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84.そうだ、南にいこう。

 

 イザベラに投げつけられた非難は、リコの正妃になると決めた時から覚悟していたものだった。

 それでもルークの傍にいられるなら、何を言われても平気だと思っていた。

 しかし――。

 『陛下はお優しくていらっしゃるから、何もおっしゃられずにハナ様をお受入れになられたのでしょうが……』

 イザベラのこの言葉は、ずっと花の心の中に淀んでいた不安を大きく膨れ上がらせ、溢れ出させてしてしまったのだ。

 ルークに嫌われてしまうことが、本当はずっと不安で怖かった。


―――― やっぱり私は……。


 昨日のキスからよそよそしくなってしまったルークの態度。

 ルークは花に触れなくなっていた。

 以前は花が戸惑うほどに触れていたというのに……。

 ルークは優しい。

 だから、花に出て行くようには言わないが、やはり受け入れる事が出来ないのだろう。


 それにいずれルークはイザベラか、他の二人のどちらかを正妃として娶る事になるかも知れない。

 花はそれを、ルークの優しさで側に置いてもらうだけの立場で見ていなければならないのだ。以前、三人に面した時はチクリと胸が痛みはしたものの、これ程までに苦しく、辛い事だとは思いもしなかった。

 「いらない」と言われても、侍女でも下働きでも何をしてでもルークの近くにいたいと思っていたけれど、このままここにいるのは耐えられそうにない。



 長椅子で膝を抱えて俯いていた花は、寝室の扉を控えめにノックする音に顔を上げた。

 気が付けば、陽はもうかなり傾いている。

 花が寝室にいる時は、セレナ達から声をかけて来る事は珍しいので、不思議に思いながらも応じた。


「はい?」


「ハナ様、急ではございますが、セイン様から面会の申し込みが来ておりますが、どうなさいますか?」


「もちろん、お受けして下さい!」


 セレナに慌てて答えながら、花は急いで立ち上がった。

 セインはジャスティンが花を助けにセルショナードへ入国する理由の為に、花を養女にしてくれたのだ。

 その事を失念していた自分を花は呪った。本来なら昨日、花からお礼を言うべきだったのに。



 そうして青鹿の間に現れたセインは少し疲れてはいるようだったが、ジャスティンとよく似た面立ちに優しい微笑みを湛えていた。

 セインもまた魔力が強いので、その姿は三十代前半といった所だが、口髭を生やしている為か、もう少し年上の印象を与えている。


「ハナ様、お疲れのところ無理を申しましたことお許し下さい。しかし、昨日より随分お顔の色も良くなられた様で安心致しました」


 その柔和な顔に安堵の色を浮かべるセインは本当に優しそうで、花はセインが義父となってくれた事が嬉しかった。


「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。本来なら私の方からお礼とお詫びに伺うべきでしたのに。この度は私の為にお力添えを頂いて……私を養女にまでして頂き、本当にありがとうございました」


 深く頭を下げる花に、セインは恐縮したようだ。


「ハナ様、お顔をお上げになって下さい。ハナ様の養父とさせて頂けるなど、私には身に余る光栄。私には娘もおりませんから、妻共々大変喜んでいるのですよ。もう少し落ち着きましたら、改めて妻とご挨拶に伺いますので、よろしくお願い致します。では、このような簡単な挨拶で申し訳ありませんが、今日はこれで失礼致します」


 そう言うと、セインは早々に退室してしまった。

 講和についての朝議が長引いているらしいので、恐らくその合間を縫って挨拶に来てくれたのだろう。

 椅子を勧める事もせずに、再び礼儀を欠いてしまった事を後悔しながらも、花はソファに座って考えを巡らせた。


 マグノリア皇帝の寵妃――それが花の価値だ。

 当然、ユシュタルの御使いとまで言われる『癒しの力』も花の価値ではあるが、セインにとって果たしてそれは、花を養女にしてまで価値のあるものだろうか。

 そこまで考えて、花は我に返った。


――― 違う! セインはそんな事を考えて私を養女にしてくれたわけじゃない……ただ、純粋に私を救ってくれるためだ……たぶん。


 どうしても他人(ひと)を信用する事ができない、そんな花の厭な部分が浮かび上がって来た事に、花は自分で自分を嫌悪した。

 負の感情に囚われてしまった花は、どうしてもいつものように「まあ、いっか」と流し、前向きに考えることができなかったのだ。



 そうして夜になると、疲れを理由に早々に寝室へと下がったのだが、眠る事など出来ず、結局花は寝台に腰をかけて考え込んでしまった。


 本来、死ぬはずだった花がこの世界にいるのは、ユシュタールの皆を癒す為。

 『癒しの力』が私の価値ならば、やはり私は世界中に音楽を、癒しを届けなければ。

 ルークの傍にいたい、ルークを守りたいと思っていたけれど、結局何も出来なかった自分がルークの傍にいる資格はないのだ。

 それならば、世界中に癒しを届ける事が出来たら、少しはルークの為になるのではないか。みんなの魔力が満たされたなら、少しはルークの負担が減る?

 以前、リコ達とコステイまで旅したように、旅芸人の一座に入れてもらえば、世界中を回れるだろうか。


――― でも寒いの苦手なんだけどな……そうだ、南に向かうのはどうだろう? 南……サンドル王国を目指す?


 サンドル王国はユシュタールの最南端に位置する王国で、マグノリアからは海を渡らなければならない。

 以前から花は、他国の使者とは面会をしなかったし、書状や贈り物も受け取る事はなかった。

 それに業を煮やしたのか、一度、花が散歩中に突如サンドル王国の者が嘆願に現れた事があったのだ。それはカイル達護衛がすぐに追い払ったが、その者達の切羽詰まった様子に、花は申し訳なく思ったものだった。


――― でも……私は本当に世界中の人達を癒す事ができるのかな? セルショナードでも結局、みんなに守られて、ルークに無理をさせてまで迎えに来てもらっただけ。それに……ッ!!


 花は急に込み上げてきた嗚咽を堪えた。

 昨日の記憶が恐怖となり、突如として花を襲ったのだ。

 明らかに花を狙って来ていた兵達の闇に沈んだ目。頬に散った血の感触。迫り来る闇。


――― 私は……私は何をした? 私に何ができた?


 王が施したというリコの呪を花は解く事が出来た。

 しかしその結果は、リコが父親である王を討つ事だった。そして、リコは弟である王太子も討たなければならなかったのだ。

 それは宿命と誰もが諦めていたけれど――。

 忌まわしい記憶が花を責め苛む。

 花は必死で震える体を抱きしめたが、抑える事は出来なかった。



*****



「ハナ?」


 寝室に入ったルークは、花の様子がおかしい事に気付き、急ぎ駆け寄った。

 花の顔は真っ青になり、細い体を震わせている。


「ルーク……」


 ルークを見上げた花の瞳から涙がこぼれ落ちた。

 そんな花に胸が張り裂けそうになりながらもルークは触れる事が出来ず、すぐに俯いてしまった花に視線を合わせる為に膝をついた。


「どうした?」


 ルークの優しい問いに、花は首を横に振るだけ。


「今日……馬鹿な女に何を言われた?」


 花がイザベラと面した事を当然ルークは知っていた。そしてその無神経な厚かましさに怒りが込み上げたのは言うまでもない。

 ルークは花の様子にイザベラが原因かと更に怒りを募らせた。


「ちっ、違います……そうじゃないんです。そうじゃなくて私は……」


 ルークの声に冷たいものを感じ、花はなんとか声を絞り出して否定したが、気持ちが混乱していてどう言えばいいのかわからない。

 ルークは心配そうに顔を曇らせながらも、優しく促した。


「ハナが?」


 ダメだ。ルークの優しい顔を見ると甘えてしまう。

 触れて欲しい。抱きしめて欲しい。そして、この恐怖を、不安を取りのぞいて欲しい。

 そんな言葉が飛び出しそうで、花は唇を噛んだ。


 感情を押し殺して俯く花を、ルークはとうとう耐えきれずに抱きしめた。

 目の前で花が悲しみ苦しんでいるというのに、これ以上ただ見ているだけなどできなかったのだ。

 腕の中の花は折れそうなほど細く、微かな震えと共に伝わってくる感情にルークは酷く後悔した。


 あの忌まわしい出来事に傷つかない訳がないのだ。

 いつも毅然として微笑んでいても、花がその心にどれ程の苦しみを抱えているのか、分かっていながら自身の醜い嫉妬に囚われて、更に花を不安にさせ傷付けてしまった。


「違う、ハナ……そうじゃないんだ……」


 ルークは上手く言葉を継ぐ事が出来ずに、荒く息を吸った。


「ハナは何も悪くない、すべて俺が……俺の醜い感情がハナを傷付けるのが怖かったんだ」


「ルークが……私を傷付ける?……それは私を……嫌いになったからですか?」


「まさか! そんな訳あるはずがない!!」


 ルークの言葉を信じたい。でもルークは優しいから。

 優しい言葉に(すが)りそうになる自分を奮い起こし、そっとルークから離れようとする花をルークは逃さない様にと腕に力を込めた。


「信じてくれ、ハナ」


「でも……私は何も出来ませんでした。みんなに迷惑をかけて、守られて……リコの――」


「あいつの名は言うな!!」


 怒気を含んだルークの声に、花はビクリと肩を揺らした。

 自分の怒りで花を怖がらせてしまった事をルークは悔やみ、苦しげに顔を歪めて力なく腕を下ろし身を引いた。


「すまない……ハナがあいつの名を口にするだけでどうしようもない怒りが込み上げてくる。そしてそれをハナにぶつけてしまう……それが俺は怖い。それでも……傍にいて欲しい。俺にはハナが必要なんだ」


「私は……ルークの傍にいてもいいんですか? 何も出来なくても……ルークは嫌じゃないですか?」


 拒絶される事を脅えているような花の震える声に、ルークは強く否定した。


「何をバカな事を!! 花がどれ程の事をしてくれたか……花を嫌いになれる訳がない!! こんなに……こんなに大切なのに……」


 最後は絞り出すように言うと、ルークは花を再び強く抱きしめた。

 苦しいはずのその抱擁に、花は安堵し、感謝するようにありったけの勇気を集めてキスをした。

 それは上手く出来ない、たどたどしいキス。

 ルークは一瞬驚いたようだったが、すぐに応えると激しい程のキスを返した。

 息が詰まるようなキスの後、花はルークに回した腕にギュッと力を入れて、今にも泣き出しそうな声で囁いた。


「ルークが私を必要としてくれるなら……嬉しいです。私はルークに触れてほしいです。私はルークになら何をされても傷付きません……いらないって言われない限り」


「……やめてくれ」


 花の言葉にルークはギュッと目を瞑り、苦しそうに訴える。


「ご、ごめんなさい。私……」


 ルークの優しさをやはり勘違いしてしまったと、慌ててルークから離れようとした花は、柔らかな枕へと押し倒された。


「ルーク?」


「これ以上、俺を煽らないでくれ」


 花はルークの言葉を、その後に続いたキスによって理解した。

 昨日のキス以上に性急で乱暴なキスはやがて全身に広がっていく。

 それは苦しいくらいに激しくて、痛いほどに甘い。

 怖いくらいの激情に、花は今までルークがどれほど気を使ってくれていたのかを始めて知った。

 それでも花はルークのぬくもりを肌に感じ、ルークに触れられる喜びに、胸がつまるほどの幸せに包まれたのだった。



※妻=正妻です。(セインは妻一人ですが)

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