39.お月見には団子。
相変わらず、馬鹿馬鹿しい内容で会議は進んでいく。
この儀礼的とも言える悪しき慣習を早々に是正して名ばかりの大臣たちを廃しなければ、この国はセルショナードとの戦に関係なく、内側から腐り落ちるだろう。
ルークは冷めた目で大臣たちの訌争を見ながら、物思いに耽っていた。
その時、ふと花の歌声が聞こえたような気がした。
――― ハナ?
ルークは立ち上がり、引き寄せられるように窓辺へと行った。
そんなルークの行動に、一瞬にして静寂に包まれた議場にも花の歌声が響く。
そして皆、同じ様に窓辺へと寄って行く。
窓の外は、眩いばかりの月の光に包まれていた。
月光が舞い踊っているかのように輝き、そして降り注ぐ。
歌声は耳に聞こえるよりも心に響き、その歌声に、心の中に光が灯るような温かい気持ちが生まれてくる。
悲しみが、憎しみが、癒されていく。その心地よさに皆、涙した。
花の歌声は、王宮に、サイノスに、マグノリアに響き渡る。
皆が家から外に出て、天を仰ぐ。
そして、その優しい天上の音楽はサラスティナ丘へ、センガルへと降り注ぐ。
それはマグノリアの民だけでなく、セルショナードの兵士たちへも同じように。
***
ルークは『月光の塔』へ飛んだ。
花の許へと。
もう何十年も足を踏み入れる事のなかった『祈りの間』は、優しい光に包まれていた。
ルークが現れた事にも気付かず、セレナも護衛達も涙を流し、ただ花を見つめている。
花はひと際、眩い光の中で歌っていた。
その姿はまるでユシュタルに祝福を受けているかのように、光輝を纏っている。
ルークはその神々しいまでの花の美しさに心を奪われた。
またルークのあとを追って現れたレナードも、ディアンも同じようにその姿に心奪われ、見入るのみ。
やがて光り輝く美しい時間は、花の歌と共に終わりを迎えた。
しかしその場にはそのまま優しい静寂が満ちる。
そしてそれは、花によって破られたのだった。
*****
花は歌に心をのせ、癒しをのせて歌う。
――― どうか悲しまないで、苦しまないで。
そして無残に命を奪われた者達へ祈りを込めて歌う。
――― 苦しく、悲しく、悔しかったでしょう。でも、どうか安らかに天国へ。
歌は花の心のままに人々を癒し、御霊を導く。
歌い終わった後も暫く花は、その場で祈りを捧げた。
そして、あまり皆を待たせてはいけないと思い振り向いたのだが……。
「どぎょっ!!」
驚きのあまり奇声を発してしまった。
――― な……なんか増えてる!?
花が振り返ったその場には、当初からいたセレナと護衛四人だけでなく、ルーク、レナード、ディアン、そして更にセインや他の大臣たちがいた。
セインは歌が終わるや我に返り、ルークのあとを追う為に詠唱し転移魔法で『祈りの間』へとやって来た。
そんなセインの行動に我に返り、転移魔法が使える者は皆次々とここへやって来ていたのだ。
――― こ、こういう場合どうすれば……?
焦った花は、とりあえず猫をかき集めてかぶり、ニッコリ微笑んで言った。
「皆さまお揃いで……お月見ですか?」
――― ってちがうでしょー!! みんな、お団子持ってないし。いや、そういう問題じゃない。うはー!! みんな引いてる、引いてるよ!! 戻って来てー!!
皆が呆気に取られているのは花の言葉のせいではないのだが、花はそれに気付かない。
そして、一番に戻って?来たのはやはりルークだ。
花に近づくと、いきなり抱きしめキスをした。
――― も、戻って来すぎっす!! 近い! 近いっす!!
パニックに陥っている花の思考はルークには伝わっているはずなのに、ルークのキスは激しさを増していく。
「あ……」
花の思考は深まるキスと共に深く沈んでいき、何も考えられなくなる。
呼吸さえも儘ならず、力の抜けていく花を抱きしめたまま、ルークは大臣たちに告げた。
「会議は一時中断する」
そして、花を抱えたままその場から消えた。
*****
二人は花の寝室に移動した。
と――
「ぎゃあああああ!!」
我に返った花は悲鳴を上げた。
「ハナ……」
呆れた声を出すルークに向き直り、花は睨みつける。
「ルーク!! なんであんな事するんですか!?」
「あんな事とは?」
何かを諦めた様子のルークは、エレーンにお茶の用意をするように言うと、花の質問に聞き返しながら長椅子に腰を掛けた。
そんなルークの前に仁王立ちになり、花は答える。
「みんなの前で、キ・キキ、キスをした事です!!」
「なんだ、そんなことか」
日本人の花にとって人前でキスをする事にはかなり抵抗があるのだが、ルークの気にも留めていないような素っ気ない返事に、花は腹を立てた。
「そんなことじゃないです!! 人前でキ、キスするなんて、お天道様が許しても私が許しません!!」
「……あのまま、あそこで押し倒しとけばよかったな」
ポツリと呟くようなルークの言葉に、花は驚く。
「にゃ!! にゃな、なにを言ってるんですか!?」
「……」
焦って呂律の回らない花の言葉に、ルークは自身の額を右手で覆うと目を瞑り、大きく息を吐き出した。
「ハナ……とりあえず、お茶でも飲んで落ち着け」
その言葉と同時にエレーンがノックをしてお茶を運んでくる。
エレーンはお茶をカップに注ぐと何も言わずに下がったが、その瞳は涙に濡れていたようだった。
長椅子に並んで座り、暫く黙って二人はお茶を飲んでいたが、ルークの呟きが沈黙を破った。
「参ったな……」
「何がですか?」
花は不思議に思って訊いた。
「ハナの力のことが皆に知れてしまったな」
「はい?」
突然の言葉に花は訊き返す。
「まだ一部の者しか知らないが、あの奇跡のような出来事はハナの歌の力だと、すぐに広まるだろうな」
「……まずかったですか?」
心配そうにする花をルークは抱き寄せた。
花はこれから今まで以上に多くの者に狙われるだろう。
今までの『マグノリア皇帝の寵妃』と言うだけの利用価値が、花自身の『癒しの力』が知れ渡る事によって大きく変わる。
ルークには皆の心が癒され落ち着くと同時に、皆の魔力までもが上がった事を感じていた。
もちろん皆、己自身の事にはすぐ気付くだろうし、力のある者なら他者の事にも気付くだろう。
花はまるで『賢者の石』のように多くの者が欲望を掻き立てられ探し求める存在になるだろう。
人間の欲望は際限がない。
欲を満たす為には平気で他者を傷付け、その事を厭わない者が数多くいることをルークは十分に知っている。
花がそんな者達の醜い争いに巻き込まれると思うと、どうしようもない嫌悪と焦燥に襲われた。
「ハナは俺が守る」
誓うように呟いたルークに、花は微笑んだ。
「私もルークを守ります」
同じ様に誓った花にルークは苦笑する。
そして感謝するように優しくキスをしたのだった。




