6.自己紹介をしよう。
「お、お手洗い貸して下さい!!」
花がそう叫ぶと、四人の眼差しは疑いから驚愕に変わった。
――― いや、なにも叫ばなくてもよかったよね、私。
便座に座ったまま、花は大きな溜息を吐く。
――― しかも、トイレまでイケメンにエスコートされるなんて……ありえないくらいの恥かしさだよ。ああ、今ブラックホールがあるなら、迷わず飛び込むのに。
再び大きく溜息を吐いた。
驚いた四人の中でいち早く平静に戻ったのは、やはりというか銀髪のイケメンだった。
そして彼はニッコリ微笑むと「案内しよう」と言って、手を差し出したのだ。
魂が抜けてしまいそうな程の極上の微笑みに、漏れそうな事も忘れて――いや、むしろ別の意味で漏らしそうだったが、花はうっかり手を重ねてしまった。すると彼はもう一方の手を花の背中に添えてトイレの前までエスコートしてくれ、「どうぞ」とトイレの扉を開いてくれたのだ。
――― ダメだ!! やっぱり恥ずかしすぎる!!
勢いよく頭を抱えて俯いた花だったが、そもそもこんな恥ずかしい思いをすることになったのも、ホテルで面倒がって行かなかったからだ。あの時に行っておけば、そもそもこの世界には来ていなかったかもしれない。
――― いや……その場合、あのバカボンと結婚することになってたのかな……でも……あー!! もう!! なんであの時、バルコニーから落ちたの!? 私のバカ!!
「はああ……」
盛大な溜息をもう一度ついて立ち上がる。そして着物を整えていると、便器の水が流れた。
――― これって、水洗トイレ? しかも感知式……???
驚き周りをよく見てみると、水道の蛇口らしきものもある。
――― ここって、雰囲気は昔のヨーロッパ風な感じだけど設備は最新式?……どういう世界なんだろう。
そう思いながら、念入りにしっかりと手を洗う。
人生初の男性と手を繋ぐという行為を一方的とはいえ、あんなバカボンによって奪われたのが、悔しく腹が立つ。
――― ま、でもさっき、銀髪イケメンと手を繋いだから人生最後ではないわ。『神様』ありがとう!
先ほどの事を思い出し、ご機嫌になった花は鼻歌交じりにスキップでもしそうな勢いで、無駄に広い『お手洗い』の出口に向かい、扉を開けた。
途端――
「ぎょえっ!!」
乙女にあるまじき悲鳴を上げた。
扉を開けたすぐ外には四人の男、イケメンズフォーが立っていた。しかも、相変わらず剣士二人は剣を構えて。
――― おっ、おとひめー!! 誰か音姫プリーズ!!
もはや手遅れな、どうでもいいことを花は心の中で叫んでいた。
――― し……死ぬ。私はきっとこのまま恥ずかしさで悶え死ぬ。
そんな花の羞恥に悶える内心には気づかず、銀髪のイケメンがイケメン剣士二人に剣を納めるように言う。そして、トイレの扉を開けたまま立ち尽くしている花に再び手を差し出して微笑んだ。
「とりあえず、あちらへ」
今度は微笑みに気をとられないように意識して、花はイケメンの手を取るべきか暫く逡巡した後、覚悟を決めて手を添えた。
居間にある、見るからに高級そうなソファへと歩む。
――― そもそも私、どれくらいトイレに籠ってた? 考え事してたし、着物も大変だったしで、かなりの時間過ごしてたのでは……その間、ずっと待ってたのかな?
いやあああああ!! 違うんです! 大じゃないんです!! 小用だったんです!! 考え事してただけなんです~ぅぅぅ。
再び花は、心の中で悲鳴を上げたのだが。
「くっ!」
――― わ、笑われた?
真っ赤になりながら花は、笑い声? が聞こえた銀髪のイケメンに視線を向けたのだが、銀髪のイケメンは相変わらず優しげに微笑むだけで、他の三人も特に変わった様子もなかった。
――― 気のせい?
「どうぞ」
気がつけばソファの傍まで来ていた花は、イケメンに促されソファに腰を下ろした。銀髪のイケメンも向かいのソファへと腰を下ろす。
「ランディ、アレックス、お前たちはもうよい。ランディ、イレイザを呼んでお茶を用意するよう伝えてくれ」
「かしこまりました。失礼致します」
「失礼致します」
それぞれイケメン剣士たちは挨拶の後、一礼をして出て行った。
『神様』似の、亜麻色の髪のイケメンは銀髪イケメンの後ろに静かに立っている。
「さて、では改めて聞こうか。お前はいったい何者なのか」
そう言って銀髪イケメンは、先ほどの微笑みが嘘のような怖いくらいの眼差しで花を見つめた。
それは亜麻色のイケメンも同様だった。
ゴクリ。と花は唾を飲み込み、意を決した。
「あの……わ、私は、小泉花と言います。その……私は違う世界から来ました。なぜかはわかりませんが、気が付いたら暖炉の中にいて……信じられないと思います! でも本当なんです!!」
「……」
イケメンは二人とも言葉を発しない。疑っているのだろう。
当然だ。花だって同じ立場なら、信じない。
それでもなんとか信じてもらわなくては、と思い言葉を探すが、上手く見つからない。焦った花だったが、そこへノックの音が響いた。
「入れ」
銀髪イケメンの返事に扉が開き「失礼します」と年配の女性が頭を下げ、カートを押しながら入って来た。
すぐ側まで来た女性はカートにのっていたポットからカップへと、紅茶らしきものを注ぎ、花の目の前のテーブルの上に置いてくれた。
銀髪イケメンが「どうぞ」といった仕草をしたので「いただきます」と一言断り、温かな湯気が出ているカップを口に含んだ。それを見届けてから、イケメンも同じようにカップを口へと運ぶ。
――― おいしい。
カップに注がれていたのは間違いなく紅茶だった。
花は温かい紅茶に癒され、知らず知らずのうちに「ほう」と小さく息を吐いていた。その様子を黙って見ていた銀髪イケメンはイレイザに声をかけた。
「イレイザ、青鹿の間を整えよ」
「……青鹿の間を、ですか?」
「ああ、そうだ」
「……かしこまりました」
そう言うと、イレイザは一礼をして部屋から出て行った。
銀髪イケメンは花がお茶を飲み干し、カップをテーブルに置くのを見届けてから口を開いた。
「まあ、そういうこともあるだろうな」
「はい?」
「そなたがこの世界の人間ではないという話だ」
「信じるんですか?」
「嘘なのか?」
その言葉に、慌てて花は否定する。
「い、いえ、嘘じゃありません! ただ……」
「ただ?」
「いえ、自分でも突拍子もないことだと思いますので」
「確かに突拍子もないな。だが、そなたを見れば、信じざるを得ないだろう」
「私を、ですか?」
「そなたの存在自体が、突拍子もないからな」
「……私……突拍子もないですか……」
信じてもらえたのだから喜ぶべきなのだが、イケメンに存在が突拍子もないと言われたのは、些かショックだった。
「そなたのその格好も……おかしなものだが、何より、そなたには一切の魔力が感じられない。それはこのユシュタールではありえない事だ。この世界の生き物は、大なり小なり必ず、魔力を有している」
「魔力ですか……」
――― 魔力……ってことは、この世界は魔法の世界ってことなのかな? その中で、まったく魔力がないって……いわゆるMPがないって事だよね。みんなが持っているのに、私だけ0って……MPどころかHPまで減りそうなくらいのダメージだわ……ホントに私、この世界に必要なのかな?
果てしなく落ち込みそうになっていた花だが、亜麻色のイケメンがお茶を新たに注いでくれたことに気づき、お礼を口にした。
「ありがとうございます」
それに、亜麻色イケメンは優しげな笑みで答えてくれる。
――― おお! これまた甘い笑顔だ。
落ち込みかけた花の心は急浮上する。我ながら単純だ。
お返しとばかりに、花もニッコリ微笑む。すると、亜麻色イケメンが口を開いた。
「俺の名前はレナード・ユース。レナードって呼んでほしい。ところで悪いが、もう一度名前を教えてくれないか? さっきはよく聞き取れなかったから……」
そう言って亜麻色イケメン、もといレナードは気まずそうな顔をした。
――― やはり、イケメンはどんな顔しても様になるなぁ。気まずそうな顔さえかっこいいぞ。
「小泉花です。姓が小泉で、名前が花です」
「サアナ?」
「ハナです」
「ハァナ?」
「……はい」
どうも「ハナ」とは発音しにくいようで、「ハァナ」となってしまうようだ。
――― 欧米人によくある現象だな……そもそも今、普通に言葉が通じてる方が不思議なんだけど……ま、それはきっと『神様』のオプションかな。どうやら、文字も読めるっぽいし。
部屋の隅のキャビネットの上に無造作に置いてある、数冊の本をチラリと見てそう結論付けた。文字が読めるだけで、本の内容はタイトルを見てもさっぱりわかりそうになかったが……。
頭が良くなったわけでもなく、魔力というものも全くなく、欠陥だらけの『神の使徒』である自分に、こっそり嘆息した花だった。