49.男心と女の事情。
別の意味で少し血生臭いのでご注意ください。
「やっぱり……」
便座に座ったまま、花は呟いた。
下腹部にズシリとした鈍痛には覚えがあったのだ。
月のものが来てしまった。
地球にいた頃から考えても二か月以上来ていなかったので、環境の変化によるストレスのせいだろうと思いつつ心配はしていたので花は安堵した。
――― それにしてもどうしよう……。
暫く考えたが、やはりセレナ達に相談するしかなく、恐る恐るトイレから出たのだった。
ただ、最新式のトイレの事を考えると実は意外と心配の必要がないのではないかと思いつつ。
――― 羽つきがあったらいいな。
と、呑気に考えながら。
しかし、例えトイレは最新設備でもそれを伝授したという『サトウ』さんは、日本人かどうかの問題以前に男性だったのだ。
よって、花の期待は見事に打ち砕かれた。
「――これですか……」
「はい」
それは昔の生理用品そのままといった感じの、布を何枚か重ねてその間に綿が入っているような物だった。
――― も、漏れる……確実に漏れます!!
花は一日目の夜から二日目にかけてかなり量が多いのだ。
幸いなことにその後は少量になり大抵五日程で終わるのだが。
地球の現代科学の最新技術を駆使した? 超吸収熟睡ガードでも油断すれば大変な惨劇になるのにと、焦った花だったが、次のセレナの言葉に救われた。
「ハナ様、これに浄化魔法を施しますので暫くお待ち下さい」
「え? 浄化魔法!?」
なんでも、先に浄化魔法を施しておけば漏れも臭いもなく、常にサラサラ快適で過ごせるらしい。
「浄化魔法ってなんて便利な……」
再び便座に座った花は呟いた。
そして何の魔法も使えない花がこの世界で生きて行くにはやはりみんなの助けが必要な事に少し落ち込む。
その後、生理痛の為、花は絶対にルークには知らせないようにとお願いし、少し休むことにしたのだった。
*****
「今、何か申したか?」
再び静かな声で問いかけるルークの言葉に応える者はいない。
その場には恐ろしいほどの緊張感が漂うだけである。
今やルークの怒りは議場だけでなく王宮中に伝わり、その激しい怒りに魔力の弱い者は体に変調を来す程であった。
議場内で直接ルークの怒りを受けている者達は皆、呼吸も儘ならない程の圧迫感に苦しんでいる。
その中で政務長官のセインが皇帝であるルークの勘気を被る覚悟で、この場をなんとか取り成そうと発言する為に、痺れるような重い体を持ち上げた。
*****
一時間程眠り、目が覚めた花は異変に気付いた。
――― ルーク?
花に魔力などわかる訳はないのだが、王宮を取り巻く魔力が変わった気がした。
それは、ピリピリと肌を刺すようでルークの怒りを感じる。
急いで身支度を整えて、花は居間へと向かった。
――― ルークは大丈夫なのかな?
花は心配になった。
しかし、部屋にいるセレナやエレーン、カイルも何事もないようにしているので、少し安心する。
何か大変な事が起これば、知らせは来るはずだ。
窓から見渡しても王宮に何事か起きた気配は感じられなかった。
ただ、ルークの怒りが感じられるだけなのだ。
「ルーク……」
花は小さく呟いた。
本当は今すぐルークの傍に行きたいが、それは許されない。
何があって怒っているのか、苦しい思いをしていないか、花は心配で胸が詰まりそうになる。
だから花は歌った。
音楽はいつも花を慰め癒してくれる。同じ様にルークも癒してあげたい。
花はルークに気持ちを届けるように歌った。
ルークに届くように、ルークだけの為に。
ルークには笑っていて欲しい。幸せでいて欲しい。
ルークが好き、大好き。
花の気持ちをのせた歌は優しく王宮に響き渡った。
***
セインが覚悟を決め重い体を持ち上げた時、ガラスの砕け散った窓から花の歌声が舞い込んできた。
それは優しく宥めるように、また深い愛情に包まれるような心地よい音色。
その歌に呼応するかのように議場に、王宮に満ちる魔力が、ルークの怒りが穏やかになっていった。
「おお!」
議場の皆が聴き入る中で、驚嘆するような声が小さく上がる。
「ああ……」
その声に共鳴するようにいくつか上がったその声の主たちは己の体に起きている奇跡に信じられない思いだった。
先程の、ガラスの破片を浴びて傷付いた体が癒えていくのだ。
それはゆっくりとだが、体に刺さった破片を押し出し傷が塞がっていく。
「なんと……」
他の者達もその奇跡に驚きの声を上げる。
ルークはそれを目にしながら小さく息を吐き出した。
やがて花の歌が終わると共に奇跡も終わりを迎える。
しかし、その場は驚きと喜びの興奮に満ちていた。
「本日の会議はこれまでと致しましょう」
宰相であるディアンの凛とした声が議場に響く。
いつもの通り、まだ何も決議に至っていないのだが、これ以上の議論が不可能な事は明白だったからだ。
怒りを収めたルークは、ディアンの言葉と同時にその場から消えた。
それに、その場にいた者達は安堵し喜んだ。
『ハナ様が陛下の怒りを鎮めて下さった』と。
*****
「ルーク」
突然現れたルークに驚く事なく、花は嬉しそうに笑った。
歌い終わって、ルークの気持ちが落ち着いている事に花は安堵し、更に現れたルークの顔を見て安堵する。
そしていつもの様に、ルークに抱き寄せられキスを受けた。
セレナ達はルークが現れた時点で姿を消している。
ルークが再びキスをしようとして、花はハッとした。
「ハナ?」
いきなりルークの腕から抜け出して距離を取った花にルークは驚いて声をかける。
「来ちゃダメです!!」
酷く焦った様子の花にルークは心配して近寄ろうとしたが、花は更に逃げるように距離を取った。
「臭うんです!!」
「ハナ? 何を言って……」
自分の発言にパニックになった花は、更にとんでもない事を口走ってしまう。
「女の臭いがするんです!!」
恥ずかしすぎる自分の言葉で限界に達した花は、半泣き状態でトイレへと駆け込んだ。
その場に茫然としたルークを残したまま。
花の言葉を誤解したルークは、まったく身に覚えのない事にどうすればいいのか解らず、暫くその場に立ち尽くしていたのだった。
***
その夜、花は悩んでいた。
『漏れない、臭わない』と聞いてはいたが、やはりルークと一緒に寝る事が躊躇われていたのだ。
そこでルークが現れた時にお願いした。
「ルーク、今日は別々に寝ませんか?」
「なぜ?」
花の言葉にルークは驚いたような、少し傷ついたような顔をする。
その顔に花はそれ以上何も言えなくなった。
「いえ、今のは冗談です」
後悔と共にそう言うと、花は寝台に上がった。
そこで、ふと閃いていそいそと作業を開始する。
そんな花を不思議に思いながら、ルークは手元の書類に目を落とした。
「ルーク」
声を掛けられて視線を上げたルークは、寝台を見て眉を顰める。
「何だ、それは?」
寝台の真ん中は枕が置かれ、二つに区切られていた。
「ここからこっちが私の陣地で、そっちがルークの陣地です。今日は私の陣地に入って来ないで下さいね」
「……」
「ね?」
驚き半分、呆れ半分で言葉に詰まったルークに、花は真剣な顔をして念を押す。
ルークは大きく息を吐き、同意した。
「わかった」
それに安心したように花はニッコリ微笑んで、自分の陣地で横になった。
すぐに花の静かな寝息か聞こえて来る。
暫く書類に目を通した後、寝台に入ったルークは枕を床に落とし花を引き寄せた。
自分の陣地に。
そして花をしっかり抱きしめて眠りについたのだった。
花の心、ルーク知らず。なのか。