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第三話「極東の気高き娼婦は、目合う前に、目を合わせると言う」

ようやくもう一人の主人公、『雪風』が登場します。

「お金に物を言わせた成金趣味。気味が悪い」

ジュリエットの仰々しい悪態は、エータ社本社棟第二層部エントランスに消えていった。

あえて第一層と第三層との吹き抜けとせず、強化ガラス張りで床を形作っているのが癇に障る。

現代芸術から発展した、何をモチーフにしたのかも定かではないオブジェの群れにもだ。

だが、これらは絶えず企業努力というものを行ってきた証左でもある。

幻体バトルの雄と騒がれた、かつての有数企業の殆どは、興業の衰退と共に没落し、今は大部分が何処かの子会社か吸収合併、あるいは存在そのものが解体されている。

存命しているのは、此処と、欧州のミナ社と、亜細亜の青大連星公司、あとは同じ亜細亜でジパニアのハイ・パワー社だろうか。

その全てがいまだに、道楽に近い幻体とその興業に携わることが出来る。

特にエータの力は幻体の衰退とは真逆の右肩上がりだ。

元は幻体それ専門として立ち上げられた企業だが、創立当初から生体及び遺伝子改良技術の方面で多角経営を繰り広げていた。

市販製薬から生物重工業まで。

それはもはや現在では、『風邪薬から局地的生物化学兵器』と噂される具合だ。

だが、いくら優れた企業と言えど自分の好き好みとは大きくかけ離れている。

何かのスキャンダルでも起こしてさっさと潰れればいい。

もっとも、今のエータなら多少の不都合くらい簡単に消し去ることが出来るだろうが。

「そんなに切り捨てないでほしい。力があるならそれを示すのも、力だから」

先ほどから見えていた、こちらに近づいてくる男が、誰と判別できる位置まで歩み寄ってきた時に、そんな言葉をジュリエットへ向けて転がした。

先ほどの蔑言は、それを発したときは男には聞こえるはずもないほどに距離が生じていた。

だとしたら、わが身の周りに広がる黒服にマイクでも仕込んでいたのだろうか。

理由は定かではないが、ジュリエットは落胆に近いものを感じた。

しばらく見ない間に、すっかり『エータ色』に染まったようで。

「久しぶり、アレックス。もう二度と実際には会わないと思ってた。と言うか、電子手紙に名前を書いたんだから、出迎えるのはあなたじゃない?」

「ちょっと込み入ってて。ティーチャーに頼みたい、『仕事』のことで。また会えて嬉しい、ティーチャー」

ジュリエットも、彼女に『アレックス』と呼ばれた男も、互いに手を差し伸べて握手しようとしなかった。

互いに互いを、そのような仲ではないと考えているからだ。

ジュリエットは吟味するように、男の全身を眺める。

洒落気を残した金髪。

比較的大柄な体躯を包む背広。

あの頃から変わらず、声は妙に甘ったるい。

15年と言う歳月が、かつての『教え子』を『男』に変えたようだ。

アレクサンドロア=イーストマン。

ジュリエットが贈った愛称は、『アレックス』。

かつてエータ社に『使えるかどうか見定めよ』と請われ、『クイーン』と呼ばれていた時期には当時のマネージャーと同じく右腕として使役していた。

人為的な遺伝子操作を受けた第二世代型改良亜人類の17歳は、一人前の逞しい33歳となってジュリエットの前に現れたのだ。

「おまえたちは此処まででいい。後は俺がお連れする」

アレクサンドロアの言葉に、黒服達はすぐさま解散する。

その光景に釣られ、ジュリエットの鼻孔から僅かに息が漏れ嘲笑った。

どうやらエータの中でそれなりの地位を得たらしい。

元々は、人間用の大学、それも名門と呼ばれる学府において、14歳にして類まれなる頭脳明、当時の首席で卒業した男だ。

これからは、さらにこの男のような、人の手で作られた天才が跋扈していくのだろう。

だが、それでも『旧人類』、とりわけエータの首脳部が居場所を失わないのは、ひとえに奴らが『創造主』である所以だ。

「さあ、ティーチャー、行こう」

「私をエスコートするなんて、10年早い。たとえ10年経っても、その時私は10歳年を取ってるから、さらに10年必要だけど」

「・・・ティーチャーが先頭を歩く?」

「面倒だから、あなたが案内して」

そのような言葉の応酬を繰り広げた後、ジュリエットは本社棟の奥へ進んでいく元教え子に追随した。


「この15年はどこで何を?」

「どうせエータの情報網を使って知ってるでしょ?何でもないよ、ただ普通に生きていただけ」

「・・・寂しいな」

「そういう台詞が吐けるってことはやっぱり知ってるんでしょ?かく言うアレックスはどうなの?」

エレベーターの文字盤の前に陣取る男の背に、ジュリエットは疑問を投げかけた。

先ほどから随分上昇している。

おそらく行先は最上部に近いところだろう。

そこで何が待ち構えているかは定かではないが。

「ずっとエータにいる。ティーチャーの口添えのお蔭で、役員より少しだけ低い立場にいて、大事な仕事も任されている」

「そう、それは大層めでたいことね」

ジュリエットは先ほどから右手で、ライターを蓋を開け閉めして弄っている。

エレベーターに乗る前に、身体検査場において、これと煙草以外は全て没収された。

否、その表現は正しくない。

実際は、ハイ・パワー社製の暴漢撃退用ショックスプレーなどが入ったバッグを検査員に投げ渡し、「自己申告したから、これだけは見逃せ」と半ば強引に喫煙道具だけは持ち込んだのだ。

ジパニアの規制に合わせ、エータ社製に比べ幾段威力が劣るハイ・パワー社製を仕込んでいたのは、ジュリエットの嫌悪に通じる信念からだ。

「着いた」

そのようなやり取りの末、エレベーターは動作を停止させ、扉を開いた。

エレベーターから見える光景は、また扉。

それも、おそらく超硬合金製と思しき、隔壁だ。

アレクサンドロアの後ろに付いて、ジュリエットはエレベーターから降りる。

「これが最後の確認。この先に入れば、『仕事』を受けても受けなくても、エータの草がしばらく監視に付く。今なら、まだ引き返せる」

身体ごと振り向いたアレクサンドロアが、真剣な面持ちでジュリエットを見つめる。

体格差が横たわるそれは、見下ろすに近い。

かつての教え子の神妙な面持ちに対して、ジュリエットがもう一度鼻で嘲笑った。

「どうせ、今までもそうしてたんでしょ?だったら何も変わらないじゃない。私はただ、あなたを含めて、エータの現状を笑いに来ただけ」

「・・・『あれ』を笑えるなら」

アレクサンドロアが隔壁に備え付けられた電子盤を操作する。

最後に自身のネームプレートから取り出したカードキーを滑らせると、仰々しい態度で扉が左右に開いた。

中は白く広い空間だった。

隔壁が開ききると、アレクサンドロアに続いて、ジュリエットもそこ踏み入る。

まるでエントランスのような天井が広い場所だ。

だが、一面が飾り気のない白。

行き交う人間もまた、大体が白衣か白の作業着だ。

「ここがエータの裏の顔。中枢技術研究開発部。ここで生まれたものの中で有益なものが、商品として世に出回る」

「それこそ、『風邪薬から局地的生物化学兵器』?」

「今は直接的な兵器開発は規制が厳しいから、遺伝子操作をして、カメラ的偵察機能と暗号電波送信が可能な羽虫の研究が一番力を入れている。あと一歩で、第一世代が実用化まで漕ぎつくところ」

「実際に、私の監視にそれを使った?」

「・・・一度だけ、と聞かされた」

「呆れた」

言葉だけで、実際にその素振りを見せないジュリエット。

彼女のエータに対する心情は、15年前から氷山のように冷め切っている所為だ。

いまさら、改めて落胆することは無い。

「ティーチャーに頼みたいものは一番奥。まだちょっと歩く」

「あっそ」

アレクサンドロアとジュリエットは白装束の群れをすり抜けて進んでいく。

二人は注目の的だ。

正確にはジュリエットだけが。

シャツにジーンズという出で立ちは、この場所において明らかに異質だ。

だが、それでいいとジュリエットは考える。

身なりを同じくし、この物狂い達の仲間入りをする気など、考えただけで身の毛もよだつ。


「ここが観察室」

ジュリエットがアレクサンドロアに通されたのは、中枢技術研究開発部の最深部、最後に小さな隔壁を抜けた先。

中央にテーブルが置かれ、機材や書類で散らかった小部屋だった。

そこに白衣の男女が6人ほど。

皆、一様に『客人』であるジュリエットを眺めた。

「そんなに見つめないでよ、穴が開く」

ジュリエットの悪態をよそに、白衣の一人、小太りの中年男性が寄ってきた。

「ようこそ、ミス・チュージョー。私が部長特務補佐からここを任されている、スティーブ=マイヤーズです」

「部長特務補佐って、アレックスのこと?」

「はい、どうぞこれからよろしく」

ジュリエットは握手を求める男の右手を、自身の右手をかざして跳ね除けると、小部屋の奥に歩みを進める。

そこは一面にガラスが貼っており、その奥にはさらにもう一つの部屋が見える。

ガラスではないだろう、いつもの手口だ。

『あちら』からは『こちら』を窺うことは叶わないはず。

「で、『仕事』っていうのは?さっさと説明してよ。今すぐにでも馬鹿にしたいから」

ジュリエットは監視窓の前へと行く着く。

そこから『中』を窺うと、一人の少年。

違う、『人間』ではない。

身なりこそ質素な肌着と短裾のズボンだが、生身の部分は人間と大きく異なっている。

まず目に付くのが、二対四本の腕。

肌着の外、露出した腕や肩、首筋には白い短毛が生えそろっている。

おそらく衣服の下にもだろう。

人間の少年らしきく仕上げた短髪も白いが、眼は青い。

以上の事柄を踏まえれば、間違いなくあの者は幻体の幼生。

白い体毛は白化個体か、はたまた遺伝子操作か。

幼生は部屋の中央で蹲り、その付近には知能検査の道具と思われる玩具に似た器具。

ジュリエットの唇の先が、引き攣る。

今更、こんなものを見せるために自分を呼んだのか。

「『仕事』ってあれ?また私に幻体のお尻を拭わせたいの?勘弁してよ。これじゃあ、悪い冗談にもならない」

「あなたを冗談でお呼びしたわけではありません、ミス・チュージョー」

いつの間にか自身の左横に並んでいたマイヤーズ主任が応える。

右の横にはアレクサンドロア。

挟むような形だ。

逃げるとでも思っているのか。

出来ることなら今すぐ逃げ出したいものだが。

「ティーチャーがかつて、俺をエータに口添えしたように、俺がティーチャーを推薦した」

「ありがた迷惑」

「あの個体は中東の紛争地域、爆撃で廃村となった場所でアメリナ軍の亜人間部隊に発見されました。そして、此処に運び込まれたのは4日前。薄い膜状、ミス・チュージョーもご存じだと思われる、幻体の『軟卵』から孵化したのが、翌日。発見当初、自身の翅で包み、寄り添うように倒れていた『親』はその時には既に死亡、半ば腐乱死体のような状態だったようです」

「・・・」

ジュリエットの顔が強張る。

幻体が紛争地域で活動する理由はたった一つ。

そして、たった一種類。

都市伝説のようなものだ。

今の今まで、ジュリエットもそう考えていた。

幻体開発の黎明期、偶然にして強大な力を持つ幻体が生まれたらしい。

幻体の力の源、幻転子を通常の幻体より、多量に、効率的に、純粋な戦闘能力として扱える『それ』は、興業である幻体バトルには役不足だった。

行き着く先は、加減なくその力を振るえる場所、戦場だ。

かつて、何体ものそれが戦火の中で散り、生き残った一部は、作り物であっても一つの生命体とも思わない、残虐極まる実験や解剖に送り込まれたとのことだ。

まさか実在するとは。

そして、それの幻飼を自分に押し付けるとは。

たとえ法では何の支障にも触れない亜生物であっても、誰かが惨めに死んでいく世界を心から嫌った自分に。

「これまでの実験で、あの個体が持つ幻転子発動指数は判明しています。現時点で、一般的な幻体バトルに用いられる幻体を軽く凌駕しています。『羽化』すれば、間違いなく最強の幻体となるでしょう」

「最低、本当に最低。あなたたち・・・」

「ティーチャーももう分かると思う。あれは『雪風』。最強の幻体の幼生」

「『親』の、47番個体である『ガーディアン雪風』から名付けた個別識別名は、『プロテクト雪風』です。ミス・チュジョーにお頼みしたいこととは、あの個体が無事に羽化するところまで幻飼として、世話をして頂きたいのです」

「最低・・・最低の最低以下・・・」

苦悶の表情浮かべるジュリエットの双眸には、件の『雪風』が前方、つまりは観察窓を眺めている光景。

あちら側からでは自分のことなど確認できないはずなのに、何故か彼女は幻体と視線が交差したと錯覚した。

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