77.リカルデントで歯は丈夫。
「私の息子を殺せと、そなたらは言っておるのか?」
「決してそのような……」
「ではどういう意味だ!?」
「王……王はこの国にとって決して失ってはいけない御方なのです」
「………本当にそうなのだろうか?」
「王?」
「……」
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裁きの間へと踏み込んだ花は、その異様さに立ち竦んでしまった。
明かりひとつ灯されていない薄闇の中、秤を持った少年の姿が浮き彫りにされた壁を背に座る王と、部屋を囲むように無言で立つ大臣達。
皆の目は、一様に暗く淀んで闇に滲んでいたのだ。
そして部屋の中央、冷たい石床にはグッタリとしたまま動かないリコが横たわっていた。
「リコ!!」
「殿下!!」
花とザックがリコへと駆け寄ろうとするが、ザックはすぐに立ち止まると花を引き寄せ防御魔法を発動させた。
部屋の奥、闇に隠れるように立つガーディの隣にいるローブを纏った魔術師らしき男が花たちに向かって攻撃魔法を仕掛けたのだ。
幸い花は無傷で済んだのだが、ザックはその場に崩れ落ちるように座り込んでしまった。
「ザック!?」
「大丈夫です。ちょっと疲れただけですから、私より殿下をお願いします」
そう言って笑うザックの言葉を信用して花はリコに駆け寄る。
「リコ……?」
そっとリコに触れるとその体は小さく息衝いており、花はホッと息を吐いた。
リコは温かな手に反応したのか、苦しそうに呻きながら花へと顔を向ける。
「ハナ?……何で……き……」
痛みのためか、リコの言葉は途切れがちではっきりしない。
ハナはリコの体を調べ、胸に己で掻きむしったような傷を見つけた。それ以外に大きな外傷はないようだったが……
と、そこへ魔術師の男が口を開く。
「やれやれ、邪魔が入りましたな。しかし殿下はまだ話が出来る程のお元気がおありのようですよ、王?」
耳障りに響くその声に王がピクリと反応し、リコへと手をかざした。
途端、リコが酷く苦しみ始めた。
「リコ!?」
ハナは驚いて王を見やるが、王は無表情のまま苦しむリコをその暗く淀んだ瞳に映すだけ。
そして、それは他の大臣たちも同様であった。
「やめて下さい!!」
花は王に向かって叫んだが、何の反応も得られない。
だが、ガーディは不思議そうに首を傾げた。
「何を今更おっしゃっておられるのですか? ハナ様もリカルド殿下をこのように苦しめておられたでしょうに」
「何を言って……」
ガーディの言葉に花は疑問を投げかけようとするが、それをリコが遮る。
「ちがう!……ハナ……聞くな……うあっ!!」
再び激しく苦しみ出したリコに花はどうすればいいのか分からないまま、目を向けて驚く。
「これは……?」
リコの体に何重にも巻きついて縛りつける茨の蔓のようなものが見えるのだ。
花はそれを取り除こうと手を伸ばすが掴む事ができない。
「おや、呪が見えるのですか?」
「呪!?」
花の驚きに、ガーディは優しく微笑む。
「ええ、殿下は幼き時に王によって呪を施されました。魔力が満たされないように器を封じられているのですよ。ですからここ何日かはハナ様のお歌に随分苦しめられたでしょうね。ハナ様のお歌には器に魔力を満たすという素晴らしいお力がおありになるようですから」
「――そんな……」
ガーディの馬鹿にしたような口調も気にはならず、ただその内容に花は打ちのめされた。
今、目の前で酷く苦しむリコを見て花は息が詰まる。
私はこれほどの苦しみを何度もリコに与えていたのだろうか?
「ちが……ハナ……」
苦しみに悶えながらも必死でリコは否定するが、それでも苦しみから逃れようと己の胸や喉を掻きむしる。
花はこれ以上リコが自身を傷付けないようにと、リコの手を取った。
リコの爪が花の手に食い込むが、花は怯む事なくその手を強く握り返すと、王へと向き直り睨みつけるように暗く淀んだ瞳を真っ直ぐに射貫く。
「王様! なぜこのような事を為さるのですか!? リコが――リカルド殿下がこのように罰せられる程の何をしたと言うのですか!?」
花の凛とした声と澄んだ瞳に、王の闇に滲んだ瞳が揺らめく。
「儂は……私は――リカルドが……私を殺す……予言者が……」
王は頭を抑えて呻くように不明瞭な言葉を吐き出す。
「ガーディ様、やはりあの娘は危険です。クラウス様のおっしゃる通り王はもはや壊れかかっています。早くあの娘を殺してこんな茶番は終わらせましょう」
魔術師の男がガーディに訴えかけるが、ガーディは応えずただ楽しそうに事の成り行きを静観するだけだった。
「王様……」
花は王の心の揺蕩を感じ取り、リコの手を離して王へと近づく。
が、それをさせまいと魔術師の男が花へと攻撃魔法を放った。
「!!」
「ハナ様!!」
リコとザックが弱った体で、それでも必死に花を防御魔法で守った。
そして力尽きた様にグッタリとする二人に花は唇を噛みしめながらも王の側へと寄り、その瞳を覗き込んだ。
「王様、お願いです。どうかリコを、殿下を呪より解放して下さい。殿下はこの国の事を何より思っておられるのです。その殿下が王様を弑するなどと……」
「……国を?……リカルドはこの国を救う……」
花と視線を合わせた王の瞳は徐々に、暗く淀んだ色から翡翠色へと輝きを取り戻そうとする。
「ガーディ様!!」
魔術師の男は焦慮に声を上げるが、それでも動かないガーディに痺れを切らして今度は王へと何事かを詠唱し放った。
それを受けてしまった王は低く哮り、側にいた花を突き飛ばした為に、花は勢いよく倒れ石床に転がってしまった。その衝撃に体は痛み、口の中には鉄の苦い味が広がる。
「ハナ……」
心配そうな声でリコは這うようにして花へと近寄るが、急に再び体を捩り呻き始めた。
王もまた、頭を抑え獣のように唸りだす。
同時に王の体から黒い靄のようなものが滲み出し、辺りに広がり始めた。
「……完全に壊れたな」
その場に不釣合いな、楽しそうな声でガーディが呟く。
黒い闇の侵食は、ただその場に人形のように立ち尽くしていた大臣たちをも飲み込んでいき、ジワリと闇に溶かしていくように、その体を蝕んでいった。
それなのにやはり大臣たちは動くことなく、やがてその姿を消していく。
花は苦しむリコを抱えるようにして、ただその闇が近づくのを見つめる事しか出来なかった。
「ハナ様!!」
切迫した声を上げたザックが花たちへと近づき防御魔法を発動させるが、力の衰えと共に徐々にその範囲も狭まっていく。
我に返った花は、目の前に迫る闇から苦しむリコとザックと共に逃げなければと、必死に考えをめぐらすのだが何も浮ばず焦るばかり。
逃げるといってもどこへ?
王から滲み出る闇は益々広がりをみせて、今にも部屋から溢れ出していきそうだった。
とにかく、苦しむリコの体からこの縛めを解かなければ。
無駄だと知りつつ、花はリコの体に巻きつく茨の蔓の幻影を掴もうとしたが、やはり掴むことなど出来はしない。
だが花は、よりきつくリコの胸に蔓が巻き付いているのを見るや否や、いきなりそこへ口づけた――いや、噛み付いた。
「ええ!?――!?」
ザックは驚愕に満ちた声を上げたが、その後の光景に言葉を失くした。
花が噛みついた瞬間、リコの体を淡い光が包み込んだのだ。それから眩い光がリコの体から放たれた。
あまりの眩しさに誰もが目を瞑る。
そして再び目を開いた時には部屋を覆っていた禍々しい闇が消えていたのだった。
「殿下!?」
「リコ……?」
リコはまだその場に蹲ったままだったが、その体を縛る蔓はもう見えない。
「――噛むなよ……ハナ」
ゆっくりと顔を上げながら、今にも泣きそうな顔で花に笑いかけるリコの瞳には金色の光が揺らめいていた。
しかし、すぐにリコは顔を顰め荒く息を吐く。
「リコ……」
花の心配を滲ませた声に、リコはなんとか再び微笑む。
「心配ない。まだ力の制御が上手く……できないだけだ」
「殿下の器がこれ程とは……」
リコを見て呆けたように呟いたザックは、なんとか気を取り直して笑った。
「ハナ様って意外と大胆なんですね――俺、惚れそう……」
「え……いえ……あの、固くて手で開かないものって、歯で開けたりするからつい条件反射で……」
「……野性的ですね」
予想外の言葉にザックは吹き出し、リコも笑うのだがその瞳は悲痛に満ちていた。
「結局……ハナに救われてしまったな、すまない」
リコは花を見つめ、そっとその下唇を親指で優しくなぞった。
何度も強く噛みしめた為に腫れて血が滲んでいた花の唇は、リコに癒されその柔らかさを取り戻す。
「リコ?」
リコは花の問いかけにいつもの穏やかな笑みを浮かべたが、すっと花から視線を外すと王へと向き直った。
そして苦しそうに歪む王の翡翠色の瞳を、決意と悲しみに満ちた金色の瞳で真っ直ぐに見つめたのだった。