだった。だから、職種が違うので特に先輩とも呼ばれず、愛花(あいか)ちゃん、本城(ほんじょう)さんが私への呼び名だった。小さな工場だから、それも仕方がないと思っていた。だから、これも仕方がないのだと、思おうとしていた。


 突然「愛花ちゃんごめんね」と言われて、お給料が払えないと言われたのだ。丸こくて人懐っこい社長の顔が妙に苦しそうに笑っていた。退職金も払えないから、と当選日が三日後の宝くじを渡された。しかし、それも当たらなかった。

 

 はずれくじになった次の日から仕事を探し始めた。何でも一人で出来てしまう母には失業のことなど絶対に知られたくなかった。それでも、求人欄を見ていると涙がぼろぼろと落ちて、止まらなかった。きっと私は必要とされていないのだ。これからもずっと邪魔者でしかないのだ。だって本当は生まれるべきではなった人間なんだもの。


 私のせいで母はずっと苦しんできていた。私がいなければ、母は父を待ったりしなかった。私じゃない誰かが、父ではない誰かとの間に生まれ、私じゃない誰かが、必要とされていたはずだ。


 私は必要とされない駒。


 そうやって、二週間過した。人目がないといっても、時間帯によっては人もちらほら現れる。そして、色々な意味で目立ち始めた頃、岡田直哉が現れた。


「本城愛花さんですか?」


彼は冴えないベージュのジャケットを着ていて、剥げたジーンズを穿いていた。


「はい?」


その不審者が怖くて、私は立ち上がってその場を立ち去る準備を始めていた。誰だってそうだろう。いきなり、知らない人から自分の名前が告げられる。それにしても、今は誰からも声をかけられたくないのに。


 ほら、ニュースで騒がれている連続殺人犯って言う可能性だってあったでしょう? 


 そう彼に告げたのはずっと後にになってからだ。「そっか。でもあの最初に会った日はまだ殺人事件はなかったよね」と返事をした彼に私は「でも、もしそうだったとしても、私なんか殺される価値すらないよね」と答えた。すると彼は目くじらを立てて怒った。


「それは違うと思う。そこに価値を見出そうとすること自体おかしいと思う。だって、人を殺すことなんて絶対にいけないことなんだから。死を望むなんて絶対にいけないことなんだから」


勢いよく私を完全否定した彼は、しばらく私の顔を呆然と見た後、「あっ」と気が付いた。


「ごめん、でも、不審者だと思って逃げるってことは、生きたいってことだよ」

 

 彼は信心深くて、人間が犯す過ちは全て自分に返ってくるためにあり、その全ては自分の行いで回避出来ると考えていたからだ。たとえ、それが今生で果たされなくても来世にまで引き継がれると、本気で信じていたのだ。だから、私を探して私に声をかけたのだ。


 もちろんその時は彼の素性も信条なんてものも知らなかった。だから、いや、知っていたとしても同じ行動をとっていただろう。私は逃げるようにして自転車のペダルを踏み込んだ。


私の背中に向けて「明日もここに来て下さいね」と言う声が聞こえた。

 

 それから、半月。彼は毎日私のいた場所に座っていた。一時間くらいずっとそこにいる時もあったし、ほんの五分程度しかいないこともあった。服装もあのベージュのジャケットは同じだったが、ジーンズではない時は白衣のようなものを穿いていることが多いことに気が付いた。内臓でも売ってくれ、と言うつもりなのだろうか? それとも治験者になってくれとでも? 私はそんな彼を無視して、気付かれないようにそっとくしゃみをしている彼の背後の道を通り過ぎた。彼に関わっている時間の余裕というか、気持ちの余裕というかが私には全くなかった。人心地つけるかどうかは分からなかったが、とにかく面接を受けまくっていた。そして、ことごとく落ちまくった。中途採用、即戦力。それに欠けるのだ、きっと。


 もう少し名の知れた会社にいるべきだったのだろう。


 溜め息をつくとまたあの男の姿が見えた。私は念のために腕時計を見た。剥げたジーンズに、ベージュのジャケット。今日二度目に見る彼の姿だった。確かに五時間は経っている。例えば本当に内臓をあげても構わない、とほんの少しだけ思ってしまったのだ。何もかもがうまくいかない。


「いつまでここに来るつもりですか?」


 男は震えながら「来てくれてありがとう」と言って立ち上がった。冷たい手が差し出されて、その手で私の手を掴み、握り締めた。要するに握手をした訳だ。それを握手だと思うまでに時間がかかった理由は、あまりにも彼が震えていて、貧血でも起こして倒れる寸前なのかと思えたからだ。


「すみません、あの、ここ、寒いんで、とりあえずどこか入っていいですか?」


彼のあまりにも惨めな姿を見ればそれを了承せずにはいられなかった。それから少し経って、あっ、と思い出したように、「僕、岡田直哉と言います」と自己紹介をし始めた。私も改めて「本城愛花(ほんじょうあいか)」と名乗った。


 一応駅前なので、お店には全く困らなかった。私達は時間的にも空いていたドーナツ屋さんに入った。ウッドテイストのこぢんまりとした場所で、自家製ヘルシードーナツが売りの女子向けストアだ。私はメニューから紅茶とシナモンドーナツを選び、彼はホットコーヒーとナチュラルドーナツを選んだ。店内は暖かくて、気持ちも温まるようだった。しかし、私がコートを脱いだのに対して、彼はベージュのジャケットを羽織ったまま脱ごうとしなかった。よほど凍えていたのだろう。コーヒーが運ばれてくるとそのカップで手を温め、救いを求めるようにしてコーヒーを啜り始めた。


 私はその様子を見ながら頬杖を付いていた。背を丸めた顔色の悪いその男にどこか気味の悪さすら感じてしまう。


「熱でもあるんじゃないですか?」

「あっ、いや、きっと大丈夫。ありがとう」


そう言いながら彼は鼻を啜った。全く説得力のない言葉に、私はただ自分のことだけを心配していた。明日も面接があるのに、風邪でもうつされたら大変だ、とか、母が気を利かせて、熱のある娘に変わり元職場に電話でもしたら大変だ、とか。

 コーヒーを半分くらい飲み終わると、彼も少し落ち着いたようで、やっとベージュのジャケットを脱いだ。


「すみませんでした。薄気味悪い男だと思ってたでしょう?」

「はい」


私が素直にそう答えると、男は頭に手を載せて苦笑いをした。


「そうですよね」


男が勝手に話をしているのを耳に流しながら、私は自分のシナモンドーナツを千切り、口に運んだ。噛めば余計にシナモンの香りが口の中に広がって、次に紅茶のカップに手を伸ばした。出来れば、目を合わせたくない、と本能が言っているようだった。


「僕、ここから少し離れた場所にある親愛病院に勤めているんです」


彼はとりあえず、と言った感じで身元を明かしたが、私はやっぱり、内臓か? 治験か? と思った。


「勤めてるって言っても医者じゃなくて看護士で、まだ珍しいでしょ? 男の看護士って」


男は親しげににっこり笑っていた。私は無表情に「そうですね」と言って、ドーナツを千切り口に運んだ。どうも思っていたよりもお腹が減っていたようで、一口食べるとなかなか止まらなくなってしまった。お昼を節約しすぎたのかもしれない。


「僕ね、小さい時に母親を亡くして、父も僕が就職するのを見送る形でね。癌に侵されて、若かった分進行も早くて、7年前に亡くなってしまったんです。元々体も弱くて、生への執着もなかったのかもしれません」


私は黙って聞いていた。少しは同情できる要素はある、と思ったが、「へぇ」と言うだけに止めて、もう一度紅茶を啜った。ダージリンの味がドーナツによく合っている気がした。そして、7年前って言えば、この人はいくつなのだろうと考えていた。見た感じは同い年か、少し上、もしくは下?という感じ。


「本城さん、病院の近くの工場で働いてましたよね」


突然話題が変わって、私の思考もまた変わってしまった。そして、勝手に喋り続ける彼に対して苛々しながら、最後の一口を口に放り込んだ。


働いてました。はい、そうですよ。なんだか、それが皮肉にしか聞こえなくて、私は黙っていた。そして、もしかしたらストーカー?と考えて、自分の魅力的な部分ってなんだろう、と探してみた。まぁ。冴えない男にとって、ちょうどいいくらいの女かも、と一応結論を出しておいた。


「覚えてませんか?」


私が首を傾げると、今度はガッカリしたように笑った。


「以前、工場の若い男の子が怪我をした時に来られたでしょ?」

「あぁ」


そう言えば、硝子の破片が刺さった子の付き添いで病院へ走ったことがある。ただ、彼のことは全く覚えていなかった。そして、その言葉によって臓器売買説よりストーカー説がより信憑性を深めた。


「新人さんで、不運な事故だったの」


あれは、車が跳ねた空き缶が偶然に窓に当たって、その破片が偶然に出掛けていた私の代わりに電話番をしていた彼の腕と顔に突き刺さったのだ。ちょうど、私が帰ってきて扉を開けた時だった。みんなは、愛花ちゃんじゃなくてよかった、と言ってくれたが、私はそういう気持ちにはなれなかった。私だったら良かったのに、と思っていたのだ。


「うん、でも、あれは不運なんかじゃなくて、空き缶を捨てた奴が悪いんだ」


彼はやっとドーナツをかじっておしゃべりに一息を付いた。あの事故以降電話の置いてある事務机は窓際から離されて、新しく入った窓には網目が入ったものになった。それからは空き缶が飛ぶこともなかった。


「コーヒー新しいのにしてもらう?」


彼は「はっ」として自分の腕時計を見て、慌てた。

「あっ、すみません。でももう出勤の時間が迫ってきてて、本当にすみません」

そっか、夜勤だったんだ・・・。あの病院入院も出来るって言ってたよね、確か。

「大丈夫ですか?」

彼は一瞬だけ首を傾げたが、その後すぐににっこりと笑った。


「大丈夫。夜勤だけど、何もなければずっと横になっていられるんだ」

何が得意なのか、彼の表情には『得意』の文字が私にもはっきり見てとれた。ただ、私はその時とても驚いた表情で彼を見ていたのだと思う。だって、私が何を心配しているのかを彼は確実に言い当てたように思えたんだもの。


「心配なんてしてませんよ。患者さんにうつさないでくださいね」


その言葉を聞いて彼は柔和に笑った。


 それから、どちらが待つともなしに同じ時間、同じ場所に座ることが習慣になった。そして、どこへ行くこともなく、同じベンチに座って話をする。携帯電話を二台以上持つ人がいるくらいに連絡手段の発達した時代なのに、どちらかが座ることを止めればなくなってしまう手段で、私達は会ったり会わなかったりを繰り返した。私はやっと花屋のバイトを手に入れて、週に四日間たった六時間だけ勤労の義務を果たすことに成功した。ほんの少しだけ社会の中に入ったようで、少し心が安らいだ。彼にそのことを伝えると、にっこりと笑って「よかった」と言った。それから、相変わらず意味不明の信念から出てくる言葉を発した。


「本城さんは素敵な人だよ」

「きっとあなたが変なんだよ。性格が悪くて、人付き合いが苦手で、よく思われたいと思うだけでへらへら笑うんだよ?」


もっと言えば、身近な人に対してはものすごく嫌な子にしかなれない。しかし、私が疑問符を使い出すと彼の答えはどうしてか、「もう行かなくちゃ」なのだ。変則勤務だから仕方がないのかもしれないが、謀ったように彼はそう答えて逃げていく。


私も仕方がないので自転車にまたがり、帰路へと向かう。


次は少しつながりが見えてくる予定です。

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