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86.追憶は口に苦し。

 

 その昔、セルショナードは帝国に次ぐ大国であった。

 しかし、ターダルト王国との戦より衰退の一途をたどった王国は、その後に続く苦難の長い時を耐え忍び、強い魔力を持った王の誕生を待ち望んでいた。

 そして遂に得た強大な力を持った王と、時を同じくして生まれた予言者。

 この二人によってセルショナードは、かつての栄光を取り戻し、再び大国と呼ばれるほどの豊かな国になったのだった。



**********



「あにうえはずるい!!」


 いつものように国内視察と称して王城から逃げ出そうとしたリコの足下に、幼い弟が縋りついた。


「マックス……」


 リコは屈み込んで弟のマックスに視線を合わせると、その小さな頭を撫でながら困った様に笑った。


「私はすぐに戻るから……それまで父上や姉上達を頼むな?」


「あにうえはずるい!! ぼくは……あにうえといっしょにいきたいのに!!」


「……お前がもう少し大きくなったらな」


 もう一度マックスの頭をクシャリと撫でるとリコは立ち上がり、リコを睨むように見ていたマックスの乳母へと弟を託した。

 そして、待っていたザックやトールドと共にその場から立ち去った。


***


「兄上!!」


 もう何度目かわからない旅を終えて、次に発つまでのほんの一時を王城で過ごしていたリコの部屋へ、マックスが血相を変えて飛び込んで来た。


「マックス、どうした?」


「兄上が呪われているというのは本当なのですか!? 兄上は『呪われた王子』だと……だから一緒に旅に出てはいけないとお爺――」

「マックス」


 信じられないといった様子のマックスの言葉をリコは静かに遮った。


「マックス、それは本当だ。だから……大臣の言う通り、もう私には近付くな」


 リコはそう告げるとサッと立ち上がり、驚くマックスを置き去りに早足で自室を出て行った。



 『呪われた王子』


 ある日、予言者が告げた不吉な未来は、当時の重臣達を震撼させるものだった。

 帝国から嫁した王妃が生んだ王子は呪われている。王は王子の手にかかり斃れる、と。

 『不安の芽は早々に摘むべきです』

 かねてより王妃をよく思っていなかった者達――重臣達の一部、そして予言者は婉曲ながら、それでも王子を殺せと強く進言した。

 だが、王はそれらに一切応じなかった。

 心優しい王が、愛する王妃の生んだ我が子を殺せるはずがないのだ。

 結局、王は王子の魔力を封じる呪を施す事で臣下達を納得させ、それ以上この予言について触れる事を禁じた。

 しかし、予言の存在を知らないまでも、第一王子であるリコの立場を疎ましく思う者達は、いつしかリコを『呪われた王子』と陰で呼ぶようになったのだった。



 リコ達の次の旅はとても長いものになった。

 どうしても王城へ戻る気になれなかったのだ。

 そんな数年に亘る旅の途中、リコ達の元に、長らく空位だった王太子の座に第二王子であるマックスが就いたと言う報せが届いた。

 恐らくマックスの外祖父である大臣や外戚達が強く推したのだろう。


「……王はお優し過ぎる」


 悔しさの滲むトールドの言葉に、リコは苦笑した。


「だからこそ、私は生かされているのだ」


 自嘲めいたリコの言葉は、その場に静かに落ちた。


***


 次にマックスに会った時、その瞳には明らかにリコへの憎しみが宿っていた。

 第一王子であるリコを排そうとする外戚達に色々と吹きこまれたのだろう。

 マックスは純粋すぎるのだ。

 それではこの王城で生き抜く事は出来ない、心を壊してしまう。

 そんなマックスの視線をリコは静かに受け止めた。リコを憎む事で心を保てるならば、それでいい。



「兄上は……呪われているくせに……それなのに父上も宰相達も兄上に信を置く。兄上は狡い。さっさと自身でその呪われた命を絶つべきなのです!!」


 吐き捨てるようにそれだけ言うと、マックスは踵を返し去って行った。

 マックスの言う通り、さっさとこの命を絶ってしまえば楽になれるのだ。

 だがリコには母との約束がある。


「俺は卑怯だな。それさえも、卑しく生きる為の言い訳にしている……」


「殿下?」

「リコ様、何を……?」


 一人呟いたリコの言葉の意味を掴みかね、ザックもトールドも心配そうに顔を曇らせる。

 母との約束――母の予言はリコ以外、誰も知らない。知らせてはならない。


 『――まさか、そんな!!』


 あの時リコを愕然とさせたそれは、未だに信じられないでいる。

 いまわの際の母の意識は朦朧としていて、何を言っているのか母自身わかっていなかったかも知れない。

 しかし――。


 母の死から二年後、母の予言は現実となった。

 マグノリアの皇太子であった第一皇子を(たお)し、その座に第二皇子が就いたのだ。


――― いや、違う。そうではない。あれは……。




**********




「殿下?……殿下!!」


 ザックの呼び起こす声に、リコの意識は一気に覚醒した。

 リコは急いで長椅子から体を起こすと、辺りを見回す。


「……ザック……俺は……寝ていたのか?」


「そうですよ、うなされていた様でしたが、大丈夫ですか?」


「……そうか」


 昨晩は遅くまで、ジャスティン達と講和を進めるにあたって前段階となる協議をしていた。

 その後、執務室代わりのこの部屋で雑務をこなし、少し仮眠をとる為にこの長椅子に横になった事を、やっとリコは思い出した。

 浅い眠りの中、昔の事を夢に見ていたのだ。

 リコは乱れた髪を掻き上げながら、大きく息を吐き出す。


「お疲れの様ですね~。では、今日はサボっちゃいますか?」


 ザックの心配を隠した明るい声に、リコは小さく笑った。


「大丈夫だ……皆もう、評議の間に集まっているのか?」


「はい、いえ……あの……」


 珍しく歯切れの悪い返事をするザックに、立ち上がって扉へと向かっていたリコは不審そうに振り返った。


「なんだ?」


「いえ……なんでもないです!」


「……いつも通り、変な奴だな」


 眉を寄せてザックを見たリコは、そのまま踵を返して部屋から出て行った。その後をザックも「その言い様は酷いです~!!」と叫びながら追ったのだった。



**********



 評議の間に集まっていたのは、トールドとメルク、そして数人の元大臣達だった。

 本来この場に集まるはずの重臣達は、王の闇に飲み込まれてしまい、その姿を現す事はもはやない。

 しかし、この場にいる顔ぶれを見渡したリコは疑問に思わずにはいられなかった。

 その全てが、リコが『呪われた王子』として王城で過ごしていた頃からリコを擁護し、敬意を以って接してくれていた者達なのだ。

 王がその言動に変調をきたし始めた時、一番にその職を追われたメルク。

 それから相次いで職を追われたこの者達は、閑職とはいえ別の職を与えられ、王城から追い出されることはなかった。

 リコが王の変貌を聞きつけ急ぎ王城へ戻った時には、王はすでに全くの別人と言っていい程に変わってしまっていたのだが……。


――― 父上はいったい何をどこまでご存じだったのだろうか……?


 評議の間に入ってからずっと黙ったまま考え込んでいたリコは、メルクの声に我に返った。


「リカルド殿下……ご報告致したい事がございます」


「なんだ?」


「我々は先程、暫定官府として連名で布告を発しました」


 その言葉にリコは驚く。


「どういう事だ!? 私はまだ許してないぞ!!」


「はい、厳罰は覚悟の上でございます。これが、我々の名で発布した物でございます」


 リコはメルクの差し出した書面を引っ手繰(たく)る様にして取り、急ぎ目を通した。

 そしてその内容に激昂する。


「これは……これは一体何だ!? これではまるで全て父上が――王が悪いようではないか!!」


 怒りのあまり声が震える。だが、リコとてメルク達の行動を理解はしているのだ。

 ただ、どうしようもない程のやりきれない感情を怒りに変えてぶつけているに過ぎなかった。


「誰がこんな……誰が狂王などと信じるんだ!!」


 布告の内容は実に簡潔だった。

 それは、リコが王家の宝剣であるヴィシュヌの剣に真の後継者と認められ、ヴィシュヌの名を冠した事。

 その剣を以て、狂王と化した王と、それに並ぶ王太子を討ち果たした事。

 帝国への突然の侵攻、それに及ぶ戦は王の暴挙であり、両国共に苦しめるだけの無益な戦を終わらせる為に、全面的に王国の非を認めた上で講和を申し入れた事。

 明後日、リコの即位式が執り行われる事。

 そして最後に、花がリコの正妃になったとの先頃の布達は偽りであり、花の名誉を損なうものであった事を謝罪していた。


「殿下、今ではありません。我々は後年に向けて布告を発したのです」


 メルクの言葉の真意にリコは顔を顰めた。


「民は王の――為政者の気持ちまで酌んではくれません。目の前にある現実のみで判断するのです。これからこの国は厳しい時代を迎えます。それによって民たちに先王の時代を顧みさせてはならないのです。今、厳しい生活があるのは先王の悪行のせいだと――先王に泥をかぶって貰わねばならないのです。これから王となる殿下に一片の曇りもあってはなりません。民に不満を抱かせては導くものも導けませぬ」


「わかっている……わかっているさ、それくらい。だが……父上はずっとこの国を思っておられたんだ。それなのに私が……」


 王は数年前から何度もリコを呼び戻そうとしていた。

 しかし、リコがそれに応じる事はなかった。それが己に施された呪を解く為だと、わかっていたのだ。

 わかっていたからこそ、その後に待ちうけるものが怖くて、リコは逃げ回っていたのだった。


「王は殿下にあのような忌まわしい責を負わすおつもりはありませんでした。殿下の呪をお解きになった後には……自尽なさるおつもりでした」


 メルクの言葉にリコは青ざめる。


「……何を……何を言って……」


 王ほどの力を持った者の施した呪は、施術者本人でなくては普通は解く事ができない。そして、施術者が滅んでも、術は残る。

 セルショナードの発展に陰りが見え始めた頃、王は決意したのだ。

 王子の――リコの呪を解く事を。だが、それが果たされる事はなかった。

 メルクは目を閉じて暫し王を(おも)う。



『メルク、見てくれ。今の私は宝剣を抜く事さえ出来ない。生に縋る私の弱い心は、死という闇に囚われてしまったのだ。もはや己の命を絶つことも叶わぬ。結局、あの子に重い責を負わせてしまう……メルク、この先のあの子を、リコをどうか支えてやってくれ』



 その疲労濃い顔に厳しさを湛え、目を開けたメルクは静かにリコを見つめ、膝をついた。


「殿下……王とは幾多の犠牲の上に立つものであります。ですが、殿下はお一人ではございません。我々は殿下が王として立たれるのに足元が揺らぐようでありましたら、いくらでもその土台となる覚悟でおります。殿下は足元をお気になさる必要はございません。前だけを向いて下さればよいのです。どうか真っ直ぐに、前だけを向いてお進み下さるようお願い申し上げます」


 その言葉と共に頭を下げ平伏したメルクに続き、ザックやトールド、そしてその場にいる全員が同様に平伏した。

 ただ一人、その中に立つリコは、メルクの言葉を深く胸に刻むようにゆっくりと息を吸い込む。そして、一息に応諾の言葉を発した。


「承知した」


 力強く決意に満ちたリコの声は、評議の間に凛と響いたのだった。





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