第一話「2036年目の憂鬱」
この作品において「SF」とは、「Struggle of Flamboyant colors」の略です。
未体験の興奮を体感せよ!『幻体』バトル!
『幻体』は、『エータ・ジェネレーション』社が開発し、次世代の格闘技興業を盛り上げるべく他社へ情報提供した、次世代型亜生物ヒューマイド!
人間と蛾を組み合わせて生まれたそれは、正に現代に蘇った異形の剣闘士!
戦うために生まれてきた彼らが、今宵もスタジアムで生と死の火花を散らす!
本家エータ・ジェネレーション社のホームスタジアム、マンハルタ島第一幻体バトルスタジアム・『ネオ・コロッセオ』で、この情熱の決闘を見届けよう!
(『幻体』は法律で定められた遺伝子配合率を厳守しており、死亡率が極めて高い『特殊格闘技』において、『人間』はプレイヤーとして一切参加させておりません。)
今夜の興業が終了した後に、スタジアムから暇つぶしとして拝借した無料配布のパンフレットに目を通したジュリエット=ステファー=チュージョーは、そこに踊る文字列を鼻で笑った。
よくぞここまで恥知らずに宣伝できるものだ。
しかし、自分もまたエータ・ジェネレーションの広告塔。
だが、今日でそれも終わりにするつもりだ。
「はい、これあげる」
ジュリエットは、彼女と同じく後部座席に座る、左隣のマネージャーへ顔を背けながら手渡した。
ジュリエットの興味は今やマンハルタ島を囲むように築かれ、現在彼女が乗車している送迎車が走行するマンハルタ環状有料路だ。
彼女から見て右手に張られた窓ガラスからは、ライトを輝かせる対向車が行き交う反対車線が見て取れる。
それにしても、超特殊硬化スポンジのタイヤを履くこの車は怖ろしく快適だ。
ジパニア国のブリヂスチル社が開発したこれは、価格以外のあらゆる面を前世代の空気チューズ使用を上回っている。
21世紀に突入してからというもの、科学技術の発展は目覚ましい。
良くも、悪くもだ。
「ジュリー、本気なのか?本当にエータとの契約を破棄するのか?」
「・・・今更聞き返さないでよ」
ジュリエットはいまだ振り返らない。
車外へその視線を投げかけ続けている。
だが実際は、胸中はそこに興味など微塵も感じていなかった。
この行為は、紛らわすためのもの。
不安を、苛立ちを、決意を、絶望を。
「ついこの前に契約を更新したばかりじゃないか。違約金でどれだけ分捕られることか」
「それくらい払えるくらいの貯えはあるでしょ?それに・・・大切なのは私よりお金?」
幻体バトルにおいて、トレーナーであり、セコンドであり、監督であり、そして幻体と二人三脚で戦う者は、『幻飼』と呼ばれている。
ジュリエットは幻体バトルの本家、エータ・ジェネレーション社と専属契約を交わしている幻飼の一人。
もうすぐ、あと数時間後には「だった」になる者。
ジュリエットは今日の興業試合を最後に、一方的に契約を白紙にすることを決めた。
後はその意をマネージャーを通じて、エータに伝えれば完了だ。
簡単な話だ。
後の面倒な処理は全てマネージャーが行うだろう。
その為に、自らの横に置いているのだから。
だが、エータに契約の破棄を持ちかける段階になって、自らの考えにマネージャーそのものが反対を表明した。
「・・・ゴルドカスケイドは残念に思う。誰だって期待していた幻体だった。だが、こういうのは初めてじゃないだろ?これくらいで辞めるってナーバスすぎじゃないか?」
「・・・別にゴルドカスケイドが負けたからじゃないし。どちらかと言えば、そういう考えが蔓延ってるから」
今日の興業試合において、ジュリエットが擁する幻体の中では最も注目されていた新体である、ゴルドカスケイドが死を以って敗北を喫した。
むごい最後だった。
彼女の脳裏には、顔面を半分潰された件の幻体がステージの中央に崩れ落ちるのと、その様を見て絶望する自らのファンと、立ち上がり狂喜する試合相手のサポーター、それが半々。
きっと誰も彼の死を心から悲しんだりはしないだろう。
明日の新聞には大々的に彼の名が踊り、試合結果と言う訃報はそれなりの期間で話題になるが、しばらくすれば大部分において記憶の隅にさえ留められないはず。
ジュリエット自身もそうだ。
ゴルドカスケイドを含めた、全ての幻体のことをしばらくは、出来ることなら二度と考えたくもない。
「何が不満だ?金か?世間か?待遇か?」
「そうやって逃げてる風に勝手に決めつけないでよ」
「じゃあ何だって言うんだ?大体、お前の他の幻体はどうなる?」
「エータが見せしめに買い取るでしょ?『クイーン』の幻体ならいくらでも欲しがる幻飼はいるし。もしかしたら愛玩用に競売行きにするかもしれないし」
おそらく、十中八九、間違いなく、ジュリエットの言葉は現実になるだろう。
今日で戦績は78戦中の69勝9敗、幻体バトル史上最強と名高い女流幻飼、『クイーン』の異名を恣にする自分の幻体を欲する者は多い。
もしくは、後の興業を考えて、エータ社そのものがその采配を執るかもしれない。
それに、幻体は性処理用亜生物としての人気も高い。
法律上の、人間の定義から外れるように設計されている彼らに対して、虐殺に限りなく近い性交を行ったとしても、罪に問われる心配はない。
ジュリット自身としては、男の欲望を満たすだけに命を散らすよりも、有能な幻飼に引き取られる方を望むが、自分が口出しできる範囲を超えているのが現実だ。
「・・・お前はそれでいいのか?」
「良くないと思ってるなら契約破棄なんてしないでしょ?」
「・・・信じられねえ」
自らの右腕が吐き出した悪態を、ジュリエットは聞き流すことは出来なかった。
「どうせ、自分が食うためにってことを一番に考えてるんでしょ?エータの違約金を払ったら、常識の範囲内で好きなだけ請求してよ。無駄な贅沢はそんなにしなかったし」
「悪いが、絶対にそうさせて貰う」
これだから21世紀生まれは反骨精神が足りないと言われるんだ、とジュリエットは胸中だけで忠告した。
これだけ小馬鹿にしたような物言いなのに、激昂一つ見せないとは。
あるいは、上下関係に恐縮しているのか。
いずれにしても、自身と会話の相手とは置かれている境遇や生まれが違う。
この時になって、ジュリエットは乗車後初めてマネージャーと顔を合わせた。
今更人種差別を掲げることは時代遅れと感じながらも、神妙な面持ちをする年下の黒人男性に対して、もう一度心の内で21世紀生まれと呟いた。
ジュリエットとこの者では7歳だけの違い、彼女自身も今世紀生まれに近い生歴2000年の生まれだが。
「これからどうする?」
「まずは、とりあえず南米でゆっくりするつもり。あとは考えてない。ジパニアには必ず行こうとは思ってるけど」
「何処に行っても待ってるのは、メディア屋のカメラとマイクだぞ?」
「それもお金で黙らせてよ?あまりにも横暴ならさっさと裁判に持ち込んでもいいし」
情報過多の時代を迎えて数十年。
ようやく最近になって、本格的に個人の都合や生活を保護する動きが高まった。
そんな時代において、危険を承知して機器を片手に付け回す連中は少ない。
身銭を切れば簡単に身を引いてくれるだろう。
それでも蔓延る出歯亀には、法の力で灸をすえれば済むだけの話だ。
「・・・やっぱり、このまま空港に向かって。あっちで腰を落ち着けたら必要なものは連絡するから送って」
「俺も空港まで付き合うのかよ」
ジュリエットが運転手に投げかけた言葉へ、隣のマネージャーが反応する。
「・・・これ、あげるから。前に会ったあなたの彼女が欲しがってたでしょ?」
ジュリエットは左手首から金色の腕時計を外すと、ベルトの端をつまんで男の眼前へと持ち上げた。
文字盤に凝った意匠が踊るそれは、海外の有名装飾品企業に特注で作らせた高級品だ。
現代において、高給取りの筆頭である幻飼の彼女が。
家も車も身なりも幻飼として最低限度の矜持を保てるほどしか持ち合わせていなかった彼女が、自身で望んだ数少ない贅沢の一つだ。
「そんな理由で貰っても、渡せるかよ」
「・・・要らないなら。これ、今から窓から投げ捨てるけど?」
「勝手にしろ」
環状路に流れる夜の風は頬に受けて気持ちがいい。
マネージャーの言葉を聞き届けたジュリエットは、予告通りそれを車窓を開けて投げ放った。
車の行き交う騒音にかき消されて、地面に落下したことさえも確認できなかった。
そそくさと、ジュリエットは手元の操作盤を弄って窓を閉めた。
「面倒な女だと思って、思ってたでしょ?」
「女なんていつもそうだ」
「・・・利いた風な口はやめてよ」
「で、何が不満なんだ?」
「・・・全部、全部。全部気に入らないから私の方から消えるだけ」
明確な理由は無い。
それが存在していたら、耐える道を選んでいた可能性もある。
だが、現に自分はこうして気だるさを抱きながら逃避行の真っ最中だ。
どうせなら雨でも降ってほしい。
そうすれば、憂いが上塗りされ、少しでも気分が晴れるかもしれない。
結局、マンハルタの新空港に到着するまで、ジュリエットは一言も口を開かなかった。
それが、彼女が36歳で選んだ自戒を帯びた巡礼の始まりだった。