63.旅立ちの時。
次の日、リコの寝台で一人目覚めた花は他に誰かが寝た形跡がない事に安心しつつ、申し訳ない気持ちになっていた。
花の気配を隠すためにはある程度近くにいなければならないらしいが、他の部屋では急に捜索の手が入るかも知れず、リコの寝室で休むことになったのだ。
だがやはり寝台で眠る気にはなれず、連れ去られて最初の夜は長椅子で掛け布を一枚拝借して包まって眠った。
しかし、朝になり目が覚めるといつの間にか寝台に移されており驚いたのだが、昨夜も同じ事を繰り返したようだ。
一度眠るとなかなか目覚めない花をどうやらリコは寝台に移してくれているらしいのだが、ではリコはどこで眠っているのだろうかと心配にもなる。
それから暫くして身支度を整え終えた頃に、寝室の扉がノックされた。
部屋に入って来たリコは花が居心地が悪くなるほどジッと見ていたかと思うと、ふと笑みをこぼす。
「面白いな、ハナは」
「ぬは?」
突然のリコの失礼発言にショックを受けた花だったが、それをリコはクスクスと笑う。
「いや、すまん。悪い意味じゃなくて……マグノリア王宮で会った時も思ったが、ハナは本当に魔力が全くないんだな」
その言葉に花はルークを思い出して切なくなったが、続くリコの話にその想いに無理に蓋をした。
「ハナがここまであの王太子達に見つからないのはその為もある。全く魔力のないハナは他の者たちの魔力の気配に染まりやすいみたいだな。一昨日の夜には皇帝の気配にすっかり染まっていたが……今はもう、ほとんどないな。俺と……トールドの気配が濃い」
それを聞いて花は思わず服の袖をクンクンと嗅いでしまった。それを見たリコが吹き出す。
「いや、においはしないって!」
「……条件反射です」
笑うリコを顔を赤くしながら睨みつけたが、そのリコがふと笑いを止め再び花をジッと見つめるので花は思わず身構えた。
「な、なんですか?」
「ハナはこれから俺の正妃を演じる訳だが……どこまで演じきれる?」
そう言って、真剣な顔で近づいて来るリコに、花は後退る。
壁まで追い詰められた花に、リコは少し困ったような顔をして花の顎に手を掛けた。
「これくらいはして欲しい」
「え!?」
花の言葉は続かなかった。リコに唇を奪われたのだ。
だが花は……。
「っ!?」
リコが驚いて唇を離す。
「噛むなよ!!」
「条件反射です!!……舌まで入れる事ないじゃないですか!?」
「必要事項だ!!」
「どこがですか!? 変態!!」
「な!?……あのなぁ、本物の変態を知っているだろうが!!」
「……それも、そうですね」
「……」
「……」
二人の奇妙な応酬は微妙な空気に包まれて終わった。
それからリコが大きく息を吐き出して忠告する。
「ハナ、お前はあの王太子に随分気に入られたらしい。だから本当にこれは必要な事だ。その理由はそのうち分かる……分からない方が幸せだと思うが。とにかくあれには十分に気を付けろ」
リコは厳しい顔つきでそう言うと、すぐに安心させるように微笑んで居間へと戻った。
花もそれに続く。
と――
「もう睦み事は終わりですか?」
トールドが残念そうに言う。
「睦み事ではなく、揉め事です!!」
慌てて否定する花に、ザックは大笑いする。
花は朝からすっかり疲れてしまっていた。
どうもこの三人は最初の印象と違うようで、調子が狂ってしまう。いや、ザックは変わらないが。
それから四人で朝食をとっていたが、リコが再び真剣な顔で話を始めた。
「ハナ、明日にはここを発とうと思う。だが、出立時にハナがいると目立つから先にクジサスの街で待っていて欲しい。だから今夜はザックと一晩街で過ごしてもらうことになる」
それを聞いた花は、チラリとザックを窺う。するとザックは花の視線に気付いてニカッと笑った。
「ご心配はいりません!! 私の好みはもっとこう……」
言葉と共に動くザックの手つきに、花は心の中で効果音を付けて確認した。
――― ボッキュ、ボーン。ですね? はいはい。
***
相変わらず花の捜索は行われていたが、今はクジサスの街から外へと範囲が広がっているらしい。
そうして花は一晩、クジサスの宿屋(連れ込み宿?)で過ごすことになった。
そこで分かった事だが、リコ達はこの街でかなり人気があるらしく、協力者らしき人たちが離宮から街中から何人もいたのだ。
翌日の早朝、一旦ザックは離宮へと戻り、その間を信頼できる協力者という人が護衛として側に付いていてくれたのだが、その時に色々とリコ達の話を聞いた。
王子としては魔力の弱いリコはセルショナード王城では冷遇され、リコは成人してからずっとセルショナード国内を視察と称して転々としているらしい。
しかし、気取らない性格で親しみやすく国民からの人気は絶大で、王太子はそれを良く思っていないらしいなどなど。
その後、旅芸人らしき集団に混じってリコ達と街の外れで合流した花は、セルショナードの王都、コステイに向けて旅立った。
花が連れ去られてから五日目の朝の事だった。
**********
「ジャスティン、どっからセルショナードへ入る気だ?」
ルークの執務室を出て、王宮の厩舎へと向かう途中でガッシュがジャスティンに尋ねた。
「カオシエの先からです。恐らくハナ様はすでにセルショナード王城へと連れ去られているでしょう。ですから王都コステイに向かいます」
帝都サイノスからセルショナードの王都コステイまで直線で繋ぐ線上近くに位置する街カオシエ。しかし、それは『近く』だ。
「真っ直ぐにコステイに向かうなら、シリムからの方がいいんじゃないか?」
ガッシュの疑問にジャスティンは歩を弛めずに進みながら答えた。
「セルショナードへ結界を破って侵入した時点でセルショナードの兵達に追われることになるでしょう。出来る限り先を急ぎたいので、それらを一々相手にするのは避けたいのです。ですから国境を越えてすぐにある不可侵の森に入り追手を撒きます」
その言葉にコ―ディが声を上げた。
「不可侵の森!?」
「なんだコ―ディ、怖気づいたのか? だったら一緒に行くのは止めとけ!」
ガッシュは意地悪そうな笑いと共に、コ―ディを窘めた。
「いえ! 大丈夫です!! ちょっと驚いただけですから!!」
気張って言うコ―ディに、ジャスティンは苦笑する。
「安心しなさい、コ―ディ。この魔剣がある限りは他の魔物は寄って来ません。森に入っても魔物相手に時間を取られていたらどうしようもないでしょう?」
その言葉にコ―ディがホッとした頃、厩舎へと通じる広場に出たのだが、五人はそこで足を止めた。
「お前ら……」
ガッシュが思わずといった感じで呟く。
そこには五頭の馬を連れたランディやアレックスなどの近衛達が待っていた。
そしてその馬たちはそれぞれが限界まで近衛達の魔力で満たされていたのだ。
「ジャスティン様、我々にはこれくらいしか出来ませんが、どうかハナ様をお連れになってご無事にマグノリアに……陛下の許にお戻り下さい!!」
「――もちろんです」
近衛達の真摯な眼差しを受けてジャスティンと花の護衛達、そしてガッシュも大きく頷く。そこへ近衛達の間からセレナとエレーンが姿を現した。
「ジャスティン様……お荷物になるのはわかっているんですが、どうかこれをハナ様にお届け下さい」
そう言ってセレナが差し出したのはケースに入ったシューラだった。運びやすいように包まれてある。
「ハナ様はこのシューラがやっと馴染んできたと、とてもお喜びになられていたんです。ですから……」
エレーンの言葉にジャスティンは頷き、セレナからシューラを受け取ると、それをコ―ディが進み出て受け取り背負う。
その後、皆に見送られ王宮から一路カオシエへと急ぎ旅立つ五人の姿を、ルークとレナードは執務室の窓から無言で見守っていた。
それは花が連れ去られてから五日目の夕刻の事であった。