89.能ある鷹も爪を見せる。
流血表現があります。苦手な方はご注意下さい。
明け方、無意識に眠る花を抱き寄せたルークの意識は、一気に覚醒した。
花の体が熱い。
「ハナ?」
そっと呼びかけてみるが反応はなく、ただいつもより浅い呼吸で花は眠り続けている。
ルークは心の中で己に悪態をつきながら起き出すとガウンを羽織り、医師を呼ぶために居間へと向かった。
「ルーク?」
ゆっくりと目を開けた花は心配そうな顔のルークを目にして、驚いたように何度か瞬きをする。
「ハナ、苦しくないか? 熱があるんだ。どうやら疲れがでたらしい」
ルークの言葉を聞いて、そういえば昨夜から体が少しだるかったかな? と花は思い当たった。
今までずっと張りつめていた緊張の糸が切れて、体が疲れを訴えているのだろう。
ぼんやりと考えていた花を見てルークは眉を寄せた。
「体調が悪かったなら、なぜ早く言わないんだ?」
心配のあまり強い口調になっているルークに、花は安心させるように微笑んだ。
「気付かなかったからです」
そしてふと、窓から差し込む光に朝議の始まる時間が近い事に気付いた。
「ルーク、朝議が始まります」
「ああ……」
返事をしながらもルークは動こうとしない。
「……ルークは王様なんだから、皆の前で偉そうにふんぞり返って威張らないとダメです」
「ハナ……」
「でも、そんなルークも好き……」
「……」
ゆっくりと目を閉じた花に、ルークは色々な言葉を飲み込んだ。
それから諦めの溜息を小さく吐いたルークは、頬にかかった髪を優しく梳いて、呼吸の落ち着いた花に口づけると立ち上がった。
「ルーク」
そっと部屋を出て行こうとして、ルークは呼びかける花の声に立ち止まる。
「どうした?」
「いってらっしゃい」
「………いってきます」
あまりにも晴れやかな笑顔を向けられて、思わず初めての挨拶を返してしまったルークだった。
**********
レナードは、相変わらず私利私欲むき出しの発言を繰り返している大臣達が不思議でしょうがなかった。
――― なぜ、これ程に不機嫌なルークを前にして、そこまで鈍感な馬鹿になれるんだ?
目の前に座るルークは明らかに機嫌が悪い。
いつも以上にピリピリしたルークの気がレナードを痛めつけているのだ。
花の体調が悪い事はレナードも耳にしているので、ルークの不機嫌の理由をわかってはいるのだが、それでもこうまで尖った気を振りまかれていたのでは堪ったものではない。
しかし、ディアンは不機嫌なルークを気に留めた様子もなく、いつものように黙ったまま目を閉じている。そしてセイン達はなんとか馬鹿達の相手をしながら、問題解決へと導こうとしていた。
そんな平素と変わらない無駄な時間が流れていく中、急にディアンがその双眸を開いた。
同時に、ルークとレナードが一瞬にしてその場から消える。
いきなり消えた二人に驚いた大臣達がざわつき始め騒然となる議場に、トーン、トーン、トーン、と軽い音が響く。
途端に議場は静寂に包まれた。
ディアンが自身の腰かけた椅子の肘掛をゆっくりと指で叩くその音が、騒がしい議場にあってなぜ皆の耳に届いたのかはわからない。
ただ、まるで心臓に杭を打ちつけられているように感じる小さな音を耳にしたその場の者達は口を閉ざし、青ざめて下を向いた。
今、宰相と目を合わせたら石にされてしまう。
恐怖に慄く大臣達をゆっくりと見回したディアンは、静かにその口を開いた。
「我々には解決をしなければならない問題が山積みではありますが……その前にどなたか私の疑問を解決して頂きたい。――たった今、王宮に八人の侵入者が現れました……」
ディアンから告げられた言葉に誰もが驚き、息を呑んだ。
この場にいる者達はある程度以上の力を有しているので、ルークの張った王宮の結界が破られれば、気が付くはずだった。
では、それ程の力を持った者の侵入か。
だが、ディアンに動じた様子はない。
「――さて、一体誰が侵入者達を陛下の結界内へと引き入れたのでしょうか? 私はそれが知りたいのです。恐らく、陛下もその答えをお望みになられるでしょうね」
結界は破られたのではなく、誰かが引き入れたのか。
未だに侵入者達の気配を感じられないながらも納得した者達は、では犯人は誰なのか? とチラリとディアンに視線を向け、ピシリと固まった。
ディアンは疑問を口にしながらも、その顔に恐ろしいほど慈愛に満ちた笑みを湛えて、ただ一人を見つめていたのだ。
そしてその視線の先にいる一人の男――ダンケル伯爵は蒼白になった顔に玉のような脂汗を浮かべて、微動だにせず俯いていた。
「ダンケル……」
外大臣コーブが思わず呼んだその名が、静まり返った議場にポツリと落ちた。
*****
レナードは両手を腰に置いて、大きく息を吐き出した。
先程までルークの重い気の圧力を受けていた為に肩が凝っている。それをほぐすように首を回すと、目の前の男達に視線を向けた。
そこには剣を構えた男が六人、その背後に術者らしき男が二人いた。
「で、お前達はどこへ行くつもりなんだ?」
男達はじりじりと僅かに後退したが、レナードの問いに答えはない。
「………無視かよ。なんで皆、俺の事無視するかな? いいよ、自分で答えるよ。お前達は後宮へ行くつもりなんだよな? だって、この先は後宮の入り口だもんな?」
ぼやくように呟いたレナードはやはり返事を貰えずに、再び大きく息を吐き出した。
と、体の自由を奪われ、縛られた様に手足が動かなくなる。
「お?」
唯一動く口から、驚きの声が洩れた。
どうやら、術者の魔法で体を拘束されたらしい。
「――こいつは近衛隊長だ!! 剣を抜かせるな、今のうちだ!!」
リーダーらしき男の声と共に、六人が一斉に斬りかかって来た。
「おお?」
なぜか楽しそうな声を上げたレナードは動かないはずのその身を屈め、最初の一太刀を躱すと、その男の懐に入り込み鳩尾を打った。そのまま男の手首を捻り上げて剣を奪いその首を斬りつけ、一歩、二歩と後退する。
だが結局、勢いよく噴き出した鮮血を浴びて顔を顰めた。
「あー、くそ!……あ、悪いけどこれ借りるな?」
少しも悪びれた様子のないレナードの言葉は、すでに事切れている男には届かない。
しかしそんな事には構わず、怯む男達の前に奪った剣を掲げて笑うその顔は、見る者にディアンと双子だという事を思い出させるには十分だった。
「なかなか良い剣だ。お陰で、お望み通り俺の剣を抜かなくて済むな?」
「くそっ!!」
誰かが舌打ちと共に放った攻撃魔法をレナードは簡単に防ぐと、間髪を入れず魔力を乗せて打ち掛かって来た男の剣を身を低くして受け流し、後ろに迫った男の足を払った。体勢を崩したその男の喉に剣を走らせ、再び打ち掛かってきた男の剣を軽々と受け止めて踏み込むと、その腹に拳を打ち込む。
男は血を吐き、その場に倒れた。
魔力を込めたその拳を受けた男は、当然息をしていない。
そしてレナードは、先程から自身に結界を張って鬱陶しく詠唱している術者の元へ、床を一蹴りして近づき、驚きに目を瞠る術者の胸に剣を突き立てた。
リーダーらしき男が倒れ、最後の一人が背を向け逃げ出すと、レナードは手にあった剣をその男に向けて放った。剣は男の背から心臓を貫いて、その男と共に地に転がる。
「悪いな、殺せと魔王の命令なんだ」
呟いたレナードは、目の前に横たわる男の顔を踏みつけた。
普段の温厚な姿からは想像ができない程の非情さを見せるレナードは、間違いなくマグノリア帝国皇帝の近衛隊長であった。
「お前は勝手に死ぬなよ? 本当に本当に申し訳ないが、お前一人ぐらいは生かしておかないと、冥王の逆鱗に触れる」
踏みつけられた男は、先程のレナードを拘束したものとは比べ物にならない程の力でその体を縛り付けられている。
瞬きも、舌を動かす事も出来ず、ただ辛うじて呼吸が出来る程度なのだ。
それはあっという間の出来事だった。
王宮の警備兵や、近衛が駆けつけるまでの短い時間にレナードは侵入者八人を打ち倒したのだ。
術者二人は当然の事、剣を持った六人もかなりの魔力だったにもかかわらず、レナードの敵ではなかった。
その後、続々とその場に警備兵達が駆けつけ、後片付けを始めだした時、近衛のアレックスがレナードの側に現れた。
「ハナ様は?」
「ご無事です。陛下が青鹿の間にいらっしゃった時には我々も侵入者に気付き、すぐに後宮内をはじめ、王宮内を隈なく調べ始めましたが、今のところ他に侵入者はいない模様です」
「そうか……念のために、引き続き警戒をしてくれ」
レナードがアレックスに指示を出していると、冥王―― ディアンが現れ、倒れた男を見て片眉を上げた。
「たったの一人……」
その呟きを聞いたレナードは思わず後じさる。
ディアンはそれ以上は何も言わなかったが、レナードに爽やかすぎる程の微笑みを向けた。
「さ、さあ!! 身を清めて陛下に報告に行かないとな!! ハハハ!!」
大きな声で独り言? を言ったレナードは、逃げるように自室へと飛んだ。
それから部屋付きの侍従が湯の用意をする間、ソファに座り込むと、ふかーくふかーく息を吐き出した。
侵入者の気配を感じて転移する直前、ルークは「殺せ」とレナードに命じて花の許へと飛んだのだ。
いつもはそこまでの関知はしないルークなのだが、よほど機嫌が悪いのだろう。
そして、本来なら宰相が侵入者を査問する事などしないのだが、査問(主に精神的な拷問)はディアンの趣味なので誰も邪魔をしない。
が、魔王の命令によって、査問の相手が一人しか残っていない為、冥王の機嫌も非常に悪かった。
もちろん、侵入者相手に容赦するつもりはレナードにもない。だが、それにしてもだ。
――― なんか俺、ひょっとして貧乏くじばかり引いてないか?
自身の鈍感さには気付いていないレナードは、誰もが『今更!?』と驚くような事を考えながら、バスルームへと向かったのだった。