70.血は水より濃い。
花は王と面会してからほとんど一日をリコの部屋で過ごしていた。
「私かザック、トールドの付き添いがないと部屋から出てはダメだ。正妃の証は簡単には外せるものではないが、私より魔力の強い者が外そうと思えば外せる。それでも普通はそんな事は誰もしないが、ここには普通じゃない王太子がいるから気をつけてくれ」
そう忠告されて、あの凶悪変態に出会う事を考えれば部屋に籠もっているほうがマシだと思えたのだ。
幸いリコの部屋は広く、興味深い本が何冊もあるので退屈はしないですんでいる。
そして今、花は曇った窓ガラス越しに外を眺めながら、外は寒いのだろうなとぼんやり考えていた。
――― ジャスティンたち大丈夫かな?
花を迎えにセルショナードへ入国していると言うジャスティン達を心配していた花は、次第にルークへと想いを募らせていった。
それから、花はふと自分の手元を見て曇った窓ガラスに相合傘を描いていた事に気付く。
――― ぎゃあああ!! 相合傘って!! 私は小学生か!?
もちろん日本語の為、この世界の人たちが見ても理解はされないだろうが、そういう問題ではなく自分自身に恥ずかしい。
慌てて真っ赤な顔でゴシゴシと消すと、小さくため息を吐いて再び窓の外を眺めた。
「ハナ」
突然、後ろから声をかけられた花はハッとして振り向いた。
声の主を確認した花は一瞬泣きそうな顔をしたが、すぐにいつもの微笑みを浮かべる。
「なんでしょうか?」
「なんだ?」
尋ねたリコに聞き返されて花は困惑するが、リコは花に近づくと問い詰めるように聞いた。
「なぜそんな顔をするんだ?」
「そんな顔?」
花は意味がわからず問い返しながら思わず後退ろうとしたが、その花の腕をリコは逃がさない様に捕らえる。
「俺が呼びかけると、いつも一瞬泣きそうな顔をする」
そう言われて初めて花は自分が心の内を一瞬でも見せていた事に気付いた。しかし動揺した花は、リコに何と答えればいいのかがわからなかった。
「ハナ?」
再び名前を呼ばれた花は小さく呟く。
「……似てるんです」
「なにが?」
わからないといったようにリコは眉を寄せるが、花は俯いてもう一度呟いた。
「声が……ル、陛下の声と似てるんです」
その言葉にリコは思わず掴んでいた花の腕を離した。だがそれに気付いた様子もなく花は続ける。
「普段は、少し話し方が違うからそうは思えません。でも……名前を呼ばれると……」
花の言葉は途切れ、リコは俯いたままの花をやる瀬なく見ていた。
しかし大きく息を吐き出すと、リコは無理に明るい調子で言った。
「まあ、似ていてもおかしくはないだろうな。かなり濃い血縁関係なんだから」
「……え?」
その言葉に驚いて花は顔を上げる。そんな様子の花にリコも驚いたように眉を上げた。
「なんだ、まさか知らなかったのか? 俺は皇帝の甥にあたる。俺の母が皇帝の姉だったからな」
リコの言い方ではどうも周知の事実らしいが、花にとってはそれまでの沈んだ気持ちが飛んでしまうほどの衝撃的事実であった。
そう言われてみれば、マグノリア王宮でもリコの話題は頻繁になされていたように思う。
それは戦時中の敵国の王子と言う以上に、マグノリアの先帝皇女の息子というためだったのか。そしてあまりにも当然の事過ぎて誰もそれには触れなかったのかも知れない。
――― えっと……それじゃあ、ルークはリコのおじさん!?……ええっと……。
リコの部屋付きの侍女達がリコの母の元侍女だったと聞いて、リコのお母さんは亡くなったのだろうかと思っていはいたが、まさかルークの姉だったとは思いもよらなかった。
花は何と無く気まずくて、話題を変えるようにリコに聞く。
「リコは……何歳なんですか?」
「は? 今年で九十四歳だが?」
「そうでしたか……」
話題を変える為に聞いた花だったが、やはりどうにもこの世界の年齢に馴染めず脱力する。
「そういえば、ハナは何歳なんだ?」
「……二十一歳になりました」
「なんだ、ずいぶん若いんだな」
「……そうですね」
「……」
応えた花の声を最後に、その場に微妙な沈黙が落ちる。しかし暫くしてリコは何かを思い出したようにハッとした。
「そうだ! ハナ……ジャスティン・カルヴァがこの街に来ている」
「え……」
その言葉に花は驚くがそれ以上が続かない。
「先程、王に面会を求めてきたらしい。どんな駆け引きを使ったのか、王は明日会う事を承諾した。だから恐らくハナも明日には会えるはずだ」
「あの……私……」
やはり花は上手く言葉を発する事が出来なかった。
リコはそんな花に優しく微笑みかける。
「ひとまず私の正妃の叔父として城に滞在してもらうよう手配する。まあ……彼の妻は母の妹だから私の義理の叔父にもなるんだがな……」
その言葉に花はクスリと笑う。
「ややこしいですね」
「縁戚関係にない王族なんていないからな……」
花の嬉しそうな笑顔を見てリコも笑った。
どうやらこの世界でもヨーロッパ王室のように、王族はみな親戚といった感じらしい。
そのままクスクスと笑う花をリコは嬉しそうに見ていた。
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翌日、いよいよ花はジャスティンたちと面する事となった。
それは王の後ろに控えた形でセルショナード側の人間としての面会だったが、それでも花は嬉しかった。
王に跪拝するジャスティンたちを目にしてほんの数日が数年の再会に思え、涙が込み上げてくる。
一通りの挨拶が終わった後、いよいよ花に面したジャスティンは花の右手小指の指輪を見てもただ優しく微笑むだけで、今まで通りの態度を変えることはなかった。
「ハナ様、この度は誠におめでとうございます。ハナ様の叔父として、リカルド殿下のご正妃となられた事本当に嬉しく思います。ただ何分急な事でしたので、お祝いの品を用意する事ならず大変心苦しく思っております。申し訳ございません。ですが本来私どもはこちらを届けに参った次第でございます。どうぞお受け取り下さい」
ジャスティンの祝いの口上が述べられ、その後に続いた言葉と共にコーディが進み出て献じた物を見て花は驚く。
それは花が大切にしていたシューラだった。
「あ……ありがとう……ございます」
久しぶりに手にしたシューラは記憶よりも少し軽いような気がしたが、それでも花の手にしっかりと馴染んだ。
その様子を見ていた王が問う。
「それは?」
「これはシューラと言う楽器です」
花の返事に王は興味深そうにする。
「では、ひとつここで奏でてみよ。そうだな……それとそなたの奇跡の歌声とやらを聴いてみたい」
その言葉に異を唱えたのはクラウスだった。
「王、そのような戯言を――」
「私も聴いてみたい」
しかし、それを遮るように王太子も同意する。
当然、花の意見を聞かれるわけもなく、結局その場でシューラを奏でながら歌う事になってしまった。
クラウスは「楽には全く興味がありませんので」と、数人とその場から辞したが。
――― ……これはこれで恥ずかしいんですが……。
花は緊張しながらも、念のために何度か弦を弾いた。
結構な距離を運ばれたはずのシューラの調律が少しも狂っていない事に花は驚く。
そして、花は歌った。
優しくシューラを爪弾きながら、マグノリア王宮でよく歌っていた愛の歌を。
その澄んだ歌声は、シューラの音色にのって王城内に響き渡る。
すると、その場に立ち籠めていた黒い靄のようなものが昇華していく様に薄くなり、重かった空気が少し軽くなったようであった。
そうして歌い終えた花は顔を上げて驚く。
「あれ?」
思わず声が漏れてしまった。
王と王太子、それに幾人かの姿が消えていたのだ。
どうも途中で「気分が悪い」と退室したようなのだが、花の歌を止めなかった所をみるとお咎めがある訳ではないらしい。
結局、なんともいえない空気を残しながら花はリコの自室へとジャスティンたちと共に戻る事にした。
そのまま王達の事に気を取られていた花は、リコの顔色が酷く悪かった事には気付かなかったのだった。