9.事後承諾ですか。
「本日の議題はこれにて終了です」
朝議の終了を告げる、議長である宰相の凛とした声が謁見の間に響き渡った。
だが、会議の場に和やかな空気は漂わず、むしろ緊張が高まっているようであった。
「へ……陛下」
震える声をなんとか抑えながら、内大臣であるドイルが声を上げた。
謁見の間にはピリピリとした空気が漂う。
その中でただ一人、和やかに微笑んでいる者がいる。それは、謁見の間の最奥に座す、マグノリア帝国皇帝その人だった。
「なんだ?」
ルークの深く艶のある声がその場に響く。
「お、恐れながら……陛下にお伺いしたい事が……」
ルークの微笑みにもまったく緊張を解く事もなく、ドイルは続けた。
「なんだ?申してみよ」
「今朝早く、後宮に仕えるものから伝え聞いたのですが……昨晩、青鹿の間に姫君を迎えられたと……」
「ああ、そのことか……ずいぶん情報が早いな」
そう言ってルークは更に笑みを深くするのだが、近衛隊長であるレナード、宰相のディアン以外のその場にいる殆どの者達が、皆一様に青ざめた。
「そ、それはその……たまたま……」
ドイルは真っ青というより真っ白な顔をして、しどろもどろに言葉を重ねる。それでも意を決して言葉を継ぐ。
「その……青鹿の間に迎えられた姫君は、いったいどちらの姫君なのでしょうか?」
発言しているのはドイルだが、それはこの場にいるすべての臣下たちの問いでもあった。
要するに誰の息が係っているのか、それを皆は知りたいのだ。
「そのほうらが知る必要はない」
キッパリ言い切ったルークに、ドイルは力なく俯いた。
しかし、それを継いだ形で外大臣のコーブが青ざめながらも発言する。
「恐れながら、陛下……青鹿の間は、ご正妃様のお部屋となる白凰の間に次いで、位の高いお妃様に与えられるものです。僭越な事と存じておりますが、何卒、その姫君のご素性をお教え頂きたく……」
――― まあ、正論だな。
ルークの後ろに控え、事の成り行きを見守っていたレナードはチラリとルークを窺った。ルークがこの状況を楽しんでいるのは間違いない。
「名は『ハナ』と申す。愛らしい娘だ。まだここには慣れておらぬ故、皆に迷惑をかけるやもしれぬが、許してやって欲しい」
そう言うとルークは立ち上がった。有無を言わさないその態度に皆はそれ以上の追求を諦めた。
それからルークは宰相のディアンに声をかけた。
「ディアン、私はこれから後宮に向かう。何かあれば青鹿の間に伝えよ」
何食わぬ顔でルークはそう告げると、謁見の間を後にした。ルークが立ち去った後の謁見の間は嵐のような騒ぎになった。
『遂に、皇帝陛下の寵愛を得る娘が現れた!』
この驚くべき知らせは、瞬く間に宮廷を駆け巡った。
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花が三杯目の紅茶を飲んでいる所に、青鹿の扉がノックされた。扉の内側に立っていたジョシュが対応している。
カイルは扉の外側に立っているらしく、イレイザはセレナとエレーンに簡単に引継ぎをすると、さっさと出て行ってしまったので、今、部屋の中にいるのは花を含めて四人だった。
しかし、花はどうすればいいかわからず気まずい沈黙が続いていたので、ただひたすら黙って紅茶を飲むしかなかった。
「皇帝陛下のお越しです」
ジョシュが緊張した面持ちで告げ、扉を開く。
入って来たルークに花は立ち上がり、貴婦人らしく挨拶をした。
「おはようございます、陛下。レナード」
その姿に、ルークとレナードは驚いたように立ち止った。
一応、旧華族の出身である花は、いわゆる上流階級の人間との付き合いを好む父親の意向により、一通りの礼儀作法を徹底的に仕込まれている。
「ああ、おはよう、ハナ。昨晩はよく眠れたか?」
気を取り直したルークが形通りの挨拶を返す。
「ええ、ぐっすりと。ありがとうございます」
そう答えた後に、ふと自分がこの部屋の女主人あることに気付き、ソファへと二人を勧める。ソファに腰を落ち着けたルークと、相変わらずルークの後ろに立つレナードの方へ向き「お茶でよろしいでしょうか?」と問い、肯定をもらうと控えていたセレナにお茶の用意をお願いする。
ここまでは完璧なはず。
花の実家には住み込みの家政婦と通いの家政婦がいて、その二人に対する母の態度を真似てみたのだった。
緊張した様子のセレナがお茶を淹れてくれ、それをルークに勧め、花は四杯目となるお茶の入ったカップを形ばかり口に付ける。
少し落ち着いたところで話を始めた。
「陛下、このような素敵なお部屋をご用意下さり、ありがとうございます。それにこのドレスも」
その言葉にルークは頷き、「よく似合っている」と褒めた。
「ところで……」
花はどう切り出そうか迷い言葉に詰まったが、率直に疑問をぶつけることにした。
「このようにして下さるのはなぜでしょうか?」
「なぜとは?」
「理由を教えて下さい」
「理由が必要か?」
「はい」
「そうか……」
ルークは一旦言葉を切ると、控えていたセレナとエレーンの方に言葉を向けた。
「お前たち、少し席をはずせ。ああ、お前もだ」
そう言ってジョシュにも声をかける。三人が一礼をして退室し、三人だけになったのを見届けて、ルークは再び口を開いた。
「さて、贈り物の理由だったな?」
「この部屋の事も含めて」
「ただの好意とは思わないか?」
「思いません」
「なぜ?」
「なぜでもです」
「そなたは一目惚れを信じないか?」
「信じません」
キッパリ言いきる花に、ルークはフッと笑う。
「随分、はっきり言い切るんだな」
「いえ……他の方の事はわかりません。でも、ルークがそのように愚かだとは思いません」
「一目惚れが愚かな事か?」
「それが、このような行動に移すとしたら、愚かです」
「なるほど」
ルークはニヤリと笑う。
「ルーク、正直に答えて下さい。あなたは私に何を求めているのですか?」
花の言葉にルークもレナードも正直驚いていた。
――― この娘はずいぶん頭が働く……小賢しいだけか、それとも……。
しばしの沈黙の後、ルークは口を開いた。
「そなたは私の側室となった」