62.おまじないは迷信ですか。
「娘はまだ見つからないのか!?」
花が逃走してから一夜が明けたが、依然花の行方が掴めない事に王太子は苛立ち、配下の者たちを怒鳴り散らしていた。
その怒りと共に発散される魔力に圧され配下達は言葉を発する事も出来ないようだったが、そこへガーディが口を開いた。
「お前たちに聞きたい事がある。昨夜、花街辺りでリカルド殿下とその近衛の気配を感じたが、何か知っているか?」
その問いに一人の兵が気力を振り絞る様にして答えた。
「王子殿下については分かりかねますが、殿下の近衛に関してましては、昨夜確かに花街にて姿を確認しております」
「一人だったか?」
「いえ――」
「兄上がここに居るのか?」
二人の問答に割り込む形で王太子が問いを投げかける。
「はい、リカルド殿下は三日程前よりこの離宮にご滞在なされておられるようです」
質問を邪魔された事を意にも介さない様子でガーディは答えた。それに王太子は少し考え込むと配下の一人にリコを呼ぶように申し付ける。
そして程なくしてリコとザックが王太子の部屋へ姿を現した。
「マックス、どうかしたのか?」
王太子を愛称で呼ぶリコに一瞬、王太子は忌々しそうな顔を見せたが、すぐに笑顔に戻ると応じた。
「兄上がこちらにおられると聞いたので、ご挨拶をしようと思いまして」
「その為にわざわざ私を呼びつけたのか?」
顔を顰めるリコに、王太子は優越に顔を輝かせる。
「いえ、もちろんそれだけではありません。兄上とそこの近衛に伺いたい事があるのです」
「……なんだ?」
訝しげに問うリコに、王太子は嫌な笑みを浮かべる。
「お恥ずかしい話ですが、実は昨夜マグノリアへの切り札とする娘を逃してしまい、残念ながら花街で見失ってしまったのです。兄上とその近衛はセルショナード中の花街にお詳しいようですから、当然このクジサスの花街にもお詳しいでしょう。それで何かご存知ではないかと思いまして」
その嫌味な口調の質問にもリコは顔色を変えず答えた。
「悪いが、私は知らないな……ザック、お前は何か知っているか?」
「申し訳ございません。私も昨晩の事については……他の事に夢中で」
ザックもリコの問いに仰々しい程に神妙な顔つきで答えた。
が、すぐにニカッと笑うと続ける。
「いやぁ、それで昨晩は花街全体が騒がしかったんですね? 私なんて最中に押し入られて驚きましたよ。まあ、押し入った奴も私のものを見て驚いていましたがね。ハッハッハ!!」
誰も聞いていない事までザックは語り、豪快に笑った。それから王太子の配下の一人の兵に目を止めて更に続けた。
「あっ、お前昨日の奴じゃん!! まあ、あれだ……俺のと比べて落ち込むんじゃないぞ! 元気出せよな!!」
その言葉に皆の視線が集まった兵は、顔を真っ赤にし口をパクパクさせている。
「ザック……お前はもう黙っておけ」
リコの呆れたような言葉にザックは慇懃に返事をした。
「はっ! かしこまりました!!」
二人のやり取りにやっと気を取り直したのか王太子が一度咳払いをして、再び嫌な笑顔を浮かべて口を開いた。
「さすが兄上はずいぶんお上品な部下をお持ちだ。その優秀そうな部下共々、兄上に頼みがあります。どうか花街に慣れていらっしゃるお二人に、その娘の捜索を手伝って頂きたい。今からすぐにでも」
頼みと言いながらもその有無を言わせない言葉に、リコはため息を吐きながらも了承する。
「わかった。ではその娘の詳しい特徴を……」
そうして二人は王太子の部屋を後にしたが、部屋を出てすぐにガーディに呼び止められた。
「リカルド殿下」
「……なんだ? ガーディ」
立ち止まって振り向いたリコにガーディは深々と頭を下げる。
「お止めして申し訳ございません。しかし、一つお伺いしたい事がございまして……」
「申してみよ」
「ありがとうございます。して、殿下は何用がおありになってこのクジサスにご滞在なされておられるのでしょうか?」
「……特に理由はないが? ただいつもの気まぐれだ。私たちがいる事でお前達の邪魔をしているなら悪いが許せ」
「いえ、邪魔などと、とんでもございません。後から参った私たちの方が大変失礼な事を……申し訳ございません」
そう言ってガーディは再び深々と頭を下げると、二人が遠ざかるまで見送った。
その後、ガーディは王太子の部屋に戻ると、未だ苛立ちの治まらない様子の王太子に請願する。
「殿下、ハナ様が自ら切り落とされた御髪を私にお預け下さい」
「なぜだ?」
王太子はガーディの求めに訝しげに問い返す。
「王のご指示により、ハナ様の御髪のみマグノリア皇帝へお返しする事になりました。すぐにでもその為の使者が王都より参ります」
「……なるほどな。どうせその様な小賢しい事を考えたのはクラウスだろう? しかし、お前達はいったいどうやって連絡を取っているのだ? 王都までここから馬で二日はかかると言うのに?」
その王太子の問いにガーディはただ微笑むだけだった。
「ふん……まあいい」
そう言って王太子は寝室へと去って行った。
**********
「それにしても殿下はよく、このクジサスにあいつらが来るとお判りになりましたね」
花街の路地裏で適当な捜索をしながらザックがリコに問いかけた。
「ああ、それは……ほとんどいつもの勘だ。いや、どちらかと言うと予測か? あいつらが彼女を殺すつもりだったなら俺にはどうしようもなかったが……なぜかそれはないと思えて、ならば略奪してくるだろうと。彼女を連れ去った後、いきなり王都に連れ行くのは流石に無理だろうから、とすれば国境近くの街に一旦立ち寄るだろうと思っただけだ。そして寄るならこのクジサスだと。ここは三方を不可侵の森に囲まれている。奴らはどうやら森を好んでいるように思えるからな」
そう言うとリコは、店の裏口に置いてある大きなバケツの蓋を開けているザックを窘める。
「ザック、いくらなんでもそこには居ないだろう?」
その言葉にザックはリコを見て応えた。
「そうですか? でも殿下、そこにも居ないと思いますよ? というか、絶対に無理です」
「そうか?」
どこかの家のポストを開けていたリコは残念そうに答える。
「そうです。それと、いくら殿下でもよそ様の家のポストは勝手に開けてはいけません」
「……そうか」
そんなやり取りを繰り返していた二人だったが、ふとザックが心配そうに呟いた。
「あの二人は大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だろう。トールドは他人の裏をかく事には長けているし、彼女も……驚くほど聡いしな」
そう返すリコにザックは心配そうにする。
「殿下、彼女に惚れたらダメですよ」
ザックの言葉にリコは苦笑した。
「いや、それは……俺の好みはもっとこう……」
「ああ、ですよね! 正直なんていうか……皇帝の趣味って変わっていますよね?」
「……ああ」
などと、二人が失礼な事を話し合っていた頃、花はと言うと……。
「へっぶち!!」
変なクシャミをしていた。
――― あー思いっきりクシャミしたい。でも大きい声出せないし……。
数部屋ある客間とはいえ、やはり隠れている身なので、出来るだけ音も立てないようにリコの寝室で本を読んで過ごしていた。
そして念の為に侍女の衣装を身に付けている。更に念には念を入れて、掃除道具なども傍に置いてあったりするのだ。
今は、隣の部屋で書類に目を通しているトールドの魔力に覆われているらしい。
と、そこへ突然その隣の部屋から大きな物音がした。
花は慌てて掃除道具を持ってトイレへと駆け込んだが、それから特に人の気配もなく、恐る恐るトイレから寝室へと戻った。
そして居間への扉に耳を付けて様子を窺う。
するとトールドの呻くような声が聞こえ心配になったのだが、決して声を掛けるまでは開けてはいけないと言われていた為、花は躊躇った。
しかし結局、何度か逡巡した後にそっと扉を開けて覗き見る。
トールドは一人、左腕を抑えて蹲っていた。
「大丈夫ですか?」
慌てて花は駆け寄り声を掛けるが、トールドは何とか「大丈夫です」と答えて花に微笑みかける。
だがその顔は青ざめ、脂汗が浮いていてとてもではないが「大丈夫」には見えない。トールドの抑えている左腕を見ようと花が手を伸ばすが、トールドに抵抗された。
「少し捻っただけですから」
そんな言葉が信じられる訳もなく、花は無理矢理にトールドの衣服の左袖を捲り上げた。
そして絶句する。
左の上腕部には酷い裂傷が走り、そこが黒く膿んでいた。
余りに酷い傷に今まで普通に過ごしていた事が不思議であるほどだ。
「ハナ様、大丈夫ですから」
「でも……」
「うっかり痛み止めの魔法を切らしてしまっただけですから」
そう言ってトールドは苦笑するが、すぐに真剣な顔で花を見つめて懇願するように言った。
「ハナ様、この事は絶対にリコ様におっしゃらないで下さい」
「でも、治癒魔法を……」
リコにそれが出来るのかどうかは分からないが、手配はしてくれるはずだ。だが、その言葉にトールドは力なく首を振った。
「私も治癒魔法は使えますが、この傷には効きません。恐らく闇の魔力による傷でしょう。悪化を抑え、痛みを鎮めるだけで精一杯なのです」
その傷はサラスティナ丘で魔術師達を追う時に受けたものだった。
もしその事をリコが知れば、リコが己自身を酷く責め、苦しむのは目に見えている。
だから絶対に知られてはならないのだ。
顔を顰めて説明するトールドは本当に辛そうで、思わず花は傷に触れないように、優しく腕をさすりながら囁いた。
「いたいの、いたいのとんでいけ。いたいの、いたいのとんでいけ」
昔、ナニー(乳母)の美津に転んで怪我をした時によくしてもらったおまじないだった。
それを旋律に乗せて唱えるのだ。
「いたいの、いたいのとんでいけ♪ とおくのおやまにとんでいけ♪」
するとトールドが驚きの声を上げた。
「え?」
「え?」
それに花もつられて驚きの声を上げたが、トールドの傷を見て本当に驚く。
黒く膿んだ傷が淡い光に包まれていた。
目を凝らして良く見れば、淡い光が一つ一つシャボン玉のように丸くなって黒い靄のような物を包んでは消えていく。
その度に、傷が治っていくのだ。
それからすっかり元通りになったらしい左腕を、トールドはただ呆気に取られたように見ていた。
花も驚きつつ、それでも心配を口にする。
「痛くないですか?」
その問いにトールドは「はい」と小さく返事をした。
花はその返事に嬉しそうに微笑む。
そんな花を眩しそうに見つめるトールドの瞳は、何か読みとれない感情を宿して揺れていたのだった。