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82.備えあれば憂いなし。


――― なんじゃこりゃー!?


 湯浴みの前にふと見た自分の姿に、花は愕然としてしまった。

あまりにもひど過ぎるのだ。

 花に付着していた泥や埃、そして血はどうやらルークがいつの間にか浄化魔法で綺麗にしてくれていたらしいのだが、あちこち擦り切れて破れているドレスはシワだらけのヨレヨレ。髪もすっかり艶をなくしてあちこちに飛びはねている。


――― これは確かに、アポルオンさんの言う通り酷い顔……恰好だな……。


 この姿をみんなに見せていたのかと思うと、花は落ち込んでしまった。しかも、この姿でルークとキスまでしてしまった事が恥ずかしくて思わず悶えてしまう。


――― いや、もっと恥ずかしい事とかしてますけど!! でもそれとこれとは別でして……シチュエーションが大事って言うか……ただでさえ、見劣りするのにー!! すみませんでした!!


 誰に言い訳しているのか、謝罪しているのかはわからないが、とりあえず花はひたすら心の中で悶えていたのだった。


 その後、自分で切り揃えていた髪をセレナに整えてもらった。

 セレナもエレーンも短くなってしまった花の髪に酷く心を痛めていたが、花は笑って気にしていない事を伝えた。髪の毛はまた伸びる。それよりもこうしてセレナ達に再会できたことがどんなに嬉しい事か。

 そして、少し休むつもりで寝室にいくと、ルークが椅子に座って書類に目を通していた。


「ルークは……休まなくて大丈夫なの?」


 (くつろ)いだ様子のないルークに、花は心配そうに声をかけた。


「――ああ……俺は大丈夫だから、ハナは気にせず休むといい」


 優しく微笑むルークは確かに顔色が良くなっている。

 しかし、それでも花がためらっていると、ルークの優しげな表情に困惑が浮かんだ。


「もし気になって休めないのなら、俺は居間にいようか?」


 その言葉に慌てて花は首を振り、寝台に入った。

 ルークには傍にいて欲しい。――でも何かがおかしい。

 寝台に横になり、心に芽生える不安の原因を確かめたくてジッとルークを見ていると、それに気付いたルークは再び優しく微笑んだ。


「どうした?」


「……なんでもないです」


 その笑顔に少し安心して花は目を閉じると、あっという間に眠りに落ちてしまった。

 目を閉じた花を心配そうに見ていたルークは、すぐに聞こえてきた穏やかな寝息に笑いを洩らし、大きく息を吐き出すと、ルークもまた椅子に座ったまま目を閉じたのだった。



**********



 今朝の無意味な朝議が終わり、いつものように執務室に戻ったルークはその瞬間、セルショナードからの強烈な力を感じた。

 と、同時に突如として虚無の勢いが衰えたのだ。――正確に言うならばセルショナードとの戦が始まる以前の勢いに戻ったと言うべきだが。


――― この力は……。


 喜ぶべき力の発現に、ルークはなぜか胸騒ぎをおぼえた。

 それは、その後に起きた奇跡を目の当たりにしても鎮まることなく、ルークは急ぎディアンやセイン達を呼び出した。

 そこへ、シェラサナードがやって来たのだ。


「陛下……」


「わかっています、姉上」


 心配そうに顔を曇らせたシェラサナードに強い口調で応えると、ルークは皆に告げた。


「私はこれからセルショナード王城へ飛ぶ」


「陛下!?」


 ルークの言葉にその場の者達は驚き、息を呑んだ。ルークが王宮を離れるという事がどういう事なのか、皆十分に理解している。

 しかも、いくらルークでもセルショナード王城まで飛ぶなど無茶でしかない。


「心配するな、大丈夫だ。セルショナードの宝剣は私に味方してくれる」


「どういうことだ!?」


 焦った声で問うレナードに、ルークは苦笑して答えた。


「ヴィシュヌの剣の真の主が現れた。私はそれを見届けてくる」


 ルークの声は落ち着いているようだったが、その表情は厳しいものに変わっている。


「陛下、どうかジャスティンに私の力をお届け下さい」


 驚きのあまり言葉を発する事も出来ない者達の中、シェラサナードは急ぎ前へ進み出た。シェラサナードの力を預かったルークは、レナードやディアン達に向かってその表情を崩さないままに命じた。


「力ある者は祈りの間で待機せよ。ドイルやコーブも呼び出せばいい。理由は適当に……ハナを迎えに行ったとでも。――皆、万一の場合に備えてくれ」


「……万一の場合……」


 ルークが姿を消した後、誰かの(おのの)くような声が執務室に落ちたのだった。


***


 ルークは剣の導くままに月光の塔へと飛んだ。そして、瞬時に状況を悟った。

 結界を破り、踏み込んだ祈りの間で目にした光景にルークは戦慄する。


「ハナ……」


 恐る恐る触れた花の頬は温かく、安堵のあまり眩暈がする程だった。

 だが、抱きしめたその体は以前よりも明らかに細くなっている。そして、花の体の傷、短くなった髪に抑えられないほどの怒りが湧き上がった。

 それでも、腕の中で心配そうに見上げる花の為になんとか堪えたが、伝わる花の苦しみと悲しみに、ルークもまた苦しんだのだった。



**********



 目を開いたルークは、立ち上がり窓辺へと近づいた。

 いつの間にか雲の晴れた空を斜陽が赤く染め上げている。

 大きく息を吐き出したルークは眠る花の呼吸を確かめると、部屋にこれ以上ないほどの防御魔法を施して、そっと寝室から出た。



「ハナは大丈夫なのか?」


「――ああ、今は休んでいる」


 レナードの問いに、ルークは素っ気なく答えた。

 ディアンはジッとルークを見ていたが、軽く息を吐き出すと、いつものように口を開く。


「それでは陛下、いったいセルショナードで何があったのかお教え下さいますでしょうか?」


 ルークは、青鹿の間の居間に集まった者達を見渡した。

 詳しい経緯の説明と今後の方針を明日の朝議までに決める為に、主だった臣下達を呼び寄せたのだ。


「詳しくはジャスティンに聞かねばわからんが、リカルドがセルショナード王を討った。その後に王太子もだ。それは私も見届けた。よって王位はリカルドが継ぐだろう。リカルドはヴィシュヌの剣に真の主と認められたのだ」


 ルークは闇の魔力については触れなかった。ただ簡潔に事実を述べただけだ。


「ヴィシュヌの……」


 思わず洩れでた誰かの呟きが、静まり返ったその場にこぼれ落ちる。

 あまりの事に呆気に取られていた内政長官のグランは、その声に我に返って声を上げた。


「リカルド殿下は父王と弟君を手にかけられたのですか!?」


 その言葉に、ルークの纏う気が圧力を増したように重くなる。


「――そんなに驚く事か? 私は兄上を(あや)めたぞ?」


「ルーク!!」


 凍りそうな程に冷たいルークの言葉に、グランはハッとして青ざめ口を噤んだ。強い口調で窘めるようにルークの名を呼んだレナードの顔も僅かに青ざめている。

 暫し冷たい沈黙が青鹿の間に流れたが、それはルークによって破られた。


「玉座とはいったい何なんだろうな……」


 まるで嘆くように呟いたその言葉はあまりに小さく、聞き取れない者が多かった。

 それから重たい空気のまま、講和についての話し合いは夜遅くまで続いたのだった。



**********



 話し合いの途中も、ルークは何度か花の様子を窺いに寝室へと足を運んだ。

 そしてすっかり夜も更け、皆が王宮にある自室に戻った今も、花は起きる気配がなかった。

 食事もとらないまま眠る花をルークは心配したが、花は穏やかな寝息をたてていたので、そのまま寝かせることにした。

 それだけ疲れているのだろう。

 今日の忌まわしい出来事が花にとってどれほどの負担だったのか。

 ルークは花に触れようと伸ばした手を、暫く躊躇った後、結局下ろした。


 花に触れれば、先程のキスように衝動を抑えきれなくなるかも知れない。

 それは花を傷付ける。

 ルークは自身の中に渦巻く醜い嫉妬や怒りを恐れていた。

 わかっているのだ。

 花とリカルドのつながりは偽りだったと。


 リカルドが花の指輪を外した時に、ルークは理解した。

 花には魔力が全くない為か、傍にいる者の気に染まりやすい。それはルークもよく知っている事だった。

 リカルドは己の気を指輪によって縛り、その指輪と花の纏った気配によって正妃と皆に思わせていたのだろう。

 だが、花の右手小指にはめられた指輪を目にした途端、ルークの心と体は嫉妬の炎で焼き尽くされそうになった。しかもリカルドの花を見る瞳にはしっかりと愛情が映っていたのだ。


 ルークは再び燃え上がりそうになる醜い感情を抑える為に、何度も深呼吸を繰り返した。


 そもそも、なぜリカルドは指輪の偽装をしてまで花を助けたのか。いったい何をどこまで知っていると言うのだろうか。

 それにリカルドのあの力は……。


「くそっ……」


 思わず洩れでたルークの声は、静まり返った部屋に響いたのだった。




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