93.真相は微笑みの中。
「――では、以上で賠償額につきましては合意に達しましたので、後ほど担当官達に詳細を詰めて頂きましょう。またセンガルの復旧につきましては、セルショナード軍の将校達を労働力として順次受け入れると致しまして……身の安全は一応保障させて頂きますが、その他については保障出来かねますが宜しいでしょうか?」
「もちろん、それは構いません。本来ならば貴国の方々に八つ裂きにされても文句は言えない立場なのですから。将軍たちもそれは承知しております」
セインとトールドを代表者として昼過ぎから始まった講和条約に関しての協議は、予想以上に早く進んでいた。
事前にジャスティンがある程度の条件を提示していた事もあり、また優秀な政務官達が集まっているというのも大きな要因だろう。
しかし、何よりも絶対君主制である両国の君主、皇帝と王が臨席しているのだから、当然と言えば当然かもしれない。
「彼の君は……」
「明後日にはご到着なさるはずです」
「かしこまりました。予定通りのようですね。では、最後に王にご協力頂く案件ですが――」
「私はサンドル王国とその隣国、マリサク王国に接する『果て』を抑えようと思うが……どうでしょうか?」
セインの言葉を遮るようなリコの提案内容にその場の者達がかすかにざわめく。
だが、リコの視線はルークへ真っ直ぐに向けられており、それを受け止めたルークは感情の窺えない無機質な声で答えた。
「……どこでも」
「――しかし、その両国はセルショナードからは海を隔ててなお、遠い地です。やはりセルショナード隣国のターダルト王国と北東の海周辺の方が王には……」
「我々はあなた方にもう十分に恩赦を受けている。よって、これ以上は無用です。ですから私の力を質とするならば、やはり一番『虚無』の勢いが激しいサンドルとマリサクへと当てるべきでしょう。さすれば、皇帝陛下のご負担はかなり減る。一瞬にして我が国土を灰になされる程には力の余裕が持てるはずです」
セインの戸惑いと心配を表した言葉に微笑みながら、それでもリコは断固とした態度で述べた。
本来ならば、この度の戦について全面的に非を認めたセルショナードは講和条約においてもっと不利な立場に立たされるはずであった。
しかし、セルショナードはヴィシュヌの名を冠す程の力を発現させたリコを切り札として、ずいぶんと軽い戦時賠償ですんだのである。
正確に言うならば、リコはそもそも己に発現した有り余る力を、ユシュタールの崩壊を防ぐ為に使うつもりであった。
だがそれを切り札として賠償の代価としたのは、セルショナードの未来を斟酌したジャスティンの配慮であり、マグノリア側を納得させるためにも『果て』に力を注ぐことによって、強大な魔力を保持するようになったリコを封じると言う名目を持つ為でもあったのだ。
「ただ、私はこれ程の力を有してからまだ日が浅い。その為に陛下にはお教え頂きたい事が多分にあります」
「……では、粗方の条件は決まりましたので、この後は各担当官で詰めの協議に入りたいと思います。お手数ですが、各々それぞれ別室にお移り下さい」
微笑んだままのリコの言葉に含まれるものを察したセインは気を利かせ、その場の者達に退室を促した。その言葉に従い、政務官達は早々に出て行く。
「ジャスティン、申し訳ないがそなたには残ってもらいたい」
「……かしこまりました」
政務官達と立ち去りかけたジャスティンをリコは引きとめた。それが何を意味をするのか理解したセインは心配そうな視線をジャスティンに向けたが、何も言わずに協議の場として使われていた会議室の扉をそっと閉めて立ち去ったのだった。
静まり返った部屋にはルーク、レナード、ディアン、そしてジャスティンとリコ、ザック、トールドの七人が残るのみ。
「さて……では陛下、セルショナード王にはまず魔力の扱い方からお教えした方が宜しいのではないでしょうか?」
爽やかに微笑むディアンの提案にザックが笑いながら応える。
「ハッハッハ!! 相変わらず宰相殿は陰険ですねぇ」
「そういう貴殿は相変わらず鷹揚で羨ましい限りです」
「いやあ、それ程でもありませんよ」
笑みを絶やさない二人の応酬にもその場の空気は和むことはない。そこにリコが大きく溜息を吐いて口を挟んだ。
「宰相殿、皆様方も私の事はリカルドと呼んで欲しい。この二人のこともザック、トールドと」
「ありがとうございます。それではリカルド様、私の事もどうぞディアンとお呼び下さい。そちらのお二方も。ああ、それと陛下の後ろに何か見えるのは幻ですから無視して下さい」
「んな訳あるか!!」
思わずディアンの言葉に反応してしまったレナードは、ハッとして真顔に戻ると、「申し訳ない」と小さく謝罪した後に「レナードと呼んでくれ」と付け加えた。
「――それではお互いの自己紹介も終わったようですし、そろそろ本題に入りましょう。リカルド様、私をお引き留めになられた理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
柔和な笑みを浮かべるジャスティンだったが、その眼差しはとても厳しい。
「ああ、すまない。ジャスティンに確認したくてな。父上を狂わせた……クラウスの正体を」
リコの問いはその場に一瞬の静寂をもたらした。
が、すぐにジャスティンは申し訳なさそうに微笑んだ。
「……申し訳ありませんが私には分かりかねます」
「そうか? そなたならよく知っていたと思ったんだがな……」
リコはあっさりと引き下がり、今まで黙っていたトールドが発言の許可を得る為に小さく礼をした。
「僭越ながら失礼致します。……リコ様は、前王達の変調からこの数カ月、クラウスについてお調べになっておられました。そもそもクラウスは一年ほど前にサンドル王国主神殿の推薦状を持ってセルショナード王城に現れたのです。サンドル王国主神殿からの推薦状とあっては、我が国の者達が信じない訳がありません。更に、その身に宿した魔力の強さと従えた魔術師達を鑑みれば疑う余地もなく、あっという間に筆頭魔術師へと上り詰めました。――残念ながら、前王のご存命中にその正体を突き止める事は出来ませんでしたが、我々がセルショナードを発つ前日に大変興味深い報告がサンドル王国より届いたのです」
「それはそれは……いったいどのような?」
「ディアン殿、あなたはよくご存じのはずです」
ディアンの黒い微笑みにもトールドは無表情のまま応えるのだが、そこへザックが痺れを切らしたように割り込んだ。
「あーもう、回りくどい事はいいじゃないっすか。はっきりしましょうよ。私達は七十五年前に起きた事の真相が知りたいんですけど」
ザックの軽い口調とは対照的に、その場の空気は重く沈んでいく。
なんとか無表情を装っているレナードだったが、内心は舌打ちしたい気持ちでいっぱいだった。しかし、目の前のルークは何も変わった様子を見せず静かに座している。
「――あなた方がどういった理由で七十五年前の事を疑問に思われたのかは存じませんが、この先の両国にとって必要な事だとは思えません。どうぞこの時間を有意義にお使いになられるようお願い申し上げます」
「本当に必要ないと思うのか?」
更に笑みを深めたディアンの言葉にリコは問い返した。だが、その答えを待たずにリコはルークへと向き直る。
「陛下、あなたは七十五年前……臣にも民にも慕われていた皇太子殿下をその手にかけ、皇太子の座に就かれた。そして簒奪者とまで罵られながら何も語られる事はなく、甘んじてその非難を受けられた。だがあれは………いえ、とにかく私はあなたが当時、皇太子であった兄君を――フランツィスクス殿下を本当に殺められたとは思えないのです」
「――どういう意味だ?」
今まで沈黙を守っていたルークの静かな問いは重く、その場を支配する。
リコは一度目を閉じて深く長く息を吐き出すと、決意したように真っ直ぐにルークへと強い眼差しを向けた。
「言葉通りの意味です。それともはっきり申し上げた方がよろしいでしょうか? クラウスは――フランツィスクス殿下だと」
圧し潰されそうな程の気が部屋を満たす。
その中、ルークはまるで微笑んでいる様に目を細めてリコを見つめ返した。
「……リカルドと二人だけで話がしたい」
ルークの言葉に異を唱える者はなく、皆が黙って立ち上がり部屋から出て行く。
そしてルークとリコの二人だけを残して、最後に部屋を出たレナードは扉を閉めるとそのまま結界の施された堅固な扉を見つめた。
そこへディアンが微笑みながら声をかける。
「心配しなくても陛下はまだ大丈夫です。少なくともハナ様がおられる限りは……」
「ああ……だが、ルークが苦しむ事には変わりないだろう?」
レナードの方こそよほど苦しいのではないかと思える程にその声は頼りない。
そんな弟の背をまるで慰める様に軽く叩いたディアンは、珍しくそれ以上は何も言わずに他の三人が控える隣室へと入って行ったのだった。