92.急いては事を仕損じる。
「謝恩使として、まさか王直々にお見えになられるとは思いもよりませんでしたな。よほど使いをなされるのがお好きらしい。前回のご訪問は従者としてお見えになられていたと伺いましたが?」
謁見の間に並び立つ大臣・政務官達の中から上がった声に、リコは目の前に座す皇帝からそちらへゆっくりと金色に光る瞳を向けた。その視線を受けた声の主――内大臣のドイルはたじろいだ様に一歩後退する。
この場には今、新たなセルショナード王を一目見ようと、集まれる限りの大臣・貴族・政務官達が集まっていた。
「確かに、前回の訪問の折は挨拶もせずに失礼した……しかし内大臣殿、あなたは何か勘違いなさっておられるようですね。我が国は此度の戦、全面的に非を認めた上で停戦を申し入れはしましたが、敗戦を認めた訳ではありません。貴国に従属した覚えもなければ、謝恩の為に訪れる謂われもない、ただ円滑に講和を進める為に私は訪れたのです」
その言葉通り、リコは一国の王として、来訪の挨拶と暫く王宮へ滞在する事への謝辞を述べる為に、腰に剣を佩いて立ったまま、玉座の皇帝――ルークに面していた。
リコの後ろにはザックとトールド、他数名が続くが、その者達は皆膝をついている。
牽制の為に投げつけたドイルの言葉は見事にはじき返されたのだった。
「や、敗れたも同然ではないか! 力ある者を次々と失った貴国がこれ以上戦を続けても我が帝国に勝てぬは必至!!」
それでも、なんとか遣り込めようとするドイルの声は甲高く耳に障る。
「さあ、それはどうでしょう? 『果て』に面していない我が国には何の枷もありません。今、再び開戦する事になれば、私は宝剣を手に力の全てを戦に注ぐでしょうからね」
剣の柄に手を掛けて冷静に返したリコの言葉に、その場にいる多くの者達が恐れ慄いた。
当然、レナードは己の剣の柄を握りいつでも抜刀出来る様にルークの後ろで構えてはいたが、政務官達の情けない姿を目にして、呆れたように小さく溜息を洩らした。同様にルークの背後に控えているディアンは、なぜか嬉しそうに微笑んでいる。
だがルークは、先程からずっと射貫くような眼差しでリコを見据えていた。そしてリコもまた、厳しい表情でその視線を受け止め返している。
「そんなに熱く見つめ合っている所を見せつけられると、思わず嫉妬してしまいそうですよ、陛下」
笑みを含んだディアンの揶揄に顔を顰めたルークは、それでもリコから視線を逸らさずに無言で立ち上がった。
「明日だ――すべて明日からだ。今日はゆるりと休まれるが良かろう」
ルークはそれだけ告げると、その場から消えてしまった。
「では、皆様方のお世話はこちらにいる政務長官のセインがさせて頂きますので、明日からの話し合いに備えて、今日はご用意させて頂いた部屋にてごゆっくりお休み下さい」
「――お心遣い感謝する」
ディアンの黒く爽やかな笑顔に、リコは厳しかった表情を改めて本物の爽やかな笑顔を返して謝辞を述べると、進み出て来たセインに従ってザックやトールドと共に謁見の間を後にしたのだった。
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「本当にあのヘタレっぷりは見事でしたね」
「はい。実に見事なものでした」
「ああ、本当にな」
「いや、そこ感心する所なのか?」
ディアンが先程のドイルや政務官達の態度に感心したように呟いたのをきっかけに、ジャスティンとレナードが同意した。だが、軍大将のガッシュには何が見事だったのか、さっぱり分からないようだ。
「というかレナード、ずるいぞ。お前はこっち側だろうが! 理解している振りはやめて、ほれ、素直に分からないって顔しろよ」
「……ガッシュ殿、それはあまりにも酷いじゃないですか。私にだって脳みそくらいはあります」
「お前の方が酷いだろうが。俺にだって脳みそはあるぞ? カチコチだがな!!」
「あの、そろそろ本題に戻った方が宜しいのでは?」
レナードとガッシュの情けないやり取りはグランの申し訳なさそうな声によって打ち切られた。
この小さな会議室にはルークとレナード、ディアン、そして明日からの交渉に臨む予定の者達が数名、ジャスティンと詰めの協議をする為に集まっている。
「ああ、すまん。それにしても、帝国の威信を下げる様なあんな馬鹿共を晒してしまっていいのか?……まあ、俺もバカだが自覚はあるからな!!」
なぜか威張るガッシュを見て微笑みながら、リコ達の案内から戻って来ていたセインが口を開いた。
「ガッシュ殿、どこの国にも家柄と地位だけの浅慮な者達は多かれ少なかれいるものです。それを今更隠し立てしても無駄でしかありません。それよりも、我々がこの講和で成し得なければならないのは、現在のセルショナードから絞り取る事ではなく、ここで恩を売り、この先、如何様にも出来る柔軟な条約を結ぶ事です。特にあのリカルド殿下の――いえ、王のあの力には価値がありますからね。そしてそれはセルショナード側も十分に理解しています。ただ問題はその事を我が国の馬鹿な政務官達が理解していない事です。だからこそ、今回の講和に王自らがお見えになられたのですよ」
辛辣に政務官達を評するセインの柔和な笑顔が怖い。
「まあ、馬鹿共に黙って頂くにはあの王の力を直接感じて頂くのが一番でしょう。我が国の者達は金色の瞳に睨まれると弱いですから。やはり常日頃、その瞳で恐怖政治が行われているからですかねぇ」
「……」
セインの説明を補足したディアンの言葉は、更にその場に微妙な空気を生んだ。
「よ、要するに、はったりをきかす為に王が直接来られたんだな。だが、国の方は大丈夫なのか? 即位したばかりで、まだ混乱も激しいんじゃないか?」
気を取り直したガッシュがジャスティンへと問いかけた。
「多少の混乱は残しておりますが、すぐに落ち着くでしょう。セルショナードの新しい政務官達は……正確には新しいとは言えませんが、とにかくあの方達ならリカルド様がいらっしゃらなくても大丈夫です。彼らは……」
それからジャスティンは、知り得る限りのセルショナードで起きた全ての事を、その場の者達に語ったのだった。
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「ハナ様、アンジェリーナ様から贈り物が届いております」
「アンジェリーナ様から?」
ディアン経由で間違いがないと言うその贈り物を受け取った花は応接ソファへと座り、添えられたカードを読んで嬉しそうに顔を綻ばせた。
そして、ワクワクした様子で包みを開き――固まった。
「ハナ様? 大丈夫でございますか?」
「ハナ様、何が……?」
心配したセレナやエレーンの声に気付いた花は、慌てて包みを元に戻した。
「いいえ!! 何も!! す、素敵な物を頂いて驚いてしまって……おほほほほ」
贈り物を胸に抱えて立ち上がった花の顔は赤い。
不思議そうにするセレナ達に微笑みかけながら、花は後じさるように歩を進め、そのまま寝室へと消えて行った。
その後、花がウロウロオロオロとブツの隠し場所に迷っていると、控えめに寝室の扉がノックされた。
「はひ!?」
「ハナ様、ジョシュとカイルが帰還の挨拶に伺いたいと……」
「は、はい! 是非、お会いしたいです!!」
うわずった声で返事をしてしまった花だったが、セレナの言葉にすぐに気を取り直すと、居間へと急いで戻ったのだった。
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夜の刻(二十二時)を少し回った頃、現れたルークは突然花を抱きしめた。
「ルーク!?」
驚く花を無視して、ルークは更に花を抱く腕に力を込めた。
ジャスティンから聞いた話が、ルークを堪らない気持ちにさせていたのだ。
だが、それを花に言う訳にはいかなかった。そもそも、何を言えばいいのかわからない。
ただ黙って抱きしめるルークに、花は腕を回してその背をそっと撫で続けた。
「もう少し遅くなるかと思っていました」
ルークの腕の力が弛んだのを感じた花は、何事もなかったようにルークを見上げて嬉しそうに微笑んだ。そんな花に、ルークは眩しそうに目を細める。
「――ああ、明日からは遅くなるかも知れないが……ジャスティン達にはもう会ったんだろう?」
「はい、ジャスティンには夕刻に少しだけ。すごくお忙しそうですのに申し訳なくて……でも、リリアーナさんにもお礼が言えましたし、お元気そうだったので安心しました。それで……」
「……それで?」
言葉を詰まらせた花にルークは顔を顰めながらも先を促した。
しかし、花が続けた言葉はルークの予想とは違って、リコ達の事ではなかった。
「その……カイルとジョシュもお昼過ぎには挨拶に来てくれたんですが、明日からコ―ディともう護衛に復帰してくれると……でももっと休んだ方が……それに怪我をしてしまった三人も……」
花が攫われた際に重症を負った護衛の三人は療養の為に王宮から離れていたのだが(王宮はルークの気が怪我人に障った為)、ずいぶん回復していると聞いて花は安堵していた。
だが、明日から兵舎に戻り完全に回復するまでリハビリを兼ねて王宮警備に就くと聞いて、またカイルやジョシュもセルショナードから戻ったばかりだというのに、リコ達の受け入れ準備にセイン達を手伝っていたコ―ディと共に護衛に復帰すると聞いて心配になったのだった。
「……ハナが心配するのも無理はないが、あいつらが希望している事だから、好きにさせてやればいい」
「はい……」
頷きながらも、自分のせいで怪我をさせてしまった三人に改めて申し訳ない気持ちで沈みそうになっていた花の頭をルークは優しく撫でながら微笑んだ。
「ハナがそうして心を痛めれば、あいつらはもっと傷付く。あいつらは自分達の任務を果たせなかったと酷く己を責めているらしいからな」
「そんな――!!」
驚いて上げた声はルークの手で優しく塞がれた為に途切れてしまった。
「あいつらがこんなに早く復帰できるのはハナのお陰だ」
「ふぇ?」
口を塞がれたままマヌケな返事をした花にルークはクスリと笑う。
「ハナが歌を……セルショナードから毎晩届けてくれたからな。だから、あいつらの傷もこんなに早く治ったんだ」
その言葉に花は目を見開いた。
歌で怪我を治せる事は知っていたが、まさかセルショナードから遠く離れたサイノスにまで届いた歌で治せるとは思ってもいなかったのだ。
ルークは花の唇をそっと親指でなぞりながら、口を塞いでいたその手を頬へとすべらせてジッと花の顔を見つめた。
自分の力を花はいったいどこまで知っているのだろうか。
花の歌を聴けば、皆の魔力は満たされ、傷も癒える。確かに『癒しの力』はあるのだ。
だが、その力に差が生じている。
傷を負った護衛達と同じ療養所で傷を癒していた他の者達と、護衛達との回復の差は明らかであったらしい。
王宮の者達にしても、皆の魔力が平等に満たされるわけではないのだ。
花と関わりある者、繋がりの深い者ほど、どうやら『癒しの力』の影響を強く受けている。
その事にいったいどれだけの者達が気付いているのだろうか。
そして、何よりあの事は――リカルドは間違いなく気付いている……。
「ルーク?」
心配そうな花の声に、深く考え込んでいたルークは我に返った。
いつの間にか険しくなっていた表情を慌てて緩めると、ニヤリと笑って花の耳元で甘く囁く。
「――もう休むだろう?」
「そそ、そうですね! 明日から忙しくなるなら、早くグッスリ眠った方がいいですよね!!」
顔を赤くした花は、そそくさと寝台へと寄り、勢いよく掛け布をめくった。
と、何かがバサッとルークの足下へ転がり落ちた。
「……」
「……」
それは、『<図解付き>愛の技巧と焦らしのテクニック ~これで男性はメロメロに~ 』と大きく銘打たれた本。
アンジェリーナから贈られたその本は今、女性達の間で大人気なのだそうだが。
「………メロメロにしてくれるのか?」
なんだか嬉しそうなルークの言葉に、花は深く深く撃沈したのだった。