第一話 さよなら
初の連載作品となります…。
どうか皆様最後までお付き合いいただけますよう…。
第一話 さよなら
自分でも信じられない行動。
どうしてあたしにあんなことが出来たんだろう。
未月は一人、奥庭で空を眺めていた。手入れされた進入禁止の芝生に寝転んで。
「…それで、コロンブスはぁ…。」
どこからか、世界史を教える声が聞こえる。授業中なのだから当然なのだが。
「あーあ、やっちゃった…。」
空行く雲に、小さく声を掛ける。
勢いをつけて起き上がり、両膝を立てて座り込んだ。
髪をくくっていたゴムをはずし、頭を左右に振る。
「なんか、簡単なもんだね。サボるのって…。」
一人で言って、再び後ろに倒れた。暑くも寒くもない、春の日。授業なんかより、昼寝のほうがよっぽど向いている。
そう思ったからこそ、未月はここでこうしてサボりを決め込んでいるのだ。
表向きは、頭痛で保健室にいることになっている。
基本的に、未月の言うことは誰も疑わない。何せ、委員長サマなのだから。
ひゅうっ…。
一陣の風が吹いた。
未月の額にかかる髪がふわりと持ち上がる。
こんっ。
風にあおられてむき出しになった額に、何かが当たった。
「…。」
かすかな痛みを伴う額を押さえ、未月は身体を起こした。
「…紙ひこーき?」
胸の上に乗っていたそれは、まぎれもなく紙でできた飛行機だった。
たぶん、白色の折り紙。
あまり厚くない紙でできたそれは、どこか頼りない風体だった。
「こんなの…どこから…。」
手のひらに紙飛行機を乗せたまま、未月はあたりを見回した。
後ろはほとんど使われていない旧校舎。
残りを囲むのは、むやみやたらに茂った背の高い木々。
「…ん?」
未月の眼が動くものを捕らえた。
それは、未那が背にしている旧校舎の影の上。
屋上の部分に人影が動いている。
(お仲間かな…。サボりの…。)
ぼんやりと考え、手のひらの紙飛行機に視線を戻す。
「あれ?」
白い紙に薄く、灰色の線が見えた。どうやらそれは裏移りしている、マジックの文字のようだ。
人間とは、好奇心のかたまり。未月もその例外ではなく、飛行機の両翼を静かに引っ張る。
よくある単純なつくりのもので、飛行機はすぐに正方形の紙になった。
「なに…これ?」
そこに書かれた文字。
大きく、太い文字。
書かれた言葉はたった一言。
さ よ な ら
「『さよなら』…?」
未月の頭を超高速でいろいろな考えがめぐる。
屋上に人。
その人が飛ばしたであろう紙飛行機。
そして、それには『さよなら』の文字。
未月の出した結論は?
ばたばたばた…。
荒々しい足音に、時折激しい呼吸音が混じる。
未月は階段を上っていた。
左手には、きつく握り締めた一枚の白い紙。
屋上までの階段を、二段飛ばしで駆け上がる。
ばぁん!
押し開けた扉を右手で支え、紙を握った手をひざに置いてしばし呼吸を整える。
「誰だ?」
先客が、訝しげに聞いた。
「じ…自殺は…やめなさいっ!!」
途切れ途切れに、未月が叫んだ。整わない呼吸のまま、下を向いて。
「…っは?誰が自殺するって?」
声色は先程と変わらない。それどころか幾分不審さが増したような気さえする。
未月はそこでやっと相手の顔を見た。
未月と同じ制服のYシャツ。ただしボタンはひとつも止めておらず、Tシャツがのぞいている。
そして、風にゆれる栗色の髪。
「え…?」
未月は不自然な口の形のまま、固まってしまった。
「…自殺じゃ、ない?」
ぎこちなく唇を動かして、訊く。
「ああ。ていうか、どんな勘違いだよ…。」
そこにいる少年は柵を背にしているものの、あきれたような表情を浮かべるばかりで飛び降りる気配などどこにもない。
(なにかの…間違いってヤツかな…。)
未月は作り笑いを張り付かせ、徐々に後ずさる。
(この人が紙飛行機飛ばすようには見えないし。)
「え…と、その…。失礼しま…」
そう言ってドアを閉めようとした時。
「ちょっと待て。」
少年が呼び止めた。
「はい?」
未月が一歩前に出て、その背中で扉が閉まる。
「その紙…。」
少年が指差したのは、未月の握りしめる紙。
「これ?下にいたら落ちてきたんだけど…。」
「…ひこーき?」
少年が訊いた。
その紙は未月が一度開いてしまったため、立体だった面影はない。しかも強く握ったため、真ん中部分がよれて、リボンのような形になっている。
「うん。そうだけど…。」
未月がうなずくと、少年の表情がほんの少し緩んだ。
「ああ…。だから自殺ね…。」
そして、次第に声を立てて笑い出す。
「あんた、お人よしだな…。」
「…はっ?」
いきなり笑われて未月の頬が紅潮する。
「何がお人よし…っ。」
「見ず知らずの自殺志願者を止めに来るなんて…ってこと。」
「やっぱり自殺っ…。」
その言葉に動きが停止する。
「まあ、勘違いだったわけだけど?」
少年のにやりという笑顔で、未月に動きが戻る。
「…性格わるっ…。」
床を睨んでつぶやく。そして気がついた。
「この飛行機、あなたが作ったの?」
「ああ。そうだよ。」
こともなげに彼は答えた。
「…。」
握り締めた紙と、少年とを交互に見る。
「どうして『さよなら』かって訊きたいんだろ?」
未月の心を見透かすように、少年が言った。
「教えてやろうか?」
少年が一歩、未那に近づく。
「それかして。」
いわれるままに紙を渡す。少年の手の中でそれは再び、形を得た。
そして、くるりと反対を向いて右手に持ったそれを掲げる。
「ここに立って。」
左手で、自分の隣を指差す。
未月が立ったことを目の端で捉え、少年はゆっくりと飛行機を投げた。
ふわり。
飛行機は一瞬浮き上がったかと思うと、なめらかに空を滑り出した。
その鮮やかな滑空に、未月はしばし目を奪われた。高く茂る木々の上を、白い紙飛行機が飛んでいく。
さよなら
不意に耳元で、空気が揺れた。
あわてて声のしたほうを振り向く。
けれど。
未月の隣には、だれもいなかった。
第一話 さよなら <完>