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番外編.レナードの縁談。

 

 小鳥の(さえず)る声で目覚めたレナードはそのまま窓辺へと行き、勢いよくカーテンを開けた。

 外は明けゆく太陽の爽やかな光に包まれている。

 いい一日になりそうだ、と思ったレナードは朝食をとりに家族用の食事室へと向かいかけて、足を止めた。


――― 待て……このパターンは嫌な予感がする。


 そう考えたレナードは王宮の兵舎の食堂へ転移しようとしたのだが、そこへノックの音が響いた。

 レナードの部屋に入室するのにノックをするのは屋敷に仕える者達だけだ。その事に安堵して、入室を許可する。


「入れ」


「おはようございます、おぼっちゃま」


 朝の挨拶と共に入って来たのは、父である先代からユース侯爵家に仕える執事のメーシプだった。


「――メーシプ!! いい加減、その『おぼっちゃま』って言うのはやめろ!!」


「おや、おぼっちゃま、反抗期でございますか?」


「んな訳あるか!! 俺はもう立派に成人した大人だ!!」


「おぼっちゃま、立派な大人の男性は私の様な老体に怒鳴りつけたりなどしないものでございます。嗚呼、おぼっちゃまもお小さい頃はそれはそれはお可愛らしかったのに……雷が怖いと私に縋りついて朝までお離しになって下さらなかったり……」


「な!?……そんなガキの頃の話を……」


 グウっと言葉に詰まったレナードに満足したのか、メーシプはキリリと表情を改めると背筋を伸ばして用件を伝えた。


「おぼっちゃま、奥様がお呼びでございます」


「んな!?………は…母上が!?」


「はい」


 青ざめたレナードに、メーシプは表情を変えずに答えると、そのまま退室していった。

 その後、メーシプが懐から手帳を取り出して何事かを書き付けていたのをレナードは知らない。

 メーシプはユース侯爵家の使用人達がこぞって入会する会の会長である。その名も『レナード様を愛でる会』、通称『おぼっちゃまを(いじ)る会』。

 ちなみに名誉会長にはディアンが就いている。



*****



 レナードは非常に重い足取りで母の待つ居間へと向かった。

 できればこのまま逃亡してしまいたい。


――― そうだ!! そうしよう!!


 扉の前で決意を固めたレナードは転移しようとしたのだが……。


「レオナルド、何をしているの? 早くお入りなさい」


 凛とした女性の声が居間の中から聞こえた。

 間違いなく母の声である。

 レナードはゴクリと唾を飲み込んで、扉を開いた。


「レオナルド、遅いわよ? いい女はね、待たすのは平気だけど、待たされるのは嫌いなの。だから私は待たされるのが嫌い。そんな事もわからないから、いつも振られるのよ。ほら、あんまり待たせるから爪が伸びてしまったわ」


 ゆっくりとした口調で、それでも口を挟む隙を与えず話すレナードの母――アンジェリーナは、その白くなめらかな手をレナードへと差し出した。

 レナードはソファに浅く腰かけるアンジェリーナの足元に膝をついて、差し出された手を取り口づけると、そっとアンジェリーナの膝の上に手を戻して立ち上がった。


「母上、残念ながら私はもう王宮へ行かなければ――」


「レオナルド」


 アンジェリーナは優しくレナードの言葉を遮った。

 この口調で名を呼ばれたら、絶対に逆らってはいけない。それは百四十三年のレナードの人生においての『生き延びる為の五カ条』の一つである。

 そもそもこの『レオナルド』という呼び名は、アンジェリーナの出身国であるサンドル王国におけるレナードの呼称であり、アンジェリーナ以外にそう呼ぶものはいないのだが、とにかくレナードはこの呼び方が苦手だった。


「私、そろそろ孫の顔が見たいの。きっとあなたのお父様もユース家の跡継ぎが生まれない事には、ゆっくり土の下で眠っていられないと思うわ。あなたはお亡くなりになったお父様にまだ心配をかけたいの?」


「……母上、なぜ私に言うのですか……父上の跡を継いだのはディアンです。まずディアンに言うべきじゃないですか?」


「いやだわ、レオナルド……あなた、まさかあのディアンにお嫁さんが来てくれると思っているの? 私なら嫌だわ、あんな性格の悪い子」


 レナードは母の言葉に、「あなたそっくりです」と返すのを必死で堪えた。そしてなんとか婉曲に断れないかと試みる。


「母上、残念ながら私は先程母上がおっしゃっておられた様に、恋人に振られてばかりです。しかもその理由は全て同じ、『あなたの事は大好きだけど、あなたのお兄さんの事を考えると、この先を望む事はできないから別れましょう』なんです。と言うわけで――」


「レオナルド」


 かなり自虐的であったが、それでも手段を選んでなどいられないレナードの言葉を、再びアンジェリーナは遮った。


「もちろん、あなたが振られた理由なんて知っているわよ。だからディアンが義兄になっても構わないっておっしゃって下さるお嬢さん方を揃えたわ。さ、どのご令嬢にする?」


 そう言ってアンジェリーナは応接テーブルに並べてあった数枚の姿絵を指し示した。


「そ、それこそ、その縁談はディアンに勧めたらいいじゃないですか!!」


「いやだわ、飲み込みの悪い子ね。ディアンに嫁ぐのは嫌だけど、ギリギリあなたなら我慢するって言ってくれた()達なのよ。それもディアンを屋敷から遠ざけるという条件付きでね」


「当主を屋敷から追い出してどうするんですか!? それでしたら私が屋敷を別に構えるのが普通でしょう!?」


「じゃあ、それでいいわ。で、どの娘にする?」


「え? いえ……ですから……」


 どんどん追い詰められていくレナードは、アンジェリーナの後ろに控える侍女が何か手帳に書き付けているのに気付かない。


「と、とにかく!! ギリギリ我慢されてまで結婚なんてしたくありません!!」


「レオナルド」


 アンジェリーナは美しく整った顔に優しい微笑みを浮かべた。


「以前あなたに縁談を勧めた時には、『陛下にまだ一人のお妃様もいらっしゃらないのに、私が先に妻を娶るわけにはいきません』と言ったわよね?」


「……はい」


「私はまだお目にかかっていないけれど、ハナ様はとても可愛らしい御方ですってね?」


「……はい」


「なんでもあのディアンと対等に渡り合っていらっしゃるらしいわね?」


「……はい」


「それで……陛下とハナ様が初めてお会いした時に、あなたも一緒だったとか?」


「……はい」


 あまりの迫力に、ただ頷く事しかできないレナードの喉元に、アンジェリーナは立ち上がると持っていた扇子を突き付けた。


「なぜそのように素敵なお嬢さんをみすみす逃すのかしら?」


「す……すみません」


 理不尽極まりない言葉にも、レナードはただ謝る事しか出来ない。


「まあ、それは今更言ってもしょうがない事ぐらいはわかっているのよ、私も」


 その言葉にレナードはあからさまにホッとした。


「で、どのお嬢さんにする?」


 結局振り出しに戻ってしまった事に、レナードは急に直立すると……。


「あ! 大変だ!! 陛下が助けを呼んでいる!!」


 と、棒読みして消えた――というか、逃げた。


「………ちょっと、からかいすぎたかしら? それにしても、あの子……逃げ方があの人そっくりだわ」


 一人呟いたアンジェリーナは、居間の暖炉の上に視線を向けた。

 そこにはアンジェリーナの夫であり、レナード達の父親である先代ユース侯爵の肖像画が掛けられてある。

 レナード達の父親は早くに妻を亡くし、後を継ぐ子供にも恵まれていなかったのだが、三百五十歳以上離れたアンジェリーナと公務で訪れたサンドル王国で出会い、大恋愛の末に結婚したのだ。アンジェリーナの実家は代々、サンドル王国の神殿の神官を務めており、なぜか双子が生まれやすい家系だった。

 ちなみにアンジェリーナは『レナード様を愛でる会』の名誉顧問である。



*****



「遅いぞ」


 レナードがルークの執務室に足を踏み入れた途端、ルークの叱責が飛んだ。


「申し訳ありません、陛下。朝から母上に捕まりまして……」


 いつもの元気な挨拶をする気力もなく、レナードは小さな声で謝罪の言葉を述べた。

 言い訳するなど男らしくない事もわかっていたが、ぼやかずにはいられない。

 そんなレナードに、ルークは気の毒そうな視線を向けた。


「そうか……災難だったな……」


 幼い頃にはレナードの屋敷でしばしば過ごしていたルークは、アンジェリーナという人間をよく知っている。その為、レナードがアンジェリーナから解放されたのではなく、逃げて来たのだろう事も容易に想像出来た。

 そしてルークは、アンジェリーナが再び領地に戻るまでの間、弄られ続けるだろうレナードに同情し、それ以上は何も言わなかったのだった。




読んで下さり、ありがとうございます。


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