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69.心と体のバランス。


「それでは、セルショナードへ侵攻を開始する事が可決されました。詳細はこの後の軍部関係者を集めての軍議にて決しますので、その内容は明日、この場にて報告致します」

 

 結局、そこまでの決議に至るまで、花が拉致されてから十日近くが過ぎていた。

 そしてディアンが閉会を告げようとしたその時、セルショナード国境からの急使が駆け込んできた。

 

「申し上げます! セルショナード王からの通達でハナ様が……ハナ様がセルショナードの第一王子の正妃になったと……」

 

 使者の声は最後には力尽きたように消えていき、その場で咽び泣くように肩を震わせた。

 そして、議場は大混乱に陥った。

 

「どういう事だ!?」

「ハナ様が王子の正妃に!?」

「それでは、このままセルショナードに侵攻してハナ様を奪還しても、我々が略奪者になるではないか!!」

「いや、元々報復攻撃なのだから」

「だからと言って、ハナ様をお連れする事は叶わんではないか!!」

 

 騒ぎ立てる大臣達とは別に、レナードやディアン、セイン達はただひたすらルークを心配していた。

 しかし、ルークは片肘をついて頬をのせたまま目を閉じており、先程からの様子となんら変わりなく見える。

 議会はセルショナード侵攻の是非についての訌争が再び始まっていた。

 そもそも、ここまで決議に時間が掛かったのも花の存在をよく思わない者達の(もっと)もらしい反対があったからなのだ。

 一時はどうなる事かと思われた皇帝の力の暴走も落ち着いたように見える今、邪魔でしかない花が戻る事が許せないのだ。

 『癒しの力』は確かに魅力的だ。

 だがそれ以上に己の欲する権力・地位は魅力的だった。

 

「確かにハナ様のお力は稀有なものではあります。しかしやっと落ち着いた国情を再び戦によって混乱させていいのでしょうか? ここは一旦、ハナ様の事はおいて、落ち着いて考えるべきです」

「民達がハナ様を望んでいるのだ!! それをこのままセルショナードに奪われたとあっては、民にどう申し開きをするのだ!!」

「しかし、ハナ様がセルショナードの王子の正妃となった今、我々には手出しが出来ぬ!」

 

 そんな怒号が飛び交う中、内大臣補佐が薄ら笑いを浮かべて呟く。

 

「それにしても、ハナ様は意外としたたかで多情な……!?」

 

 その言葉は最後まで続く事はなかった。

 内大臣補佐はいきなり血を吐き出し、その場で座したまま意識を失ったのだ。

 一瞬にして議場は静まり、皆が恐る恐る皇帝を窺うが、やはり皇帝は何も変わらず静かに目を閉じているだけだった。

 それでも皆が皇帝の心情を理解したようで、結局はセルショナードへの侵攻が可決されたのだった。

 

  ***

 

 午後からの軍議を前に、一旦執務室へと戻ったルークにレナードが口を開いた。

 

「ルーク、ハナは……」

 

 しかし、その後に上手く言葉を継ぐ事が出来ない。

 

「構わない」

 

 レナードの躊躇う言葉を遮る様にルークは告げた。

 

「ハナが生きていればそれでいい。リカルドの正妃ならば酷い扱いも受けないはずだ」

 

「ルーク……」

 

 平淡な声だったが、それをどれ程の思いで吐き出しているのかレナードに推し量る事など出来ず、結局レナードは何も言う事が出来なかった。

 

 

  **********

 

 

 軍議では、兵の数や攻め込む場所等の詳細が決まり、急ぎ準備を進めて十日後に侵攻を開始する事となった。

 そして、軍議が終わりレナードと近衛を連れて自室へと向かっていたルークに何者かが呼び掛ける。

 

「陛下」

 

 それに振り返れば、そこには真っ直ぐな黒い髪を腰近くまで伸ばした黒い瞳の娘が立っていた。

 レナードは目を眇めて娘を見る。

 

 ――― どこの馬鹿娘だ?

 

 身なりからどこぞの貴族令嬢であろう事は分かるのだが、身元が分からない。

 

「あの、陛下……私……」

 

 娘は少し脅えた様子を見せながらもその声にはしっかりと媚びたものも含まれており、その目的は明らかであった。

 そんな娘の様子を見て、ルークはフッと笑う。

 ルークの見せた笑顔に安心したのか、娘は前へと一歩進み出た。

 

 ――― まずい!!

 

 レナードが娘の危険を察した時には手遅れだった。

 娘はその場から弾き飛ばされた様に石壁へと激突し倒れ伏す。

 そしてそのままピクリとも動く事はなく、レナードには息をしているのかどうかも確認できなかった。

 

「目障りだ」

 

 一言吐き捨てると、ルークは踵を返し歩み去った。

 レナードは近衛の一人に娘を助けるように目配せをしてルークの後を追ったのだった。

 

  ***

 

 自室に戻ったルークはレナードを下がらせると洗面台へと急いだ。

 そして吐いた。

 何度も何度も吐き、吐くものがなくなってもなお吐き気は込み上げてくる。

 それでも何とか起き上がり口をゆすぐが、それ以上動く気力がなくそのまま座り込むと洗面台に背を預け、なんとか呼吸を整えようとした。

 

 力の制御が上手くいかないのだ。

 触れるまでもなく皆の卑しい欲望が流れ込んでくる。

 先程の娘にしても、花と似たような容姿(なり)をして、どれ程の卑しく醜い心だった事か。

 それでもただルークの心を正常に保っていられるのは、薄汚い欲望ばかりの中、レナードやディアン達のルークを心配する切実な想いが伝わってくるからだ。

 だがそれも限界だった。

 

 頭では理解している。

 花が無事にセルショナードで過ごすには、国民にも人気が高いと言う第一王子の正妃となる事が最善だと。

 しかし心がそれを拒絶する。

 自分以外の誰かが、花の柔らかな頬に、唇に触れ、あの温かな体を抱きしめるのかと思うと我慢ならない。

 全てを壊してしまいたくなる衝動をなんとか抑えるが、それでも力が暴れだそうとして鏡が割れた。

 細かな破片が降り注ぎルークの体を傷付けるが、その体の痛みさえも感じない程にルークの心は激痛に襲われていたのだった。

 

 

  **********

 

 

 レナードはルークの部屋から下がった後、ジャスティンの妻であるシェラサナードの滞在する部屋を訪れた。

 

「まあ、レナード、ずいぶん大きくなったのねぇ?」

 

「お久しぶりです、シェラサナード様。ですが、最後にお会いしたのは四年前でしたので私は今と変わりなかったと思います」

 

「……そう? 私の覚えているレナードはクリスくらいだったと思うんだけど……」

 

 シェラサナードはそう言って、今年五歳になる息子のクリストファーを見る。

 クリスはもう寝る用意をしており、レナードに挨拶をすると乳母と共に寝室へと向かった。

 

「すみません、こんな時間に」

 

 謝罪するレナードにシェラサナードは柔らかく微笑んだ。

 

「いいの。あなたが来る事は分かっていたからお茶も用意しているのよ」

 

 レナードは勧められたソファへと座ると暫く黙ってお茶を味わい、それから口を開いた。

 

「ルークがもう限界なんです。今日二人を傷付け、そのうちの一人は残念ながら亡くなりました。今のルークに近づく事自体が大きな過ちなので、自業自得と言えばそうなんですが……」

 

 そこでレナードは言葉を切り、シェラサナードが注いでくれた二杯目のお茶を口に含んだ。

 

「俺はあの時も何も出来ませんでした。そして今は、あの時以上にルークは苦しんでいるんです。俺は……」

 

「大丈夫よ」

 

 苦悶の表情を浮かべて吐き出すレナードの言葉をシェラサナードは穏やかに遮った。

 

「あなたやディアンのお陰でルークは今までに何度も救われているわ。この先もきっとあなた達の力が必要になるから、できたらこれからもあの子の側にいてあげて。どうか助けてあげてね」

 

 シェラサナードの言葉はすうっとレナードの心に優しく沁み込んでいった。

 重たかった心が少し軽くなる。

 その後暫く会話を続けてから、レナードは何度もシェラサナードにお礼を述べると、部屋を辞したのだった。

 

 

  **********

 

 

 翌朝、ルークは重い体を無理に起こし身支度をしていた。

 そこへノックの音が響き、近衛がシェラサナードの来訪を告げる。

 

「おはよう、ルーク。ちょっと早いけど一緒に朝食を食べようと思って」

 

 そう言うとルークに有無を言わせず、侍女たちに朝食の用意を指示する。

 

「姉上……?」

 

 困惑するルークに構わず、シェラサナードは薄い水色の瞳を細めて微笑む。すると柔らかい金色の巻き毛も朝陽に反射してキラキラと輝く。

 

「あら、ルーク……少し背が伸びた?」

 

「……いえ、恐らくもう何十年も変わってないと思います」

 

「そお? まあ、そう言うことにしておきましょう」

 

 その後、用意された朝食を前にしても食欲のない様子のルークを見てシェラサナードが口を開いた。

 

「ルーク、ハナ様は大丈夫よ。きっとあなたの許へ戻ってくるわ」

 

 その言葉にルークは力なく微笑んだが、シェラサナードはテーブルの上に置かれたルークの手を包み込むように握って続けた。

 

「ルーク、この私が言うのよ? 間違いないわ。それにジャスティンが迎えに行っているんだから、絶対よ。しかもあの……リリアーナまでいるのよ。ふふふふふ」

 

 心なしかシェラサナードの柔らかい微笑みに影が差したように見え、ルークの手を握る力がかなり強まったような気もしたが、気のせいだろう。

 

「姉上……ありがとうございます」

 

 ルークもまた、レナードと同じようにシェラサナードの言葉にわずかだが心が軽くなったように感じた。

 そして、久しぶりに朝食を口にしたのだった。

 

 


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