64.五十歩百歩。
「僕、ジャスティン様が元近衛騎士だとは知っていましたが、魔剣までお持ちだったとは知りませんでした」
通常では信じられない程の早さで駆ける馬の上で、コ―ディが呟くように言った。
それにカイルが応える。
「私も噂でしか聞いた事はなかったがな……ジョシュ、お前は?」
「私が騎士になった頃には、ジャスティン様はもうすでに騎士を引退なされて陛下の侍従として働いておられたから、詳しくは知らないが……魔剣を封印なされた時に気になって先輩騎士に尋ねた事はある」
そこで言葉を切ったジョシュにコ―ディが急かすように訊いた。
「何て答えが?」
「……皆が目を逸らし、話を逸らし、答えてくれなかったな」
「……」
ジョシュの返答に二人は暫く黙り込んだが、コ―ディはどうしても気になるようで、今度は最後尾にいるガッシュに尋ねた。
「ガッシュ大将、大将はジャスティン様の魔剣の事はご存知ですよね?」
「ん? ジャスティンの魔剣か? まあ、あれだ……『百聞は一見に如かず』だ。うん。―――ただ一つだけ言っておく。ジャスティンが剣を抜いたら絶対に、後ろに下がっていろ。できたら百歩くらいは……無理なら五十歩でもいい。わかったな、絶対だぞ!!」
何事にも豪快で屈託のない様子のガッシュが珍しく言葉を濁した事に、三人は益々興味を引かれ、先を行くジャスティンの背を無言で見つめたのだった。
夕刻に王宮を出てから一晩馬を走らせ、カオシエへ到着したのは朝靄が陽の光に掻き消えていく頃だった。
街の警備兵達の詰め所で食事をとりつつ、国境付近の情報を得る。
セルショナード王の強大な魔力で結界が張られた国境だが、やはり警備にも怠りはないようで定期的に兵達が巡回しているらしい。
恐らく国境を越えた時点で兵達に囲まれるのは避けられないようだが、当然それは予想の範囲内なので、とりわけ動じる事もなく十分に休憩を取った。
その後、五人は再び馬を走らせ昼過ぎには国境へと辿り着く事ができた。
「おお、おお、これはまたすごいな……」
セルショナード王の結界を前に、ガッシュは嘆声をもらした。
「王の魔力が強大だとは聞いていましたが、これは……この力を全国境へと張り巡らせる程の力を持っているのなら、私達が太刀打ちできる相手ではないですね」
ジャスティンの言葉にカイル達三人は息を呑む。
「諦めるのか?」
「まさか」
ガッシュの問いにあっさりと答えたジャスティンの顔は、これから立ち向かう困難を楽しみにしているかのように笑んでいた。
その笑みを久しぶりに見たガッシュもまた嬉しそうに笑った。
「よし!! んじゃ、いっちょやるか!! あ……お前らは万が一セルショナードの奴らが攻めて来た時の為に備えとけよ!!」
ガッシュは張り切って気合を入れると共に、国境警備の兵達に声を掛けた。
それからガッシュは集中を始め、とある攻撃魔法の詠唱を始める。
普段、詠唱を必要としないガッシュだが、詠唱によって渾身の魔力を込め、薄い膜が張ってあるような結界の一点に集中して放った。
それは結界に静かに吸い込まれていったかと思われたが……。
刹那――閃光が走る。
皆が思わず目を瞑ったと同時に、凄まじいほどの爆音と爆風が辺りに広がった。
まだ耳鳴りがする中、ガッシュの大声が響く。
「ちょっとやり過ぎたか!? まあ、いいか!! ほら、お前ら今のうちだ!!」
その声に気を取り直した三人と、何処までも冷静なジャスティンが急ぎ結界の綻んだ穴に向かって進む。穴はすぐに修復し閉じようとするが、それをガッシュが抑える。
「ジャスティン!!」
ガッシュの切迫した声に、ジャスティンは頷いて笑って見せた。
「わかっています」
攻撃魔法の衝撃がセルショナード側にも伝わったらしく、続々と兵達が駆けつけて来る気配がしていた。
「必ずハナ様をお連れして戻って来い!!」
ガッシュのその声を最後に結界は再び閉じられ、セルショナードの地に立った四人はあっという間に孤立したのだった。
**********
「殿下!」
「わかっている」
ザックの緊張した声にリコは大きく頷いた。
クジサスを立った翌日、旅芸人たちと行動を共にしていたリコたちは昼食のために王都コステイへ続く街道を少し逸れた草原で休憩していたのだが、たった今、国境の結界が一瞬撓み、何者かがこのセルショナードへ侵入してきた事が伝わってきたのだ。
それはある程度力のある者ならわかった事だろう。
しかし、それが何人でどこから侵入したのか等の詳細はリコたちには判らない。
恐らくそれが判るのは王と王太子、そしてクラウスやガーディくらいだろう。
だが、侵入者の目的が花の奪還である事は明白であり、花を穏便にマグノリアに戻すためにはすぐにでも侵入者のもとへと行くべきだった。
三人は焚き火を囲んで座りゆっくりとお茶を飲んでいた所だった。
花は少し離れた場所で旅芸人の子ども達と遊んでいる。
「リコ様、どうされますか?」
「待ってくれ」
そう応えると、リコは頭を抱えるようにして俯き黙り込んでしまった。
暫くその場を沈黙が支配する。
次にリコが口を開いた時、その声は決意に満ちていた。
「このままコステイへ向かう」
「殿下?」
ザックは少し戸惑ったような声を上げる。
「恐らく侵入者は少人数だ。どこから侵入したのかがわからない以上、俺たちがどこへ向かえば出会えるのかもわからない。情報を集めるには時間が少なすぎる。父上がハナの捜索に力を入れるのも時間の問題だ。このまま進めば遅くとも明後日にはコステイに着くから、それまでに体裁を整えて花の安全を確保する。侵入者も必ずコステイに来るだろう。まあ、全て俺の勘に過ぎないがな」
「いえ、殿下の勘ならば間違いありません」
リコの言説にザックは先程とは違い、確信に満ちた声で応えた。
それに続いてトールドが確認する。
「この事はハナ様にお伝えになられますか?」
「……いや、暫くは伏せておいた方がいいだろう。」
そう答えると、リコは立ち上がって子ども達と一緒にいる花の方へと向かった。
***
そろそろ出発の時間らしく親の呼ぶ声に、子どもたちは走って戻りだしたが、三歳くらいの男の子がみんなを追って駆け出し、派手に転んでしまった。
そのまま男の子は泣き出してしまい、慌てて花が駆け寄り抱き起こす。
しかし、盛大に擦りむいて血が滲む足を見た男の子は更に大声で泣き出した。
花はその場に座り込み、男の子を膝に乗せて優しく声をかける。
「あれれ、擦りむいちゃったね。でも、おまじないをかけると痛いの治るかな?」
「お……おまじ、ない?」
男の子はしゃくり上げながらも、花の言葉に反応する。
「そう、おまじない。みてて……いたいの、いたいのとんでいけ~♪ あっちのおやまにとんでいけ~♪」
優しく男の子の足を撫でながら花がゆっくりおまじないを唱えると、以前と同じように男の子の足の傷を淡い光が包んだ。
それに男の子は驚いたように泣き止むと、ポカンと口を開ける。
それから少し泥は付いたままだが、傷がふさがった足を見て不思議そうな顔をした。
「……これまほうなの?」
「んー……おまじないかな?」
「おま、じない??……わかんないや。でもありがと!」
そう言って男の子は花にキスをした。
花は一瞬驚いたが、すぐにクスクスと楽しそうに笑いだす。
その様子を少し離れた所から見ていたリコは、花の『癒しの力』を目の当たりにして驚愕していた。
――― 今のは治癒魔法か? しかし、あんな詠唱は聞いたこともないし、あのように光るのも見た事がない……それに……。
男の子と笑っている花の笑顔に、リコの胸はチクリと痛んだ。
花はいつも微笑んでいる。
それにこの五日間、何度か声を出して笑っていた。
しかし今、目にしている花の笑顔を見ると、それがただのまやかしに過ぎなかったのだと思い知らされる。
心から楽しそうに笑う花の笑顔が眩しくてリコは思わず目を細めた。
だが、すぐに気を取り直すと花の方へと歩み始める。
「ハナ」
リコの呼びかけに、花はハッとして顔を上げたが、リコを見ると一瞬泣きそうな顔になり、それからすぐにいつもの柔和な笑顔に戻った。
――― ああ、やはり俺たちは……俺はまだ信用されていないんだな。
その事実がリコを苦しめる。
リコ自身、ハナに話していない事など侵入者の件を含めてたくさんあるというのに。
あまりに身勝手な己に思わず自嘲する。
そんな思いを隠して、男の子を抱き上げると花に手を差し出した。
「もう、出発するぞ」
一瞬、花が躊躇ったのをリコは見逃さなかったが、すぐにそれを覆い隠してリコの手を取り立ち上がった花はやはり微笑んでいた。
なぜだかリコは無性に腹が立ち、花がさり気なく離そうとした手を強く握り、戸惑う花を無視してみんなの元へと戻って行ったのだった。