第四話 感情
野球部が練習するグラウンド。その金網の前にたたずむ一人の少年。彼が思うものは…。
どうして俺はあそこにいないんだろう。
こんなに行きたいと想っても…。
なぜ?
「…っ!」
洸一は金網を握り締め、同時にきつく奥歯を噛んだ。
夢だと分かっていても。
はがゆい。
くるしい。
もどかしい。
漆黒の感情が、彼の心を支配していく。
その瞳に映るのは、慣れ親しんだグラウンド。
泥まみれになって、走り回った。
でも、今は。
そこにあるすべてのものが、彼の心を冷やしていく。
「ねぇ…。」
遠慮がちな少女の声が彼を呼ぶ。
おもむろに声のしたほうを見ると、見覚えのある少女が不思議そうにたたずんでいた。
「あんた確か…。」
前に、夢に出てきたやつ。
お人よしの、勘違い女。
同じ人間が二回も夢に出るのだろうか。
誰とも知れない、人間が。
「前に会ったよね?」
少女が首をかしげる。
「ああ。屋上でな。」
彼が答えると、少女の表情がほころんだ。
「やっぱり。」
何がそんなにうれしいのだろう、頭の端で考えて目の前の少女をじっと見る。
「何やってんの?」
洸一はいぶかしげに聞いた。
この通夜のような雰囲気のグラウンドに、なぜ視線を投げるのだろうと。
「さあ、わかんない。」
けろりと彼女は答えた。
「なんとなくだよ。」
「なんとなく…?」
洸一はオウム返しに訊いた。
「うん、そう。」
会話が途絶えた。
不意に訪れた沈黙。
「そうだ。この前訊きそびれたこと、教えてくれない?」
静寂を破ったのは少女のほうだった。
瞳を反らさず、まっすぐに洸一を見つめている。
「この前?」
「『さよなら』の理由。」
彼女の眼が真剣さを帯びる。
その視線を自分から外し、洸一はグラウンドに目を戻す。
「何で…知りたいんだ?」
彼女を見ず、背中で問いかける。
「命までは行かなくても、あなたは大事な何かを捨てようとしているから。」
思いがけず冷静な声に、洸一はにらむように振り返った。
「なにをっ…。」
「何かは分からない。でも、あなたは確かに別れを告げようとしてた。」
「…っ!分からないなら、なにも言うな!!」
知らず知らずのうちに、洸一は叫んでいた。
震える身体を金網で支え、燃える瞳で少女をにらみつける。
「何も知らないくせに!知った口をたたくな!」
何故、自分が感情をむき出しにしているのか。
洸一にはわかっていなかった。
ただ、言いようの無い怒りが押し寄せていた。
その怒りの理由が、彼女に本当の心を言い当てられたからだと、理解していなかった。
「何をそんなに恐れているの?」
洸一のむき出しの感情を向けられてなお、少女は毅然とした態度を崩さなかった。
「俺はっ…恐れてなんか無い!」
第四話 感情〈完〉