50.怒った時には卓袱台返し。
――― あれ?
目が覚めた花は現状に違和感を覚えた。
それが何なのかよくわからず暫く考えた後、ハッとして恐る恐る自身のお尻に手をやる。
――― よかった、漏れてない。
安心して、視線を上げるとルークと目が合った。
「ぎゃっ!!」
途端に顔を赤くしてルークの腕から逃れ、そのまま起き上がり後退して寝台の上で正座をする。
そのままルークを怒ったように見下ろした。
「陣地に入らないで下さいって言ったじゃないですか!!」
「入ってない」
「え?」
「俺は入ってない」
片肘をついて上体を少し起こしたルークの言葉に、花は現状を確認する。
「あれ?」
確かに昨晩花が定めた境界線よりルークは出ていない。
それどころか花が今現在その境界線上にいるらしい事に気付く。
慌てて花は正座姿勢のまま後退り、深々と頭を下げた。
「どうもお邪魔しました」
「……いや、構わない」
花の方を見ずに答えたルークはそのまま寝台から立ち上がり、上着の置いてある長椅子へと向かったが、その肩は小刻みに震えている。
それに花は気付かず、いつの間に枕が落ちたのかと首を捻っていたのだった。
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「今日は……いつにも増してすごいですね。」
部屋に届けられる貢物の数を見て花は呟いた。
ここ最近の貢物は以前より増してはいたが、今日は特にすごい。
しかも、届けられる物の全てに呪などが施されず、純粋に贈り物らしかった。
もちろん、カイル達が判断できる範囲での事だが。
「はい。それと同時に面会の申し込みも非常に多いのですが、どうされますか?」
セレナの言葉に花は悩んだ。
正直なところ、体は本調子ではないのでゆっくりしたいという気持ちもある。
しかし昨日、一昨日とも面会を断り部屋に籠りきりだったし、昨日ルークからなぜあれ程の怒りを感じたのか知りたい気もした。
――― セルショナードの事も気になるし……。
結局花は、幾人かの大臣・貴族達と会う事にしたのだった。
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それから三日続けて大臣・貴族達と面会したが結局、ルークの怒りの理由はわからなかった。
それでも花が原因だろうと言う事が何と無くわかり、花は落ち込んだ。
貴族達には、以前のようにあからさまに歌を強請られなくなったばかりか、妙に気遣われるようになっていた。
それどころか、貴族達だけでなく王宮全体が花に気遣っているようで落ち着かないのだ。
このままここにいていいのか、そんな不安が花を襲う。
そして、ルークの態度に最近どこか距離を感じる事で益々その思いを強くしていた。
「最近、やけに熱心にユシュタールの地図を見ているんだな」
長椅子に腰かけて、本サイズの地図帳を見ていた花にルークが声をかけた。
「知らない事ばかりだから面白くて。私はマグノリアの他の街どころかまだサイノスの街にも行った事ないですから」
何気なく答えた花だったが、ルークは花の言葉に酷く辛そうな顔をした。
「ハナは……王宮から出たいか?」
「いえ……あの……ルークはお出かけになったりしないんですか?」
上手く答える事が出来ずに、花は濁してしまう。
それにルークは気付かない振りをして、花の質問に答えた。
「今は、王宮から出たくても出られないな」
「え?どうしてですか?」
ルークの返事に驚いた花だったが、続く言葉に更に驚く。
「この王宮に皆の魔力が満ちているのは知っているか?」
「はい」
「その中には歴代皇帝の魔力も含まれている。特に初代皇帝ヴィシュヌの力は非常に強い。俺は今、それらの力に補われているからユシュタール全土へも力を配する事が出来る。だが王宮から出ればその力を維持する事は難しいだろうな」
歴代皇帝達の恩恵とも言えるその力は、直接補うものではなく魔力を生成する力を補うものらしく、またその恩恵は皇統に近い者にしか与えられないらしい。
しかしその話からすると、ルークはもう何十年もこの王宮から出ていない事になる。
この鬱々とした気が滅入るような場所から。
「ルーク……」
花は思わず心配そうにルークを見た。
ルークは何でもないといった様子で、花の寝室に最近持ち込んだ書類に目を通す為の椅子に座って書類に目を落としている。
「もしハナが、この王宮から出たいのなら出してやる事もできる」
「ルーク?」
突然の言葉に花は驚くが、ルークは書類から視線を外すことなく続ける。
「後宮に入った者は一生出られないわけではない。たまには実家へ帰る事も許されている。ハナに実家はないだろうが、セインにでも後見につかせれば街にあるセインの屋敷に滞在する事もできる」
花は何と答えればいいのか解らなかった。
確かに王宮の外には興味があるし、自分の使命を考えればこのまま王宮に閉じ籠ったままでいられないのも事実だ。
だけど……。
「ルークは……私が傍にいない方がいいですか?」
少し悲しげに聞いた花の言葉はすぐに否定された。
「違う!!」
ルークは書類が散るのも構わず勢いよく立ちあがる。
「違う……そんな訳ないだろう!? そんな……」
上手く言葉を継ぐ事ができない様子で苦しそうにルークはその場に立ち尽くした。
そんなルークに花は少し躊躇いながらも近づく。
「確かに王宮の外に興味はあります。でもそんな事どうでもいいんです。私はルークの傍にいたいです」
その花の言葉にルークは何とも言えないような顔をする。
そしてルークは苦しそうに言葉を吐いた。
「ハナ、俺は始めにお前の意思を無視して勝手に側室という立場に置いた。それによって貴族達から嫌がらせを受けるだろう事も、命を狙われる事さえもわかっていたのに。ただ、面白半分にだ。それがどんなに傲慢な事だったか、今更わかったところでお前に傍にいて欲しいなんて言えるのか?好きになって欲しいなんて……」
突然のルークの告白に花は驚いた。
しかしそれと同時に悲しかった。
今まで伝えてきた花の気持ちがルークに伝わっていなかったのかと思いながらも、もう一度伝える。
「私はルークが好きです」
「ハナ……」
花の告白にルークは少し悲しそうに微笑む。
それに花は段々と腹が立ってきた。
「ルークは間違ってます! もし今ここに卓袱台があったら私はひっくり返してます!!」
「ハナ?」
花の予想外の怒りに驚くルークだったが、花はそれには構わず続けた。
「だって、私は不審人物でした! あの時、本当なら牢に入れられても、殺されても文句言えない立場でした! 良くて王宮から追放です! そうしたら私は生きて行く為に何をしないといけなかったか!! それなのに側室なんて破格の扱いです!! 面白半分でも何でも私は救われたんです!!」
勢いよく告げた花は息継ぎの為に一呼吸置いた。
ルークはそんな花に呆気に取られている。
そうして、花は少し落ち着いて話を続けた。
「もちろん、衣食住を保証してくれたからルークを好きになった訳じゃないです。それだったらレナードを好きになってます。だってレナードの方が優しいし、どう考えても常識人ですよね。でも私が好きなのはルークなんです。例えルークが意地悪で傲慢で変態でも、私はルークが好きなんです!!」
最後の告白に力を入れてルークを睨んだ花だったが、ルークの顔を見て毒気を抜かれた。
「なんで笑ってるんですか?」
肩を震わせ、笑いを堪えた顔のルークは震えた声で言った。
「すごい言われ様だな、俺は」
「だって……事実ですから」
拗ねた調子で言う花に、ルークは堪え切れずに遂に笑い出した。
一通り笑った後のルークの瞳には少し涙が滲んでいる。
ルークの笑いに驚いたような、それでも拗ねたような花をルークは抱き寄せた。
「悩んでいるのがバカらしくなったな」
その言葉に花は嬉しそうに同意する。
「はい、バカです」
「……そうか」
そう言ってルークは花に軽くキスをした。
そしてニヤリと笑う。
「じゃあ、もう遠慮はいらないな」
「はい?」
言葉の意味がいまいち飲み込めない花に更にルークは意地悪そうに笑って言う。
「もう遠慮はしないから、覚悟しとけよ」
そう言ってルークは花の耳に軽く噛みついたのだった。
**********
「……ガーディ、お前はわざわざ己の失敗を報告に来たのか?」
真っ暗な闇の中に響くその声にはなんの感情も感じられない。
ガーディと呼ばれた男はそれには何も答えず、ただ床に頭を擦り付けんばかりに平伏していた。
そしてしばらく続いた沈黙を破ったのはガーディだった。
「クラウス様、ご報告したい事がございます」
「申せ」
それから、二人の男の会話は暗闇の中で続いたのだった。