56.生ものですのでお早めに。
混乱した王宮の事後処理は、急ぎ戻って来たジャスティンを中心に行われた。
暴走したルークの魔力に中てられ魔力の弱い下働きの者が一名運悪く亡くなった他に重篤者が八名、重軽症者は百名を優に超えていたが、それはまだ正確な数ではないだろう。
重傷だった花の護衛達は異変に駆け付けた近衛達によってルークの魔力から守られ、幸い一命は取り留める事ができ、セレナは意識を失っていただけだった為、程なく回復し状況説明をする事ができた。
「いきなり暗闇に包まれ……それから二つの閃光が走り、その光の中で三人のローブを纏った術者がいる事がわかりましたが……私には何もすることが出来ませんでした。申し訳ありません……」
セレナは嗚咽を堪え震える自身の体を抑えようと抱きしめる。そんなセレナを駆け付けて来たエレーンは抱き寄せ慰めの言葉を紡ぐが、そのエレーンさえも静かに涙を流していた。
護衛達が回復すればまた別の話が聞けるだろうが、今はこの情報だけで答えを導き出さなければならない。幸い、近衛達の機転で術者たちの骸も残っている。
ディアンは黙ってその場から立ち去ると、ルークの気配を追い執務室へと歩いて向かった。
ルークの執務室前には大臣達が陣取り、何故入れないのかと執務室前の護衛に食って掛かっている。
それにディアンの疲れは限界に達した。
「これはお大臣達、暗愚な頭を寄せ合って何を為されているんですか?」
「な! 宰相殿、失礼であろう!!」
内大臣のドイルが青筋を立ててがなり立てる。しかし、ディアンはまったく動じずいつもの爽やかさが抜けた、ただの暗黒笑顔で続けた。
「おや、その愚鈍な頭でも己への誹謗には鋭敏なのですね。では暗愚ではない頭のあなた方に教えて頂きたい。今、この場で何を為されているのですか?」
「わ、私たちは陛下の御身を心配して……先程の事はいったい何があったのかと……」
ディアンの笑顔に気圧されたように外大臣のコーブが答えた。このドイルとコーブは常に反目し合っているが、こういう場合のみいつも手を組むのだ。
だが、その答えにディアンの笑顔は更に黒くなる。
「それで今からもう一度先程の出来事を再現しようと? わざわざ陛下の怒りを買いに来られるとはその勇気ある行動、甚だ感服いたします」
そう言うとディアンは立礼の最敬礼をした。
「な、な、な……」
ドイルは怒りに顔を強張らせ言葉を継ぐ事も出来ない様子だったが、コーブはディアンの言葉に蒼白になってドイルに帰るように促す。
「ドイル殿、戻りましょう。今は我々は必要ではないようです」
そして、ドイルを引っ張るように去って行き、他の者達も黙ってそれに続いた。その様子を黙って見送ったディアンはそのままノックもせずに執務室へと入る。
護衛達は余りにも黒いディアンのオーラに圧され、ただその場に直立不動で顔を強張らせ立っている事しかできなかった。
部屋にはルークとレナードの他に政務長官のセイン、内政長官のグラン、そして近衛のランディの五人がいた。
扉の外でのやり取りは聞こえていただろうに、皆それには触れずただ険しい顔で佇んでいる。
その中でルークは執務机の上に肘を置いて組んだ両手に顎をのせたまま、一点のみを見つめているが、それがどこを見ているものなのかはディアンには分からず、ただルークの瞳が暗く淀んだ光を放っている事にレナードと同様に嫌な記憶が蘇る。
ディアンは大きく深呼吸をすると同時に色々なものを抑え付け、それからレナードへ視線を向けた。
レナードはディアンの視線を受け、少し戸惑ったように苦笑する。
「俺は大丈夫だ。なぜかメレフィスは俺の魔力を使わなかったらしい」
その言葉にディアンは少し驚いたように片眉を上げたが、すぐにいつもの爽やか暗黒笑顔に戻った。
確かに、あれ程の力を使いながら更にメレフィスに力を与えていればレナードは今この場に立っている事など出来なかっただろう。
メレフィスのその行動は驚くべきものだったが、アポルオンの常を考えれば出来ない事はないのだろう。
『緋紺の宝玉』にしても、緋色に輝く時は持ち主に力を与えるのだから。魔宝についてはまだまだ解らない事だらけだが、今はそれが問題ではない。
「今回の事件はかなり用意周到に練られていたようです。しかもその為に少なくとも術者の四人は命を捨てています。それもただの術者ではない、恐らく王族クラスの力を持った術者達が、です」
ディアンは淡々と今回の事件の経緯についてセレナの説明に己の推測を交えながら語り出した。
「始めにハナ様達を襲った術者は三人いたようです。そのうちの一人が護衛達の足を止め、もう一人がハナ様に施された陛下の防御魔法を破断し、最後の一人がハナ様を転移魔法で地下へと連れ去ったのでしょう。そして、残った二人はその場で自害したかと?」
そう言って、ランディへと視線を向ける。ランディは肯定するように小さく頷くと、ディアンの言葉を継いだ。
「護衛達と共に倒れていた術者はいずれも魔力を使い果たしたらしくその体は枯れ果てた枝の様に衰えておりました。恐らく始めから、役目を果たした後は己の命を残った魔力で絶つ覚悟だったのではないかと思います」
花の護衛達は三人いた。騎士達の中でかなりの上位に入るその三人を相手にするには、例え王族クラスの魔術師とて全魔力を注がなければ確実ではないのだ。そして、ルークの防御魔法を破るのはそれ以上に至難だったに違いない。
また普段、気軽にルークは花を抱えて転移しているが、それさえも通常ならば容易い事ではないのだ。
「地下の部屋に残されていた術者の死体のうち一体は、ハナ様を転移させた者でしょう。もう一体は恐らく、その後ハナ様を連れ去った者……一人とは限りませんが、その者の気配を完全に消す為に働いたのでしょう」
その言葉にセインが疑問を挟んだ。
「しかし、例えその場からの気配を消して時間稼ぎが出来たとしても……こんな短時間でハナ様を連れてマグノリアを出たとは考えられない。だとすれば陛下ならハナ様の気配を追えるはずです。それが不可能なのは……」
その後に続く言葉を濁したセインだったが、言いたい事は皆に十分に伝わった。それにルークの気配が剣呑になり、ディアンはすぐに言葉を継いだ。
「いえ、それならば――」
ディアンは途中で言葉を切った。それを不思議に思う間もなく、ディアンの胸元が光り、アポルオンが姿を現す。
「あのさ、あそこに闇の魔力の気配が微かだけどあったぞ」
突然のアポルオンの登場にセインやグラン、ランディは呆気に取られたが、その言葉にすぐに真顔に戻り話に聞き入る。
「んで俺、思うんだけどさ……あの女、!?……うっ……」
アポルオンの言葉は途中で途切れた。どうやらディアンの蹴りが腹に入ったらしい。
それを堪えながらアポルオンは言葉を言い直し、続けた。
「あの……お姫様ですが、たぶん別次元に放り込まれたんじゃないかと思います」
「別次元!?」
その場にいた誰もが思わず声を上げていた。ルークでさえ、驚いたようにアポルオンを見やる。
「そう、別次元。ディアン様だって詠唱が面倒な魔法とか別次元作って放り込んでるでしょ? あれです」
「……あんなものに人を入れる事が出来るのか!?」
レナードの驚き焦った声が響く。
「さあ、人間でやった事はないけど……俺ら魔族はよく生け捕った獲物を放り込むぞ?」
「……何のために?」
「食うため」
敢えて聞いたレナードの言葉に、あっさり答えたアポルオンは再びディアンの蹴りを受けて倒れ込む。ディアンはそんなアポルオンの腹部を無言のまま右足で抑え付けた。
「グッ! つ……だって便利なんだもん! 持ち運びも簡単だし、殺してしまったら二,三日で腐っちまうけど、生きたままなら十日は大丈夫だし」
「では、今すぐお前が試しに入ってみなさい」
そう言うとディアンは己の作りだした別次元空間を開こうとした。
「ちょっ!! ちょっと待って!! むりむり!! 無理です!!」
慌ててディアンの踏み付け攻撃から逃れたアポルオンはそのまま壁まで後退る。それにディアンは訝しげに問う。
「なぜ、逃げるのです?」
「そんな、いきなり人間がやるのは無理です!! 別次元の空間ってどちらかっつうと闇の領域だし!!」
その言葉に今度はレナードが問う。
「だとしたら、ハナを連れ去ったのは魔族なのか?」
「わかんねぇよ!! この前もそうだけど、魔族がいるならすぐわかる。だけどそんな感じはしねんだよ!」
皆が考え込むように口を閉ざすなか、ルークだけが笑みを含んだような声で言葉を発した。
「アポルオン、それなら試しに私をお前の別次元空間に入れてくれ」
「なっ!?」
その場にいた誰もがルークの言葉に驚く。だが、ルークはそれに構わず立ち上がるとアポルオンへと近づく。
再びアポルオンは後退ろうとするが、壁に阻まれ怯えたように叫ぶ。
「無理だって!! そんな事出来ねえよ!!」
「何故だ? 生きたまま出て来れるんだろう?」
ルークの声は厳しいものに変わり、アポルオンを問い詰める。アポルオンは助けを求めるようにディアンを見るが、ディアンさえもルークを止める事が出来ないでいた。
それほどルークの纏う空気は冷たく近寄り難いのだ。
「別次元に入っちまったら、ルークの魔力もこっちでは途絶えちまう!! そしたら虚無を誰が抑えるんだよ!! お姫さんは大丈夫だよ!! それは保障する!!」
そう叫ぶとアポルオンは逃げるように輝き消えてしまった。
そしてその場には重たい沈黙が落ちる。
すぐにそれを破ったのはディアンだった。
「では……ハナ様は別次元に閉じ込められ、連れ去られたと考えて間違いないようですね。ここまで手の込んだ事をするのです。無事なのは確かでしょう」
「しかし、いったいなぜそこまでして……」
グランが驚愕し思わず声を洩らす。
「……間違いなくセルショナードの仕業だな」
レナードは苦渋に満ちた顔で言葉を吐き出した。
魔族でもなく、闇の力を操る術者。
不明な事ばかりだが、やはり今回の襲撃は例のセルショナード軍に加担していた謎の魔術師の集団以外に考えられない。
そしてレナードの言葉に反応したのはセインだった。
「まさか、セルショナードの国境封鎖はハナ様を連れ去る為に?」
セインの疑問に答える者はいなかった。
皆、驚きのあまり言葉を発する事が出来ないのだ。
花を取り戻すには国境を越えなければならないだろう。通常ならば、それは問題でもなんでもない。
だが国境を王の魔力によって完全に封鎖している今、セルショナードに入るには大軍をもってして入るか、強大な魔力を持つ者が穴を開け入るしかない。
それはどちらにしても国境侵犯であり、同時にセルショナードへの宣戦布告となる。
花が正妃だったならばそれも致し方ないが、一介の側室一人、しかも何の身分もなく正式に手続きも踏んでない妾一人にそこまでする事は普通では考えられない。
もちろん報復攻撃と言う名目はある。
だが再び戦を、疲弊している兵や国民に課していいのだろうか。
「これは……挑発行為に他なりません」
再び口を開いたセインの言葉は、静かに部屋に響き渡った。