52.遠慮なく頂きます。
「――今日もまたすごいですね……」
次々と部屋に届けられる貢物を見て花は驚いていた。
その花の言葉にセレナが気遣うように口を開く。
「今夜は……満月ですから」
「ああ、もうそんなに経つんですね……」
セレナの言葉に花は納得した。
送り主の名前を見れば高齢の大臣・貴族たちがかなり多い事から、暗に貢物で今夜の歌を強請っているのだろう。
花は居間の窓際にある長椅子に座って、最近の午前の日課になりつつあるシューラの演奏を始めた。
その音色にセレナもエレーンも、扉の内側にいる護衛さえも嬉しそうに聴き入る。
もちろんそれは三人だけではない。
王宮中の者達が作業の手を止め、足を止め、その音色に耳を傾けていた。
シューラから紡がれる優しい音色は、花の歌声ほどではないが皆の心を満たし魔力を補う。
あれから何度かシューラ奏者と会う事ができ、花のシューラを弾く腕はずいぶん上達していた。
最近では、シューラ奏者に花が曲を教える事もあった。
それは優しい愛の曲。
シューラ奏者によって、その曲がユシュタール中に響き渡るのはもう少し先の話。
しかし花はシューラを奏でながらも別の事に気を取られていた。
――― ユシュタールに来てから六十日か……。
この世界の月は地球と違い二十日周期で満ち欠けをする。
――― 『神様』大盤振る舞いだな……。
満月の夜にユシュタルが地上に降りて来ると言う神話と共に、皆の願いを聞き届けてくれるという言い伝えに、花はそう思ったのだ。
そして花がこの世界に届けられたのも、満月の夜だった。
――― それにしても……『神様』届けるだけ届けといて、後は放置? これが放置プレイってやつ!? いくらなんでも酷くない? ピアノがないなんて聞いてないし、無茶振り過ぎない!?
今更な怒りにわく花だった。
怒りにまかせてシューラを弾いていた為、ベロンっと嫌な音を出してしまい我に返る。
――― し、しまった……。
花は少し顔を赤くして、再びシューラを弾く事に集中したのだった。
***
その夜、花は中天に懸かろうとする月を見ていた。
窓から眺める『月光の塔』はその白壁を銀色に染めていく。
貴族達から聞いた話では、セルショナードとの戦況は益々悪くなっているらしく、花は小さく嘆息した。
戦争はみんなの心に影を落とす。
それはマグノリアだけではなく、セルショナードにも他の国にも同じように。
やはりこのままここにいる訳にはいかないのでは、とどうしようもない焦燥感が花を襲う。
――― でも、せめて今は……。
花はもう一度『月光の塔』を見つめた。
「にょ!?」
いきなり後ろから抱きしめられて、花は驚きの声を上げた。
「ルーク!?」
ルークは花の驚きを無視して花のうなじにキスをする。
「にゃにょ……!?」
驚きと同時に背中がゾクリとするような感覚に戸惑い、花は恥ずかしさに抵抗した。
それにルークが仕方ないといった様子で、花を抱きしめる腕の力を緩める。
花は少し安心して深呼吸を何度か繰り返すと、ルークに向き直った。
「ルーク、今日は早いですね」
「ああ」
そう答えるとルークはキスの為に顔を近づけてくる。
焦った花は慌てて口を開いた。
「げ、げげげ……『月光の塔』に行きたいです!!」
花の言葉にルークはピタリと動きを止めた。
「ハナ……」
少し心配そうな、それとは別の感情も入り混じったような顔でルークは花を見つめた。
それに花は困ったように微笑んだ。
「私、歌いたいです。みんなの為に、ルークの為に」
あの夜の花の歌声はマグノリア中に響き渡ったと聞いた。
それが本当ならば、『月光の塔』で歌うべきだ。
花はそう決意してルークを見つめ返す。
暫く見つめ合っていた二人だが、ルークが大きく息を吐き出すと頷いた。
「わかった」
それに嬉しそうに笑った花は、護衛をお願いしなければとセレナに声をかけようとしたが、ルークに止められた。
「いい。俺だけで大丈夫だ」
花がそれに小さく頷いた瞬間――
二人は月光の塔の『祈りの間』に来ていた。
「ルーク!? 無茶はしないで下さいって……」
「大丈夫だ」
驚きと心配で花が上げた声はルークの穏やかな声に遮られた。
花は優しく微笑むルークに、胸が苦しいほどにドキドキしてしまう。
――― ルーク……すごく綺麗。
天窓から降り注ぐ月の光がルークの白金の髪をキラキラと輝かせ、いつも金色に輝いている瞳は月の光を溶かしたように金と銀が混じり合って神秘的な光を放っていた。
そんなルークに心を奪われてしまった花は、落ち着く為に何度か深く息を吸った。
すると、体中に月の光が満ちて心が和いだ。
花は歌った、優しい愛の歌を。
その音色は、月の光と共に降り注ぐ。
花の歌声から紡がれる愛は皆を優しさで満たす。
そして胸を満たすその優しさを、皆は大事に抱え込んだのだった。
ルークは目を細めて、月光に包まれ歌う花を見ていた。
その神々しいまでの美しさは触れる事を躊躇わせる。
それなのに、触れていなければ花が消えてしまうのではないかと心配になり、今すぐ駆け寄って抱きしめたくなる。
ルークは拳を固く握り、その衝動をどうにか抑えていた。
歌い終わった花をルークは再び後ろから強く抱きしめた。
それに今度は驚かなかったが、そのまま抱きあげられてやはり花は驚いた。
「ルーク!?」
そして一瞬で寝室に戻っている事に更に驚く。
「無茶はしないでっ!?」
花の心配を含んだ抗議の声はルークの唇に塞がれる。
そのままキスを続けながらルークは花を寝台に横たえ、自分も寄り添った。
「ルーク?」
少し不安そうな声を出す花に、優しく宥めるようにキスをしてルークは囁く。
「遠慮はしないって言っただろう?」
その言葉を花が理解する前にルークは激しく唇を奪った。
そのままルークの唇は次第に花の唇から首筋をたどっておりていく。
「ま、待って……」
思わず声を上げた花に、ルークはなぜか悲しそう微笑んだ。
「悪い、無理だ」
そう言うとルークは枕の方へと後退っていた花の腰をつかみ、乱暴とも言える勢いで引き寄せた。
その仕草とは逆に、キスは優しく甘く繰り返される。
ルークの両手は花の腰から胸へとすべっていき、花が気付いた時にはドレスの胸元のリボンが解かれていた。
「……あれ?」
不思議そうな花の声に、ルークはニヤリといつもの意地悪そうな笑みを浮かべた。
コルセットなどを必要とするほどカッチリした物でもないが、夜着ほどシンプルでもないはずなのに、簡単に脱がされていくことに驚く。
そして再び激しく熱く唇を奪われた花は徐々に何も考えられなくなっていった。
この甘い時間の中で、体に伝わる小さな震えが自分のものなのかルークのものなのか、それとも二人のものなのかわからず、ただ花は力いっぱいルークにしがみつく事しかできなかった。