72.伝わる想い。
翌朝、一人寝台で目を覚ました花はある事に気付いて窓辺へと近付き外を見た。
――― あ……もやもやが復活してる。
昨日消えた様に見えた黒い靄が再び王城を覆っていた。
色々な疑問が花の中で大きく膨らんでいくが、どうにも上手く考えられない。
――― 腹が減っては戦はできません。
結局、何一つ答えを出さぬまま、花は身支度を整えて居間へと向かったのだった。
昨日までなるべく花の傍で過ごすようにしていたらしいリコは、朝食を一緒に食べた後すぐに出て行ってしまった。
ジャスティン達が来た事で肩の荷が下りたのだろうか。
そして今、部屋には花とカイル、コ―ディそしてトールドだけだった。ジャスティンとジョシュは王城を見て回って(正確には調べて)いるのだ。
――― うーん……やっぱりもやもやが消えた?
シューラを奏で歌った花は、その後、窓の外を見ながら再び考えていた。
――― それにしても、私の力ってなんなんだろう?
今までは皆がユシュタルの御使いなどと言っていても「まあ、『神様』も使徒だって言ってたし」ぐらいの軽い気持ちだった。
「魔力が満ちた」と言われても花にはそれを知る事はできないし、傷を癒す事が出来ても驚きはしたが、魔法の溢れるこの世界ではどこか自分の力ではないように感じていた。
それが、黒い靄の様なものが花にしか見えない事実と、歌うことによって一時的とはいえ靄を消す事が出来る事実を目の当たりにすると自分の力について考えざるを得ない。
――― 『神様』……私の体に何かしたのかな?
花の脳裏には、昔何かの特集でみた悪の組織が一人の男を改造している図が浮かぶ。
――― いやいやいや、そんな記憶ないし。バイク乗れないし。ま……まさか!! あれって実はアブダクション(宇宙人による誘拐)で、何かをインプラント(埋め込み)されたとか!?……『神様』って本当は宇宙人!?
とりとめもなく色々考えたが結局は『神様』が宇宙人だろうが、悪の組織だろうが花になんらかの力を与えてくれた事は間違いないと結論付けた。
だとしたら、『神様』は今もどこかで見守ってくれているのかも知れない。
そう思うと花は少し心強く思える。―――――ほど心も広くなく、腹が立った。
――― この状況ってちょっと酷いと思うんですけど!! 世界を癒すって、余りにも労働条件悪すぎませんか? もし、いつか天国とか行って他の神様に会ったら絶対訴えてやる!!
そう思いつつ、それでも「扱いが酷い」と怒っている自分に花は驚く。
我が儘なのだろうか、それともこれくらいは許される?
常に言われるままに従い、自分の主張というものをした事のなかった花にとってはよくわからない。
――― ……それでも、やっぱり私は我が儘だ。
花がこの世界に存在している理由は、ユシュタールの人々を癒すため。
でも、花にとっては「ルークの傍にいたい」だけ。
その為には何としても、マグノリアに戻らなければ。
花はチラリと自分の右手小指を見た。
それでも、ルークにもういらないと言われたら……そんな不安が、リコの正妃になると決めてから何度も何度も花を襲う。
――― でも……もういらないって言われても、ジャスティンに頼んで侍女でも下働きでも何でもやって……ストーカーになる!!
花は拳を握り締め、決意を新たに?したのだった。
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シェラサナードとの朝食を終えたルークは、ほんの僅かに軽くなった気持ちに有難く思いながら、執務室へと向かった。
その後、朝議や謁見などの煩わしい日常業務をこなしながらも、力を安定させることに意識を集中させる。
溢れ出ようとする力に影響され気を弛めれば、もはや誰のものかもわからない執念と化した強い欲望が流れ込んでくるのだ。
ルークがふと窓の外を見上げれば、すでに月が天に懸かっていた。
それは美しい満月。
「ルーク?」
窓の外を見上げたままのルークに、レナードが心配そうに声を掛けた。
「……月光の塔へ行ってくる。護衛はいらん。一人にしてくれ」
ルークはそう言うとレナードの返事も聞かず、その場から消えた。
そして祈りの間へと足を着けた瞬間、ルークは己の行動を後悔した。
あれほど輝いていた場所が、今はただ色褪せて在るだけだったのだ。
花が歌っていた窓辺へと近づき天を仰ぐが、月はただ静かに光を落とすだけ。
ルークはその場で座り込んで頭を抱える様にして俯いた。込み上げてくる荒々しい感情を鎮めるために何度も大きく息を吐き出す。
それからゆっくりと瞳を閉じたのだった。
*****
「満月……」
花は窓辺で独り言のようにポツリと呟いた。
それにジャスティンが優しく応える。
「ハナ様、こちらの王城にも『月光の塔』はあるようですよ」
「行きたいです」
ジャスティンの言葉に、花はすぐに塔へと望んだ。
「では、私が案内致します。リコ様、よろしいでしょう?」
花の望みに、トールドは心配そうにリコを窺いながらも、案内を申し出る。
「……ああ、かまわない。ザック、念の為にお前も行った方がいい」
リコは頷きながらザックも行くように促したが、ザックは戸惑いを見せた。
「しかし、殿下……」
「行け!」
ザックの躊躇いを断ち切るようにリコは強い口調で命じた。
それにザックは無言で頭を下げて応じたので、結局七人と大人数で塔へと向かう事になり、花は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
これはただ、花の我が儘だったから。
塔はマグノリア王宮のそれと寸分違わぬ造りだった。
ジャスティン曰く、王城もマグノリア王宮の規模を小さくしたような感じで造りに大した違いはないらしい。
花は窓から空を見上げたが、月は暗く霞んで見えた。
それでも花は願いを込めて歌った。
その歌はただ、自分のため。
ルークへと想いを伝えたくて。
私に『神様』がなんらかの力を与えてくれているのなら、どうか伝えて欲しい。
月は霞が晴れ、眩しいほどに輝き花を照らしだす。
その輝きはゆっくりと王城へ、セルショナードへと広がる。
月の光に花の想いをのせて、風が王の結界を越えて光を運び流れゆく。
淡く銀色に輝く月の光はセルショナードを包み、マグノリアをも包み込む。
セルショナードの人々は伝え聞いていた奇跡に驚き、その温かい優しい光に涙を流し、マグノリアの人々は失ったはずの奇跡に喜び涙した。
*****
俯いたままだったルークは、ふと感じた温かさに顔を上げた。
そして目にした光景に驚く。
祈りの間が、まるで光の花畑のように一面に輝き、その中を光の妖精が舞い踊っているかのように、天窓から月光が降り注いでいたのだ。
その光はルークにふわりと優しく纏いつき、それからゆっくりと雪の結晶が溶けていくように消えていく。
そのたびにルークの冷え切った心は、少しずつ温められていった。
「ハナ……」
祈りにも似た花の想いは、眩い光となってルークに降り注ぐ。
伝わる想いに優しく包まれ、ルークは再び瞳を閉じたのだった。