7.空もとべるはず。
「ハァナ、私の名はルカシュテインファン・ヴィシュヌ・マグノリアだ」
「ハァナ」と呼ばれた途端、花は背筋がゾクリとするのを感じた。
やはり、「ハナ」ではなく「ハァナ」と聞こえるのだが、それがなんだか妙に甘ったるく色っぽい。
花は恋に興味がなかっただけで、異性に興味もあれば、イケメンを観賞するのも大好きだ。ただ、実際に観賞するだけでなく、自分の名前を呼ばれると……。
少し顔を赤くして花は、銀髪イケメンの名前を復唱する。
「ルカシュ、ルカシュ、シュテ……」
――― ごめんなさい。無理です。
早々に匙を投げた。
その様子を見て、銀髪イケメンは「ルークと呼べばよい」と、ニヤリと笑う。
――― なんか、今の意地悪っぽくない? 銀髪イケメン……もといルークはいじめっ子だな。
そもそも「ルカなんちゃら」って名前なのになぜに「ルカ」でなく「ルーク」? ここでも欧米的な名前の略し方っていうか、愛称っていうか……。
そう思いつつも、ニッコリ笑って「ルーク?」と呼びかける。
呼ばれたルークも「ああ」と、ニッコリと笑って答える。
――― くっ!!……なんだよなんだよ、さっきから二人とも笑顔の安売りしちゃって!
惚れてまうやろ~!!……ちょっと古いか……。
花はお笑いが大好きで、密かにお笑いDVDを集めていたりする。
そこへ、考え込むように黙って二人のやり取りを見ていたレナードが口を開いた。
「ハナのその服……その格好は空を飛ぶ為のものなのか?」
「!? ぶっ!! ッグ!!……ゲホゲホッ! ゲホゲホゲホゲホ!!」
レナードの突飛な質問に思わず紅茶を噴き出しそうになったものの、振り袖を死守する為に堪えた花だったが。
――― く……苦しい!! 鼻と器官に紅茶が……!!
咳き込む花に、慌ててレナードが駆け寄り背中をさすってくれるのだが、咳は止まらず呼吸困難に陥り、本日二度目の死を覚悟した。
それを呆れて見ていた様子のルークだったが、小さく嘆息して何事か呟いた。
途端に花の呼吸が楽になり、咳も止まった。
――― あ……楽になった?
急に楽になり驚いた花だったが、先ほどの灰の時と同じように、ルークが何かしてくれた事に気が付き、顔をあげてお礼を述べた。
「ありがとうございます」
ニッコリ笑った花だったが、それと同時に……。
タラリ……。
鼻水が垂れた。
――― ぎゃあああああああ!! 鼻水がああ!! 恥ずかしい!! 恥ずかしすぎる!!
スタッフ~! スタッフ~!!
ここに……ここに、ブラックホールを持ってきて~!!
本日二度目のブラックホールを希望した。
もはや顔を上げる事さえできず耳まで真っ赤になって俯いていると、レナードがハンカチを差し出してくれた。
「……ありがとうございます」
――― うう。贅沢言えば、ティッシュがほしい。人様のハンカチで鼻水ふけるほど図太くないんです。ああ、ハンカチ一枚も持ってない女って思われてる、絶対。違うのに……荷物はあの……バカボンのせいで!! ホテルの部屋に置きっぱなしになったんです。
それよりも今、いったいどんな顔なんだ、私は。鼻水もさることながら、涙もでちゃって……化粧グチャグチャだろうな……ああ……こんな超絶美形の前に晒す顔じゃないです、ホント……。
しかし、いつまでもウジウジと俯いているわけにもいかず、勇気を振り絞り……というか、やけくそで顔を上げ、レナードの質問にようやく答えた。
「残念ながら、これはただの民族衣装です。私の国の。だから空は飛びません」
――― というか、飛べません。まあ、確かにこの振り袖とか羽ばたきそうだよね……頑張れば飛べるかもしれない。いやいや、飛べないって。それはもう今日、身をもって実証したではないですか。あそこで飛べていれば、こうして今、恥をかく事もなかったのに……。
無意味なことを考え始めた花はレナードの声で現実に引き戻された。
「そうか、いや……てっきりその格好は飛ぶ為のものなのかと……」
また気まずそうに顔を顰め、レナードは頭をかいた。
――― 可愛いじゃないか、このヤロー……って……。
「あの……お二人はまさか飛べたりとか……するんですか?」
恐る恐る、まさかね……という気持ちを込めて尋ねた花だったのだが。
「ああ」
あっさり二人に肯定されてしまった。
――― 飛べるんかい!
あまりの衝撃に言葉も出なかった。
――― 空まで飛べるって、この人たち……。なんか、私すごくこの世界で役立たずな気がするんですけど。本当に私なんかが必要だったんですか?
答えのない問いを『神様』に向けてぶつけ、本日二度目となる自身の必要性に疑問を抱いていた。
花はこの世界の人たちはみんな空を飛べると勘違いしていたが、実際は自由に空を飛ぶことができるのは、帝国でも数人しかいない。だが、それを知るのはもう少し先である。
「ハナ」
ひとしきり落ち込んだ花だったが、ルークの声にハッと顔を上げた。
気がつけば、いつの間にかイレイザが控えていた。
「今日はもう遅い。まだ、そなたには聞きたい事があるが、それは明日以降にしよう。部屋を用意させたので、今日はもう休むがいい」
ルークはそう言うと、イレイザに花を案内するように申し付けた。
「あ……ありがとうございます。それではお言葉に甘えさせて頂きます」
疲れきっていた花はルークの好意をありがたく受けることにし、深々と頭を下げた。そして「失礼します」と言って、扉の側で待っていたイレイザに向かい、部屋を出て行った。
それを黙って見送っていたレナードは、厳しい顔つきでルークに向き直った。
「どういうつもりだ?」
「何が?」
「何がじゃねえよ! お前のあの態度だよ!! 見ていて、鳥肌がたったぞ!? 終いにゃ、気持ち悪くて吐き気までしてきたっつうの!!」
「お前、それは病気だ。医者に診てもらえ」
「ふざけんなよ!!……ルーク……お前、あの子をどうするつもりだ!?」
「……」
「お前、あの子の心を読んだんだろう?彼女の言ってた……違う世界から来たとかいうのは本当なのか?」
「さあ……それはわからんな。別に俺は心が読めるわけじゃない。触れれば、その者の考えていることがわかるだけだからな。あの娘が何のつもりでここに来たのかは知らん」
「だったら尚更、どういうつもりなんだ?」
「別にすぐ切り捨ててもよかったんだがな……面白そうじゃないか。あの娘が何者かはわからんが、変わった娘だというのは確かだ。きっと色々と楽しませてくれるだろう」
「ルーク……」
次の言葉を継げなかったレナードを無視して、ルークは立ち上がり寝室へと向かった。
「お前ももう休め。明日から当分、賑やかになるだろうからな」
笑いを含んだ声で、ルークは告げると寝室の扉を閉めた。
レナードは大きく溜息をつき、部屋を後にしたのだった。
ユシュタールの人たちは「ハナ」を「ハァナ」と発音しますが、表記は「ハナ」で統一します。