67.大根役者とサクラ。
街の中心部に差し掛かったところで、店頭にいた一人の男が声を上げた。
「あ! リコ様!!」
その声を合図に次から次へとリコ達に声が掛かる。
「リカルド殿下、いつお戻りになったんですか?」
「リコ様、当分は王城にご滞在なされるんですよね?」
「ザック様、いい加減ツケを払ってください!」
などなど。なるほど、国民に人気が高いと言うのは本当のようだ。
徐々にリコ達の周りに人垣ができ、花はしり込みをしてリコの後ろに隠れてしまった。
そんな花の様子に気付いた一人の若い娘がリコに尋ねる。
「リコ様、そちらの方は……?」
その言葉に皆の視線が一斉に自分に向き、花は益々リコの後ろに隠れようとしたが、リコがそれを許さない。
皆の視線が花からリコと繋いでいる手へと移り、再び上へと戻る。
リコは繋いだ手を強く引き、花を前へと押し出すと腰に手を回して皆に紹介した。
「私の妃だ」
一瞬、場はシンとなり、それから驚嘆の声が上がった。
「リコ様がついに!!」
「嫌ーそんなぁ!!」
「リカルド殿下、おめでとうございます!!」
「ザックさん! あなたはうちの娘の責任を取って下さい!!」
などなど、騒然となる。
「遂にリコ様がお妃様を娶られたとあってはコステイ中の娘たちが泣きますな」
「いやいや、セルショナード中の娘たちだろう?」
そのうちそんな話で盛り上がり始めたが、遂に誰かが質問の声を上げた。
「で、その幸運な方はどちらのご令嬢はなんですか?」
その問いに再びその場はシンとなる。
と、そこへ今までずっと黙ったままだったトールドが口を開いた。
「この方は、マグノリアの民にユシュタルの御使いと崇敬されておられますハナ様です。皆、御無礼のないようにお願い致します」
トールドの紹介にその場の者達は驚き息を呑むが、花はトールドが花の正体を正直に明かした事に驚いていた。
――― え!? まだ王様の許可も貰ってないのに言うの!?
しかし、そんな花の胸中に構わず気を取り直した群衆は口々に話し出す。
「ユシュタルの御使いって……確かマグノリア皇帝の側室だったんじゃ……」
「奇跡の歌声で兵達を癒したと聞いたぞ?」
「絶世の美女らしいが……?」
――― ちょっと待ってー!! 何か今聞こえた!! 恐ろしい言葉が聞こえた!!
外套のフードを被ったままの花に期待の視線が向けられる事に花はたじろぐ。
だが、この雰囲気で挨拶をしないのも花に染みついた礼儀が許さない。花は有る限りの勇気と猫をかき集めてフードを取った。
「あの……花と申します。どうぞよろしく……」
花の挨拶の声は再々度シンとした場に耐え切れず、小さくなっていた。
「……」
「あ……あれだな!! ずいぶん可愛らしい御方だな!!」
誰かの気遣う様な声を皮切りに、その場に肯定の声が満ちていく。
――― いい人たちだ。みんないい人たちだ。けど、居た堪れないのでその辺りで止めて下さい!!
みんなの必死のフォローに心の中で嘆く花を、リコは強く抱き寄せてみんなの前で軽くキスをした。
そしてリコは驚く花と群衆に向かって悪戯っぽい笑顔を向ける。
「かわいいだろ?」
――― ぎゃあああ!! もう無理!! これ以上の羞恥プレイは耐えられません!! 誰かスコップを!! 穴掘ります!! 今すぐ、穴掘って入ります!!
リコのキスと言葉に、花は有り得ないほど動転し顔を真っ赤にする。
そんな花を皆、初々しいなと微笑ましく思ったのだった。
それから暫くして、リコに最初に声をかけた男が申し出た。
「リコ様、うちでお昼を食べていって下さいよ!! お祝いに腕を揮うので御馳走させて下さい!!」
その申し出にリコは頷き、四人は男の経営する食堂で昼食をとることになったのだった。
***
「あの……ここでのんびりしてていいんですか?」
昼食を終え、寛いでお茶を飲んでいる三人に花は聞いた。
それに答えたのはトールドだった。
「ハナ様、ご心配なさらなくても、もうすぐ王城から迎えの馬車が参ります。今頃、リコ様がハナ様をご正妃に迎えられたことはコステイ中に広まっているでしょうからね。それだけ広まれば安心です。王もわざわざ民の反感を買ってまで、王太子の正妃とすることはなさらないでしょうから」
そう言って、花の右手小指にはまった指輪と首筋に残る赤いアザを見た。
花は隠してしまいたい気持ちを懸命に抑え、微笑んだ。
「でも、本当に王様はご納得して下さるんでしょうか?」
「まあ、俺の女癖の悪さは有名らしいからな、父上も諦めるだろう……もちろんそんなもの噂だ、噂。俺は殆ど身に覚えがない」
今度はリコが答えたが、その内容に花は胡乱な視線をリコに向けた。
――― ほとんどって……あるんじゃん。
心の中で突っ込んでいた花だったが、そこへザックの声が割り込んだ。
「あ、私のせいかも知れないですね。私のが混じっているのかも。ハッハッハ!!」
笑って言うザックを一同は無視した。
そうこうしているうちに、トールドの言う通り本当に王城からの迎えの馬車が食堂の外に停まったのだった。
馬車の中で花はずっと抱えていた疑問を口にした。
「あの……前から聞こうと思っていたんですが、王太子殿下の所から私一人で逃げたって言うのは無理がありませんか?」
花のもっともな疑問になぜかリコは目を逸らし、窓の外を見る。そして、横からはトールドの不自然な咳払いが聞こえ、斜向かいに座るザックの顔が嬉しそうに輝いた。
「いやぁ、さすがハナ様はユシュタルの御使いと言われるだけありますよね!! 王太子を昏倒させ五階から逃げ出し、なおかつ門番まで昏倒させてお逃げになったんっすから!!」
「いえいえ、だからその設定に無理があるんじゃないですか?」
嬉しそうに説明するザックに花は冷静に突っ込んだが、ザックは更に言い募る。
「そうですか? でも王太子はそう信じていますよ?」
「………王太子殿下ってお馬鹿さんなんですか?」
こんな無茶苦茶な話を信じるなんて馬鹿以外有り得ない。あの凶悪変態がそんなに馬鹿だとは思えないが。
「馬鹿と言うより、大馬鹿だな」
窓の外を見ていたリコがぼそっと呟く。
それを聞いた花は、セルショナードの民に酷く同情したのだった。
その後、王城へ到着した花達は一旦リコの部屋へと向かったのだが、運の悪い事にその大馬鹿に出会ってしまった。
「これはこれは泥棒猫の……いや、男の場合はなんて言うのか……とにかく、流石としか言いようがありませんね、兄上。弟の正妃に手を出してのうのうと城へ帰還されるとは」
「ハナはお前の正妃ではなかった。そして今は私の正妃だ」
嫌味な王太子の言葉にもリコは平然と答えると、花の右手をとって王太子に見せつけるように、その小指にはまった指輪に口づけをした。
それを見て、にこやかに笑っていた王太子の顔が強張る。
「それにしても、その細い体でよく一人で逃げ出したものです。てっきり誰かが手引きでもしたのかと思いましたよ」
そう言って王太子は花の細い首筋に付いた赤いアザをジットリと見つめた。
――― やっぱり疑ってるじゃないかー!!
花はその視線に耐え切れず、首を竦めてリコの後ろに隠れようとしたが、そこへザックの豪快な声が響いた。
「ハッハッハ!! やっぱりユシュタルの御使いはさすがですな! 私なんてハナ様の拳で吹っ飛びますから!! ねえ?」
ザックはそう言うと、殴って下さいと言わんばかりの態度で花の前に立ちはだかった。
――― ええ!? 何、その無茶振りは!!
花は心の中で絶叫し微笑んでやり過ごそうとしたが、どうもその場の空気がそれを許しそうにない。
「……」
その場の誰もが沈黙し注目する中、花はごくりと唾を飲み込み拳を握り締め――
「あ、……あちょ~!」
花の掛け声? と共に拳は、ぽふっとザックの鳩尾に入った。
「……」
一瞬の沈黙の後……。
「うわあッ!!」
ザックが叫びながら後ろに吹っ飛んだ。
――― えええ!?
あまりに白々しいザックの演技に花は心の中で驚き悲鳴を上げるが、ザックは倒れ込んだまま痛みに呻いている……ように見えるが、絶対に笑いを堪えている。
花はどうすればいいのか分からず、チラリと救いを求める視線をリコへとやるが、リコは俯き加減に片手で顔を覆っていた。
まるで「なんてことを」と嘆いているようにも見えるのだが、リコもまた絶対に笑いを堪えている。
それは小刻みに震える肩と、もう片方の腕を自身のお腹に回して必死に抑えている様子から窺えた。
花は恐る恐る王太子に視線をやると、王太子は青ざめて立ち尽くしていた。
――― えええ!? なんで青ざめてるの!? まさか信じているの!?
そして後ろの王太子の近衛達もまた青ざめ、「今のは新たな攻撃魔法の詠唱か?」などと口にしていた。
――― いやいやいや、そんな訳ないから!! やっぱり馬鹿なの!? 王太子も馬鹿ならその近衛も馬鹿なの!?
どう収拾をつけたらいいのか分からずうろたえる花だったが、そこへトールドが口を開いた。
「さ、ハナ様、いつまでもここにいると馬鹿が感染りますから、お部屋に行きましょう」
そう言って、その場に他のみんなを残したままトールドは花を案内して歩き出す。
花はというと、そんなトールドを見て更に居た堪れない気持ちになっていた。
――― 笑われるのも引かれるのも辛いですが、無反応が一番辛い事を今知りました……。
そう嘆きながら、王城にあるリコの部屋へと向かったのだった。