74.誤魔化しはダメ。
満月の夜から毎晩、花は月光の塔で歌っていた。
すると欠けゆく月はそれでも精一杯、花の歌声を遠くへと届けようとしているかのように光り輝くのであった。
「耳障りな音だ」
花の歌声に辺り一面がきらきらと輝く夢のような光景を、王城の一室から冷めた目で見ていたクラウスは呟いた。
「少し遊び過ぎたな。すっかり壊れてしまった」
「クラウス様……」
ガーディが心配そうに声を掛けるが、窓辺に立つクラウスは気にとめた様子もなく続ける。
「壊れてしまったものは徹底的に壊せばいい。ガーディ、あの娘を殺せ。これ以上は邪魔になるだけだ。ここは煩すぎるゆえ、私は神殿に戻る」
クラウスは無機質な声でガーディに命じると、そのまま闇に溶け込むように消えてしまった。その場に顔を伏したガーディを一人残したまま。
やがて顔を上げたガーディは光り輝く天を仰ぎ見たのだった。
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リコの灯したぼんやりとした薄明かりの中で眠る花の顔を、カーテンの隙間から差し込む月の光が照らしていた。
リコは寝台に腰かけて、掛け布から覗く花の右手小指に光る指輪をジッと見つめていた。
そして花にそっと顔を寄せる。
「―― ルーク……」
花の口から洩れた名前に、リコはピタリと動きを止めた。
それから自嘲めいた笑いを洩らして起き上がると、窓辺へと近づく。
結局は己の宿命から逃れることなどできはしないのだ。
しばらく下弦の月を眺めていたリコは音も立てずに寝室から出ると、居間に控えるジャスティンに声をかけたのだった。
***
「ハナ、話がある」
ここ最近、朝食を終えるとすぐに出かけていたリコが、その日は花に真剣な表情でそう告げた。
「なんでしょうか?」
花も真剣な面持ちで、リコの示した椅子へと座る。
ザックとトールドは出て行ってしまっていたので、部屋にはジャスティン達と六人だけであった。
「明日、ハナはジャスティン達と城を出て、そのままマグノリアに向かってもらう。詳しい計画はジャスティンとすでに詰めてあるから、後でジャスティンから聞いてくれ。指輪は明日、城を出る際に外すつもりだ」
突然の言葉に花は驚いたが、その内容が徐々に飲みこめてくるにつれ、様々な感情が花の心を乱した。
マグノリアに帰れる!
喜びに溢れそうになる一方、不安も募る。
「リコは……リコ達はどうするのですか?」
私を逃がせばリコはまずい立場に立たされるのではないか、花は一番の不安を口にしたが、そんな花にリコは不敵に笑いかけた。
「二人の婚姻は上手くいかず、ハナは実家に戻るだけだ。まあ、ハナは出戻りと言うやつだな。国境の完全封鎖も解かれた今、何も問題はないさ」
その冗談交じりの言葉にも花の不安は拭いきれない。
「なぜ、こんなに急に? 最近、王は御姿を現さなくなったと聞きました。それに関係があるのですか?」
「……」
リコの正妃として入城してから七日、ただ無暗に過ごしていたつもりはない。
満月の夜以降、挨拶に来るようになったセルショナード貴族達に面しながら、猫をかぶった極上の笑顔でこの国の内情を出来る限り聞き出していた。
それによると最近、王だけでなく、主だった大臣達まで朝議に参加しなくなったのだそうだ。
しかし、以前の大臣達が代理を務めている為、国政が滞る事はなく表立った混乱は今のところないらしい。
その以前の大臣達というのは、ここ一年で王の不興をかって閑職に追いやられた者達であり、それを聞いた花は王との対面時に感じた不自然さ、政務官達の顔ぶれの若さに納得したのだった。
一年前――それはちょうどクラウスが神殿の推薦書を持って現れた時期と重なる。
クラウスは強大な魔力と多くの弟子を有し、長らく空いていた王宮の筆頭魔術師へとたちまち就いたのだ。
「何があったんですか?」
花はもう一度、問い詰める様に聞いた。
しばらく躊躇いをみせていたリコだったが、やがて大きく息を吐き出すと重たい口を開いた。
「王太子がおかしい。まあ、おかしいのは前からだし、変態で偏狂で変質な奴だが、無暗に人を殺す事は今まではなかった。だが、昨日、一昨日と側室が二人殺された。あれではまるで……いや、とにかく、このままではハナに危険が及ぶのは目に見えている。本当は今すぐにでも逃がしてやりたいが、準備が整わない。今、ザックとトールドが協力者達と準備を整えているから、明日まで待ってくれ……すまない。結局、何一つ約束を守る事ができなかったな」
花を不安にさせないように説明を省いたリコは正しかったのかもしれない。
リコの言葉に花は、あの闇に再び囚われてしまうような恐怖を感じたのだ。
それでも確認しておきたかった。
「リコは……リコは本当に大丈夫なんですか?」
「――俺は、俺の宿命に立ち向かうしかないさ」
答えにならないリコの答えに花が戸惑っている間に、リコは出て行ってしまった。
「ジャスティンはいったいどこまで知っているんですか?」
リコを見送るしかなかった花はジャスティンを真っ直ぐに見つめて聞いた。
それにジャスティンは困った様に嘆息する。
「申し訳ありません。本当に私は殆ど何も知らないのです。ただ……ハナ様は『予言者』と言われる者がいることをご存知ですか?」
「ええ……この国の前の筆頭魔術師がそうだったと聞きました」
花はジャスティンの言葉に空白のピースが埋められそうな、そんな感じがしていた。
『予言者』とはその名の通り、予言の魔力を持つ者の事だ。
この予言の魔力は、魔力の中でも最も稀有なものとされ、しかも女性しか強く有し得ないものとされている。男性は有していてもせいぜい少し先の事をぼんやりと感じる、いわゆる『勘』程度のものなのだ。
セルショナードは筆頭魔術師である予言者の魔力と現王の強大な魔力で急激に発展を遂げ、そして、予言者が亡くなってからは国勢に影が差し始めたのだった。
「――シェラサナード様は予言の魔力をお持ちなんですか?」
「はい。あまり強くはないので少し曖昧で近い未来の事しかわからないようですが……ですがその力のお陰で、シェラは他国の王族へ嫁す事なく私の許へと降嫁して頂けたのですから私にとっては幸運でしたね」
稀有な存在である予言者をみすみす国外に出すことなど、普通は有り得ない。
そう言って優しく微笑むジャスティンに、花は応えることができなかった。
どうしても気持ちが焦れてしまう。
「リコは本当に大丈夫なんでしょうか?」
「……リカルド殿下の御母君はかなり強い予言の魔力をお持ちだったそうです」
その言葉に花は驚く。
「え……じゃあ……この国には……」
「そうですね、一つの時代に強い魔力の予言者が二人現れるだけでも珍しいのですが、同じ国に存在したことになります。しかし、殿下の御母君……クリスタベル様はその事はお隠しになっておられたようですので、私もつい最近まで知りませんでした。もしクリスタベル様のお力を先帝陛下がご存じでおられたら、きっとお側からお離しにはならなかったでしょうからね。クリスタベル様は、幼い頃よりセルショナード王をお慕いしておられたのですよ。そして自ら望まれてこの国に嫁された」
新たに知った事実に花は言葉も出なかった。それはカイル達三人も同じようだった。
「クリスタベル様はお幸せだったようです。しかし、リカルド殿下がお生まれになってからたった十七年でお亡くなりになってしまわれました。それから殿下は御苦労をなされたようですが……皮肉なものですね、預言者と言うのは肝心の己の未来は視えないのだそうですよ。クリスタベル様がお亡くなりになる直前のシェラへの手紙には、その事を酷く嘆いた文面が綴られていたようです。何があったのかはわかりませんが……あのセルショナード王とクリスタベル様の間にお生まれになったリカルド殿下の魔力があの程度というのが私には信じられませんでした」
その言葉に皆ハッと息をのんだ。
しかしジャスティンは、深く長く息を吐き出すとガラリと態度を変えた。
「私たちがこれ以上、セルショナード王家に関わる事はありません。私達はマグノリアへと戻るのですから」
ジャスティンはそう言うと、明日からの詳しい計画の説明を始めた。
花はリコを心配しながらも、マグノリアへと戻る事へ意識を集中するよう努力するしかなかったのだった。