表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

大国様シリーズ

大国様が本気で義父を攻略するようです・四

作者: 八島えく

このお話は、男性同士の恋愛表現がございます。閲覧の際はご注意ください。

 午前に嘘をついても許される日というものがあるそうです。

 嘘、といっても罪のない嘘に限定されますが、私のつこうとしている嘘はある意味で罪深いでしょう。

 しかし、この日の嘘には続きがあるのです。


 ですから、この嘘をつかせてください。


 最初に謝っておきますね、ごめんなさい、お義父さん?



 ~大国様が本気で義父を攻略するようです・四~


 

 桜がいつの間にか散っていた。

 つい先日までは、惜しげもなく咲き乱れていたというのに。気が付いたらもう散って、緑が生まれ始めている。

 

 そしてまたふと意識したら、今度は深緑に生い茂って、風に揺られて、涼しげな音を鳴らすのだろうか。

 俺――建速素佐之男は、そんなことを考えながら、屋敷の庭で出雲の桜を眺めていた。


 花が咲いているうちにと、出雲に住む神々を集めて花見をしたのがつい数日前。

 出雲の桜は、咲くのが早かった。卯月に入る前に桜が満開になり、卯月に入ってすぐ、葉を生やしてきた。


 花見に、姉を誘えばよかった、とか、夜の花見だったら兄貴も参加できただろうかとか、普段なら考えないようなことを、俺は心の内でもんもんと巡らせている。

 逆に言えば、こういう難しいこととか、過ぎたことをあれこれ考えることはしないたちなのだ。

 そんな俺がなぜこうもぼんやり悩んでいるかというと、認めるのも癪だが義理の息子――大国が原因である。


 大国――大国主はここ出雲に住む、国つ神のボスである。

 ことの始まりは数月前。大国が義父である俺に向かって放った爆弾発言が発端だった。



「お義父さん、私と子作りしてください!!」



 おそらく「馬鹿か!!」とも「頭わいてんのか!!」とか「精神科へ行け!!」とかそういう罵倒ができなかったのは、あまりの唐突さと衝撃に、頭がついていかなかったからだと思う。

 相手は女っタラシの大国主。あらゆる手段でもって女神という女神をひっかけるどうしようもない奴。そんな奴と共になるなど冗談じゃない。ましてや俺は男だ。そう。最初はそう思っていた。


 だけれど、落ち着いて考えていくうち、大国のあの発言に冗談は欠片もなく、本気でぶつかってきたことなのだと気づいた。

 決して冗談なんかじゃない。あの時に俺を見据えた瞳は、どこまでもまっすぐで曇りがなかった。


 だから、俺はその求愛に乗ってやった。

『変化球じゃなく直球でぶつかってきたら、ちょっとは揺らいでやるかもな』

 


 この大国の直球の求愛を、俺は今でも拒み続けている。

 だって一度受け入れてくれた誰かから、気持ちが変わって拒絶されるということがどうしようもなく怖いから。


 大国はあれでも、関係を持った女神のことは最後まできっちり面倒見ている。生まれた子供のことも、教育費だけ投げてあとは放置、なんて屑みたいなことで済ませない。

 ちゃんと子供の成長を見守ってる。あれで責任感は強い方だ。たぶん、俺のことも同じように最後まで面倒みるんだろう。字面だけ見ると老後の世話をしてもらうみたいで何か嫌だ。


 

「父さん」

 庭でぼんやりしていた俺に声をかけたのは、息子(義理じゃなくてほんとに息子)のヤシマジヌミだった。いつもお山に行っては狩りをして、留守にしがちなこいつが出雲に来るのはめずらしい。ましてや、嫁を連れてここに数日泊まるだなんて。

「ヤシマか。どうした」

「いえ、父さんが何だか元気がないように見えたので。チルも心配していました」

 チル、とは此花知流姫(このはなちるひめ)という、ヤシマの嫁である。

「別に、何でもないさ」

「おー君と何かありましたか?」

 天然で年中呆けている割に、この息子はなかなか鋭いらしい。ちなみに「おー君」とは大国のことである。

 よっこいせ、とヤシマが隣に座る。

「……よくわかったな」

「父さんがぼんやりしたり、悩んだりするのってそれくらいですから」

「否定できない自分が悔しい」

 俺はへらっと苦笑する。


「……で、父さん? おー君と何かあったんですか? 僕でよければ相談に乗りますよ。話を聞くだけですが」

「いや、ありがたい。話すだけでも結構楽になるんだよな」

「はい。よかったら話してください。無理にとは申しませんけど」

「話させてくれ、今ちょっと辛いんだ」

「父さん」


 俺はうだうだと情けなく、息子に悩みを打ち明けた。


 

 話は簡単。義理の息子・大国の態度が急にそっけなくなったことである。

 卯月の朔日、朝起きてからというもの、大国は無表情を決め込んでいた。


 それも俺に対してのみである。他の女神や子供達にはそれなりに笑顔を向けるのに、俺にだけはそれを向けない。


 怒らせてしまったのだろうか。だとすれば、心当たりがない。昔は大国が気に入らなくて、蛇だらけの部屋に閉じ込めたり貧弱だからと無理やり体を鍛えさせたりと、今にして思えば婿いびりもいいところなものをしてきていた。

 だが今はそういうことはしない。あんなド直球な求愛されて、いびることなどできやしない。

 いや、いびりとかそういうものだけじゃなく、あんなに本気の直球をぶつけられたら、今まで通り接することがまず不可能だ。


 とにかく、身に覚えがないといえばウソにはなる。が、つい最近、大国を怒らせてしまったことなどまるで想像がつかないのだ。

 酒をこっそり盗んだとか菓子を食ったとかもないし、馬鹿にすることも陰口もしていない。


 知らず知らずのうちに怒らせてしまった可能性が一番高い。

 だがそれを本人から聞くのがこわい。嫌われるようなことを、自分が無意識にしてしまっていたのだとしたら、それは考えたくないことだった。


 

「……父さんがしょんぼりしている理由は、わかりました」

「そう……」

「早い話、おー君に聞けばいいんじゃないですか?」

「それができりゃここでうだうだしてねえ」

「あ、それもそうですね」

 あはは、とヤシマは笑う。他人事みてえにへらへらしやがって。でもそのへらへらした笑顔に何となく救われる。

「うーん、おー君が、父さんに冷たくなってしまうなんて考えられませんねー。おー君の、父さんに対する情熱は出雲では有名どころか常識になりつつありますから」

「そんなに?」

「はい、そんなにです。それに、父さんがおー君を怒らせたというのもなさそうです」

「どうしてそう言い切れるのさ」

「だって父さんの婿いびりも涼しい顔して乗り越えたような方が、今更怒るなんてありえませんから」

「ああ……」

 あれほどひどいことをしても笑って「気にしていません」という義理の息子が、今更義父の幼稚ないたずらなんかじゃ怒るに足らんということか。ヤシマが言うと妙に説得力がある。優しく説き伏せるような口調は、聞き手を安心させるんだろう。

 だとしたら何だろう、大国がきゅうに冷たい目で俺を一瞥するようになったわけは。


 ヤシマがうーんと首をかしげる。少し伸びた横髪をいじり、目を泳がせながら、原因を頭の中でさぐる。

 そうして数秒、ヤシマが、「あ」と思いついたような間抜けた声を出したのはすぐだった。

「原因、わかったのか」

 俺は飛び付く。原因さえわかれば、大国の機嫌を直すヒントになりえるからだ。それがどうしても欲しかった。大国が冷たいまんまでいるのは耐えられない。


 どちらが父親でどちらが息子なのかわからない。物語の続きを迫る子供のように、俺はヤシマに答えをせがむ。

 鼻先がくっつきそうになるまでヤシマに迫る。ヤシマは胴をそらせて俺から距離を取ろうとする。

「どうなんだ? わかったのか? 教えてくれ!」

「とーさん、顔近いです……。このままじゃちゅーしちゃいますよ」

「あ、あぁ、ごめん……」

 言われて、慌てて離れる。実の息子と口づけなんて冗談じゃない。

「もう、僕は唇同士のちゅーはチルとしかしない主義なんですからね」

「そういうことは言わんでいい」

「ほっぺやおでこにちゅーならセーフですよ」

「そういうことも言わんでいい」

「あはは、ごめんなさい。……えーと、それでなんでしたっけ」

「お前な……。大国が怒ってるわけ!」

 あ、そうでした、とヤシマは間抜けに言う。


「父さん、気にすることはないですよ」

「何でだっ。ずっとこのまま冷たいまんまだったらどうするんだよ!」

「ああ、ずっとじゃないですよ。おそらく今日……いえ半日で終わると思います」

「半日? なんでそんなことまで分かるんだ?」

 ヤシマはすっと立ち上がる。これ以上は何も教えてくれないのだろう。

「お昼の鐘が鳴る前に、おー君に聞いてみるといいですよ」

 そう言って、ヤシマは消えて行った。真相は、本人に聞け、ということだ。



 ヤシマがチルのもとへ行ってしまって一人残され、俺ははっとした。

 

 ――どうして、大国に嫌われたまんまが怖いなんて思った?


 別に嫌われるなんてどうでもいいことのはずだ。だって、大国の求愛はずっと拒み続けているんだから。

 あいつの、心臓に毒な求愛に振り回されなくて済むんだ。

 そして出雲の屋敷を出る言い訳にもなる。俺は大昔に、須賀の屋敷で起こった大火事に巻き込まれて大火傷を負ったことがある。その療養として、半ば無理やりに出雲の屋敷へ連れてこられた。それから数百年は経っていて、もちろん火傷だって治ってる。子供のことがあるとか、大国の息子たちにもっといて欲しいとか甘えられることを言い訳に、ずるずると出雲に居候していたのだ。

 

 その心苦しさから解放されるんだ。求愛がなくなる。須賀に帰れる。須賀で静かに暮らせる。それでいいじゃないか。


 なのに、何で?


 どうして大国の機嫌を直そうと必死になってんだ?


 その気持ちの理由を認めたくない。認めたら、大国に揺らいだことを証明してしまうから。

 俺はあいつの義父だ。そして天下のスサノオ様だ。スサノオは強く雄々しく、人間や神々、果ては妖怪や異国の神々から恐れられ、頼られる存在でなければならない。

 そんな自分が、一柱の国つ神に惑わされ振り回され、乱されるなんてことがあってはならない。簡単に揺らいじゃならないんだ。


 ――おかしい。こんな気持ち、持っちゃいけない。


 だって、俺はスサノオなのだから。



 昼直前、俺は大国の部屋を訪れた。そこに大国がいると、ご丁寧に木俣が教えてくれたのだ。

 別に大国に嫌われるのが怖いわけじゃ、決してない。ただ、理由もなく、態度を変えられることが気になったというだけだ。深い意味はない。別に大国がどうとか好かれたいとかそういうことは一切、かけらもない。


「大国、入るぞ」

「どうぞ」

 いつもなら、「おや、お義父さん」と完璧な微笑でもって俺を迎える大国が、今回はこちらに顔を向けもしない。熱心に自分の結った髪を眺めている。枝毛でも気にしてるんだろうか。


「なあ、こっち向いてくれよ」

「はあ、それは失礼」

 ぱっ、とまとめた髪から指を離し、優雅な動作でこちらを向く。

 背筋が伸びて、ゆったり落ち着いたその姿は絵になる。

 艶のある黒髪、整った顔立ち、完璧な動作にきっちり着こなした着物。すべてが完全で、甘い言葉の一つでも耳元で囁けばたいていの女神は落ちる。落ちない女神ったら俺の母か姉、あるいは叔母くらいのものだろう。


 俺は大国と面向かうように、腰を下ろした。こちらを見据えるその目は冷たい。容赦がない。いつもの穏やかなまなざしは、消えている。

 こんな冷えた目は、大国が祟り神に堕ちかけた時以来かもしれない。何をきっかけにしたかは分からないけど、大国は遠い昔に、日本全土を巻き込み、太陽の女神である姉でさえ対処できないほどの強い祟りを起こしたことがある。その時の目が、今と重なる。


 あの時は別に怖くもなんともなかった。祟り神になりかけた義理の息子を何とかして助けたかったから。

 気持ちが落ち着いていると、同じ目でもこんなに違うのかと驚く。ひるんでしまいそうになる自分を、心の中で叱った。相手は義理の息子だ。何を怯えることがある。


「それで、如何いたしましたか、義父上」

 他人行儀な呼び方をする。要件があるならさっさと終わらせろと言いたげだ。


「聞きたいことがあるんだけどさ」

「何でしょうか。なるべく手短にお願いしますね」

 いつもは甘い声なのに、今だけ鋭くてひんやりする。大国はこんなに怖い声も出せたのかと今更発見してしまった。

 

 有無を言わさぬ重圧に負けそうになるが、幼稚な強がりが俺を助けてくれる。一つ聞いて、理由を教えてもらって、それでおしまい。

 だから、いいのだ。何も気負う必要はない。


「なあ、何でいきなり冷たくなった? 何かしたなら正直に言ってくれ」

「はあ、特に何もされておりません」

「ああ? 何もされてないならどうしていきなり態度が変わるんだ? それも俺にだけ。他の神々にはいつも通り接してるのに」

「おや、中々鈍いのですね」

「何?」



「お気づきになりませんでしたか? 私は貴方が嫌いなのですよ」



 大国が何を俺に言ったのか、一瞬わからなかった。

 えっと、嫌いって言った、んだよな? うん、そう言った。


 その一言が、俺を縛る。

「そうかよ、せいせいしたわ。じゃあ嫌われてる相手と同居する理由もなし、須賀に帰るわ」と憎まれ口を言う余裕すらない。


 思わず目を見張る。膝の上に置いた手が、かたかた震える。口を開いたはいいものの、言葉が出てこない。何もしゃべれない。

 息を吸って吐いて、だけで精いっぱいだ。何かを喋ろうとするとたちまち言葉に詰まる。


 

 別に、嫌われることなんてどうでもいい。慣れてることだ。

 俺はスサノオ。暴れん坊の英雄。高天原を追われた乱暴な神。


 そして日本を守る武神でもある。俺は、常にひとりでいなければならない。だって強くなきゃいけないから。

 強くあることで、誰からも恐れられ、日本を脅かそうとする者の戦意をそぐことができる。その結果、誰もが怖がって、俺の周りは常にぽっかりと寂しい空間ができる。


 そう。だから今更誰かに嫌われたり恨まれたり、命を狙われたりするのなんてなんとも思わない。たとえ姉や兄に見捨てられても、嫁を失っても、娘が離れて行っても、いつか来る試練だと思って受け止めるだろう。

 だって俺はスサノオなのだから。



 なのに、どうして。

 


 どうして、大国に一言「嫌い」と言われただけで、こんなにも怖くなるんだ?



 教育と心臓に悪い求愛からやっと解放されるんだぞ。あいつに貞操を狙われることもなくなるんだぞ。

 須賀に帰る理由もできたし、いけすかない義理の息子から離れることができる、格好のきっかけじゃないか。


 なんで、どうして!!

 何も言えない。言い返す言葉もうまく出せない。逃げることも、腹いせに睨み返すことも殴ることもできない。体がすくんで、自在に動かすことができない。


 

 認めたくない。こんな感情に呑まれてしまう理由に気づいてしまうから。

 嫌われるのが、怖い。

 大国に嫌われた。その恐怖の裏は……大国が好きだという思い。


「な、え……と」

 やっと出てきた言葉は言葉じゃない。なんで? ともいえない。言葉が詰まる。どう反応していいかわからない。


 わからない。どうしてこんなにも怖くなったのか、わかりたくない。認めたくない。



「っ、お義父さん」


 目の前の大国が、ぎょっとしていた。あの冷たい目が消えて、焦燥を募らせる。

 すっと俺に近づいて、そっと手を伸ばす。

 柔らかくて暖かい手が、俺の顔に触れた。


 そこでようやく気付いたのだ。


「お義父さん、泣かないでください」


 自分は、みっともなくぼろぼろ涙を流して、泣いていた。 



 

 ――俺、スサノオは、どうしようもない臆病者だ。

 姉や兄、母からは愛されていた、と思う。高天原にいたころは、よく姉が俺のところへ通っていた。自分で織った装束を俺に着せようと、毎日毎日俺に贈ってくれていた。

 兄もそう。兄は夜にならなければ活動しなかったけど、たまに俺が夜更かしして兄のもとへ遊びに行くと、優しい笑顔で迎え入れてくれた。

 母は末っ子の俺を何かと心配してくれた。黄泉へと訪れる俺を屋敷に招き入れて、醜女たちに自慢する。「自慢の末息子よぉ。大きくなったでしょ」と。



 だけど、俺はそれでも怖がっていた。父親に見放されたことがたぶん原因なんじゃないかと思う。ダダをこねる俺を見捨てた父の顔が、まだガキだった俺には衝撃的だった。実の父親の浮かべる拒絶の顔が(ちなみに親父とはもう仲直りしてる)。


 率先して嫌われるようなことばかりして、そんな自分も気にせず受け入れてくれる無償の心というものが欲しかった。今でも欲しい。そんなもの、ないと知りながら、求めてしまう。俺はいつまでたっても幼稚だった。


 きっかけはささいなことに過ぎないけど、それが俺の人格の基盤を作っているのも確かなことだ。父に見限られたことがきっかけで、粗雑な神に自分からなりながら、そんな自分を好きでいてくれる誰かを求めていた。

 そして嫌われて当然なことばかりしてきたのに、いざ誰かに突き放されるかと思うと怖くて仕方がない。


 どうしようもない英雄なのだ、スサノオという神は。


 


 大人になった今でも、その拒絶を怖がっているなんて、思いもしなかった。大人になれば分別がついて、そういうものだと割り切る程度には心が成長すると暢気に考えていたから。


 でもそんな都合よく成長することなどないと、今ここで突き付けられた。


 義理の息子でしかない大国に、たった一言「嫌いです」と言われただけで、泣くほど怯える自分がいるんだから。



 これは悪い夢だ、きっとすぐに目が覚める、と言い聞かせる自分は、どこまでも幼かった。



「お義父さん、泣かないで」

 大国が、いつもの優しい声で、俺を抱き締める。それだけでほっとして、気が緩んで、油断したら大声あげて泣きそうだ。




「ご安心ください。これは嘘ですから」

「…………は?」



 一旦大国は俺から離れて、指の腹で俺の涙をぬぐう。いつもの完璧な微笑が、そこにあった。

 そして俺は、間抜けな声を出すしかできなかった。



「本日は四月一日です」

「うん」

「四月一日は"エイプリルフール"というイベントがありましてね。朔日の午前に、罪のない嘘をついても許されるという習慣があるんです」

「な、んだ、それ……」

「ですから、嫌いというのは『嘘』なんです」

「うそ?」

「はい、嘘です」


 大国は、優しい顔して、種を明かす。


 その種明かしに、心底ほっとしてしまった、なんて認めたくない。


「そしてですね、このイベントには続きがあるのですよ」

「嘘ついてネタバラして終わりじゃないのか?」

 はい、と大国は優雅にうなずく。俺はようやく泣き止んで、まともに喋れるようになっていた。


「エイプリルフールについた嘘は、一年間かなうことがないといういいつたえがあります」

「……じゃあ、嫌いのウソってことだから」

「そうです。少なくともこの一年間、私はお義父さんを嫌いになることができないのです」

 

 ――もっとも、嫌いになるつもりもありませんし、一年経ったら嫌ってしまうなどありえませんがね。

 大国は、そう付け加えた。



 全身の力が抜けた。

 さっきまで強張っていた体から力が抜けて、立ち上がれなくなる。

 ほっとした。心臓に悪い嘘で、本当に安心した。

 嘘でよかった。ほんとじゃなくて、ただのウソで嬉しかった。


「しかし、驚きました。まさか泣かれるとは思っていませんでしたので」

「……あ?」

「お義父さんほどの方なら、『それがどうした』とあっさり返されるとばかり思っていました。……泣かれるほどショックだったのですね。ものすごく申し訳ありません」

「おまえ、」

「逆に、私はそれほど愛されているということでしょうか。それはそれで嬉しいですね」


 ねえ、と大国は首をかしげる。その仕草が、また俺を引っ掻き回す。



 何だウソかよ、と余裕ぶっこくこともできない。顔が真っ赤になって、少し目がうるんできた。うれし涙かも。

 

 ただ、こいつに振り回されて終わるというのが癪だ。こういうとこにはやたらと目が行く俺はやっぱりガキなのだろう。


 大国の手を振り払って、その綺麗な額にばっちーんと指を弾いてやる。いて、と大国が後ろへよろめく。

 その隙を狙って、俺は立ち上がる。体に力が戻り、思い通りに動かすことができた。



 恥も外聞もなく、俺は思いっきりお返し(のつもり)をしてやった。



「俺だっててめーが大っ嫌いだよバ――――――カ!!」


 昼を告げる鐘が、ごーんごーんと鳴った。

 額を手でおさえながら、ぽかんと抜けた表情でこちらを見上げる大国は、何だか見ものだ。

 顔が熱い。結局、また俺は恥ずかしい思いをしただけだった。


 居心地が悪くなって、ずかずかと大国の部屋を出る。もう今日一日出雲に居づらくなった。


 大股で、出雲を出る。出雲の屋敷を出て、行きつく先は兄の屋敷だった。

 四月一日の残りの時間、俺は先月と同じように兄貴に助けを求めた。


 

 別に、ホッとなんてしてない。安心してない。むしろ、嘘で残念だったと言い聞かせる。

 どこまでも心臓に悪い嘘なんてつきやがって!

 死んだら、閻魔大王にその二枚舌引っこ抜かれちまえ、馬鹿息子!!


4月のイベントって何だろうなーお花見かなーと考えていたところ、エイプリルフールの存在を思い出させてくれた方がいらっしゃいまして、大国様シリーズ四話めはエイプリルフールです、はい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ