59.とかげのしっぽ切り。
不快に思われる内容が一部含まれているかもしれませんが、物語の舞台設定であることをご了承ください。
食事の後、花はナイフを隠し持つためにトイレに籠もった。
――― こういうのって太ももに装着できたらかっこいいよね……でも、このヒラヒラのスカートを一生懸命捲り上げてナイフを取り出すのはちょっと……。
そんな事を考えながら、何とかドレスのスカートにたくさん入ったドレープに紛らわせて隠す事ができた。衣装替えの時には気を付けなければならないが。
それから暫くして戻ってきたガーディは一人ではなかった。
ガーディと共に入って来た人物に目を向けた花は、その人物にどこかで会ったような気がして記憶の手帳を懸命にめくり始める。
――― えーっと……このつやつや赤い髪には覚えがあるんだけど……顔もどことなく……でも、これ程の美形を忘れるとも思えないし???
その赤毛の人物をコッソリ窺いながら考え込む花だったが、ガーディが紹介を始めたので記憶の手帳めくりを中止した。
「ハナ様、こちらはセルショナード王国の王太子殿下であらせられます、マクシミリアン・セルショナード殿下でございます」
「殿下、こちらはマグノリア皇帝のご側室であらせられた、ハナ様でございます」
セルショナードの王太子など知る訳もなく、気のせいかと花は思い直した。
そして、ガーディの言葉に引っかかるものを感じながらも、一応淑女らしい仕草で挨拶をする。
「花と申します」
名字は名乗らなかった。
しかし、どちらにしろ花の挨拶に返事はなく、王太子は値踏みをするように花を上から下まで見るとガーディに向き直り口を開いた。
「ガーディ、何かの間違いじゃないのか?」
「いえ、間違いではございません」
「しかし、あのマグノリア皇帝の寵妃だったのだろう? ユシュタルの御使いとまで言われていると聞いたぞ?」
「はい」
「なのにこれなのか?」
「はい」
王太子の信じられないといった口調にも、ガーディは平坦な声で答える。
二人のやり取りを聞いていた花は何が問われているのかを正確に理解していた。
――― ええ、ええ、これですみません。十人並みですから、わかっていますから。私だってルークとの事は信じられないくらいですから。
心の中で半分拗ねながら謝罪していた花は、続く二人の応酬の中で王太子の信じられない言葉を耳にして驚愕した。
「こんな女を娶れというのか?」
「はい」
「はい!?」
花が驚きのあまり上げてしまった声に二人は振り向き花を見るが、そのままガーディは王太子を諭すように続ける。
「殿下、王のご命令です」
「……わかっている」
――― いやいや、ちょっと待って!! わかってないから、わからないから、意味がわかりませんから!! 二人で話を進めないで!!
心の中で叫びながらも花はなんとか気を落ち着け疑問を口にしようとするが、それをガーディに遮られてしまう。
「あの――」
「では殿下、どうぞごゆるりと」
そう言うとガーディはローブを纏った男と出て行ってしまい、花は王太子と二人きりで残されてしまった。
――― ゆるりと何を!?……やばい、何かやばい気がする……。
じりじりと花は後退り王太子から距離を取るが、王太子はため息を吐いたかと思うといきなり振り向き、せっかく花が空けた距離を一気に詰めて花の手首を乱暴に握った。
「あの!?」
花の言葉を無視して王太子は、ガーディが出て行った扉とは間逆の扉へと花を引いて行く。
「どちらへ!?」
慌てた花の質問に振り向きもせず王太子は答える。
「寝所だ。お前を正妃にせよと父上のご命令だから仕方ない」
――― ちょっと待って!! だからって何故いきなり寝所なの!?
王太子の答えに驚きながらも、花は力いっぱい足を踏ん張って進む事を拒否した。それを訝しげに王太子は振り返る。
「何をしている?」
「私は嫌です!!」
精一杯拒絶を示した花だったが、それを嘲笑して王太子は告げた。
「何をバカな事を。お前は拒む事はできないし、許さない」
「私は皇帝陛下の側室です!!」
「それがどうかしたか? 何も問題ないではないか。それどころか私はお前を正妃にしようと言うのだ。何を不満に思うことがある?」
「それでも私は嫌です!!」
花は一生懸命に拒絶の意思を表そうとするが伝わらず、どうすればいいのか分からなかった。
以前から何となくではあるがこの世界の社会通念、社会制度には花も気付いていたのだが。
ユシュタールでは、魔力が強く身分の高い男性が正妻の他に幾人かの側室・愛人を持つ事は当然であり、愛人をやり取りする事も珍しくなければ、皇帝や王達が側室を臣下へと嫁す事もある。
しかしこれは一方的なものでなく、女性にその旨を伝え了承が得られて初めて成立する話であって、強引に成されるものではない。だが、稀に不埒な者が手に入らない女性を無理矢理奪う事もあった。
基本的に女性は男性ほどの大きな魔力の『器』を持って産まれる事が少なく、魔力も力も弱いため保護・庇護されるものであるらしい。
そのような社会で女性達は己の望む男性の許へ嫁ぐ為の努力を怠らず、時には望みの地位の男性の許へと辿り着く為に他の男性を踏み台代わりにする女性もいるほどだった。
しかし当然ながら花に受け入れられる話ではない。
それでも以前の花ならば、この美形の王太子を前にして「まあ、いいか」と諦めていたかも知れない。ルークとも似たような状況であったのだから。
だが、ルークはこんなに乱暴ではなかったし、冷めた態度の中にも気遣いと優しさが感じられた。なのに今、王太子から感じられるのは花に対する苛立ちだけで、とてもではないが「ラッキー」と思えるはずがない。
「まさかお前は皇帝に義理立てしているのか?」
拒む花に王太子は冷笑し、それから苛立ちを抑え宥めるような優しい口調に変えて続けた。
「お前はもはや皇帝の手から離れたのだ。そして私の下に来たのだからすでに私のもの。心配せずとも皇帝より優しくしてやる。お前も皇帝のかつての側室のように、いつなぶり殺されるのかと脅えて過ごすのは嫌だろう?」
王太子の嫌な言葉の後半部分に花は反応してしまった。
「何を……何を言ってるんですか!?」
「何をとは?……まさかお前は知らないのか? 皇帝が皇太子時代に己の側室を何人も寝所で殺した事を」
そう言って笑う王太子の顔は愉悦に輝いている。
花は信じられないような話に蒼白になりながらも今は考えるべきではないと動揺する心を抑え、王太子の手を振り解いた。
だが、すぐまた掴まえられる。
焦った花が隠したナイフを握り締めて取り出すと王太子は驚いたように手を放した。
その機会を逃さず花は王太子と距離を取る。
「まさか、そんな小刀で俺を殺せると思うのか?」
すぐに気を取り直した王太子は、先程までの苛立った様子から急に楽しそうになり顔を綻ばせて聞くが、花はそれには答えず急いで出口へと向かった。
が――
「ああっ!!」
花は驚きと痛みに思わず呻いた。
緩く編んで背に垂らしていた髪を王太子に掴まれたのだ。
「逃がす訳ないだろう?」
言い聞かせるような王太子の声は楽しそうに弾んでいる。
掴まれた髪を強く引っ張られ後ろによろけそうになった花は、持っていたナイフを握り締め勢いよく振り向くと――自身の髪を切り落とした。
その行動に驚愕する王太子の隙を衝いて出口への扉に辿り着いた花だったが、なぜか扉を開ける事が出来ない。
「ク、ククククク……ハハハハハ!!」
異様な笑い声に、花は開かない扉を背にして振り向いた。
王太子は切り落とした花の髪を持ったまま、恍惚とも言える表情で楽しそうに笑っている。
――― 恐い! この人、本当にやばい人だ……。
花は本気で王太子を恐いと思った。
「無駄だ。その扉は俺の魔力で閉じてあるからお前に開ける事はできない」
そんな花を見ながら楽しそうに、満足そうに王太子は告げると一歩前へと足を踏み出した。
花は再びナイフを力強く握り締めると、自身に向けて刃を当てる。
「近づかないで下さい!!」
花の見せた覚悟にも楽しそうな表情を崩さず王太子は足を止め、そして持ったままの花の髪の毛に口付けた。
「なるほど、皇帝がお前を気に入ったのも頷けるな。お前とは十分楽しめそうだ」
「意味がわかりません!!」
あまりの不気味さに花は悲鳴のような声を上げた。それに王太子は囁くように答える。
「そうか? ならゆっくり教えてやる」
ゆっくりと近づく王太子に、花の体中の全神経が逆立って恐怖を訴える。
王太子に触れられるのは耐えられそうにない。
――― ……ルーク!!
花はルークを想い浮かべ、そしてナイフを握り直して目を瞑った。
が、急にドサリと音がした。
花はその音に、恐る恐る目を開いて――
「へ?」
思わず花は間抜けな声を上げてしまった。
視界に入ったのは、床に倒れ伏した王太子。そしてその王太子のすぐそばに立つ碧い瞳を輝かせた男。
花と目が合った男はニカッと笑うと、声高らかに言葉を発した。
「ジャジャーン!! お姫様を救いに騎士登場!!」
「……へ?」
花はもう一度間抜けな声を上げてしまったのだった。




