番外編.ルークの煩悩。
本編36話後辺りの話です。
「ハナ」
「ルーク!?」
夜も更けた頃、寝室の長椅子で本を読んでいた花は突然現れたルークに驚いた。
突然現れた事に驚いたのではなく、ルークの姿に驚いたのだ。
いつもは寛いだ恰好でも、すべてが整えられているようであるのに、今のルークの髪は濡れて少し乱れている。
「ルーク、髪が濡れてるじゃないですか!」
風邪はひかないというが、やはり花は心配になる。
しかしルークは意に介さない様子で「ああ」と言うと、あっという間に魔法で乾かしてしまった。
瞬間、綺麗なプラチナブロンドがサラリと揺れる。
その様子を魅入られたように見ていた花にルークが尋ねた。
「ハナは今日が誕生日なのか?」
その言葉に一瞬キョトンとした花だったが、すぐに思い当たり困ったような顔をした。
「それは……前の世界からの日数で数えると、今日が誕生日になるのかも知れないんですけど……」
花の誕生日は初夏なのだが、今ユシュタールでは晩秋である。
しかも一年が四百二十日なのだから、正直な所よくわからない。
ちなみにこの世界では、『太陰暦』とでも言うか、月の朔望が一巡する二十日間が一か月で二十一月まであり、太陽が世界の周りを回っているのだ。
それにしても先ほど、夕食の時にポロっと「今日、誕生日かも……」と洩らしただけなのだが、それがどうやらルークに伝わったらしい。
ルークは花の隣に座ると、花の手を取って手首の内側に口付けた。
「ルーク?」
それから、ルークは戸惑う花の唇に軽くキスをして微笑んだ。
「ハナ、誕生日おめでとう」
「………ありがとう、ございます」
真っ赤な顔のまま、花はやっとの思いでお礼を口にする。
それから花は微笑もうとしたのだが、よくわからない感情が押し寄せてきて上手く笑えなかった。
ルークのたった一言が嬉しくて、花の瞳は涙で滲む。
すると、ルークは抱えるように花を引き寄せて自分の膝の上に座らせた。
「ルーク!?」
花は驚きと恥ずかしさに声を上げる。
しかしルークはそんな花に構わず耳元で囁くように訊いた。
「何が欲しい?」
「え?」
「ハナの欲しいものを教えてくれ」
「……ほしいもの?」
今まで誰かに欲しいものなど訊かれた事のなかった花は一瞬困惑したが、それでも答えはすぐに出てきた。
ずっと『真実の愛』というものが欲しかった。
でももう、そんなものはいらない。
花はルークにそっと抱きついて答えた。
「何もいらないです。ただずっとルークの傍にいたいです」
花の答えに今度はルークが困惑したようだ。
だけど、花には本当にそれだけでよかった。
ルークが花のいる世界に存在していてくれるだけで。
今までの二十一年間、ただ流されて生きているだけだったけれど、これからはルークの傍で生きていたい。
心から大切に想える人がいる。
それがこんなに幸せな事だとは知らなかった。
ギュッと強くルークに抱きつくと、ルークは花の髪を撫でるように優しく梳いて、頬にキスをした。
そのままルークの唇は頬からうなじへとゆっくりすべっていく。
が――
「ハナ……その呪文はなんだ?」
ルークは花のうなじに唇を押しあてたまま聞いた。
「……九九です」
「クク?」
「はい……私の国では平常心を保つ為に唱えるんです」
「……なるほど」
納得の言葉を納得しかねる顔で呟いたルークは、そのまま花を抱き上げた。
「ぬお!?」
驚いた花は慌ててルークに再びギュッとしがみつく。
ルークは小さく笑いながら、花を寝台へとおろした。
「もう時間も遅い」
そう言うとルークは自分も寝台に横になると再び花を抱きしめる。
つかの間の沈黙の後、ルークは小さく息を吐き出すと口を開いた。
「ハナ……今度は何を数えている?」
「羊です」
「何のために?」
「羊を百八匹数えると煩悩を払えるんです……ああ! 何匹まで数えたかわからなくなったじゃないですか……」
「……すまん」
思わずルークは謝罪の言葉を口にした。
それから、やはり花の世界には変わった事ばかりだな、などと思っていると花の小さな寝息が聞こえてくる。
――― まだ、二十匹も数えていないだろ……。
ルークは苦笑し、寝入った花を抱きしめ直して優しくキスをすると目を閉じた。
それから、羊を数え始めたのだった。
次の日、ルークは花に羊のぬいぐるみを贈った。
「ただの迷信だな」と呟きながら。
読んで下さり、ありがとうございます。
※ もちろん羊を108匹数えても煩悩は追い払えません(笑)