38.天上の音楽。
センガルの凶報はマグノリアに暗い影を落とした。
王宮に仕える者達の中にもセンガルやその近辺出身の者がいるらしく、泣き崩れる者や、家族知人の無事を確認する為に右往左往する者もいた。
逃げ遅れた女子供まで容赦なく殺されたのだ。
皆の心に悲愴感と共に絶望が襲う。
そして、今まで以上に強い憎しみが生まれる。セルショナードにも同じ苦しみを、と。
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花は寝室でシューラを弾いていた。
まだ指がぎこちなく、ゆっくりゆっくりと。
昨晩、ルークは現れなかった。花が『側室』になってから初めての事だ。
シューラを置いて、花は窓辺へと足を向け、外を眺める。
曇天の空の下、帝都サイノスは悲しみに包まれているようだった。
マグノリアの民の憎しみと絶望が、花にさえ伝わってくる。
――― ルーク……。
花はルークを想った。
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議会はこれまでにない程、紛糾していた。
なんの結論も出ないまま、少しの休憩を挟んで一日以上も続いている。
ただ、訌争しているだけなのだ。
――― なぜ、こんな時にこんな茶番に付き合わなければならないんだ!
レナードは焦れる気持ちを抑え、視線だけ動かして周りを見やる。
皆、疲労の色濃い顔をしている。
ディアンは相変わらず考え込んでいるように目を瞑っているが、本当は寝てるんじゃないかとレナードは疑った。
大臣たちは怒鳴るように発言しているが、何の意味も為さない内容だ。
――― やはりディアンの言う通り、さっさと始末しとけば良かったか……。
そんな危ない事を考え出したレナードもやはり疲れているのだろう。
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ルークは疲弊していた。
ここ毎晩、眠ると襲ってくる負の感情を花が癒してくれているのは気付いていた。
しかし今、ただ無意味に流れるこの時間にも、ルークを苛むような感情は流れ込んでくる。なんとか制御するのだが、気を抜くと再び流れ込んでくる。
それ程に、マグノリアは負の感情に覆われているのだ。
昨晩、少しの休憩時間に花の寝室へ行くと、明かりを煌々と灯したまま花は眠っていた。
起こさないように頬にそっとキスを落とし、再び窮屈な会議へと戻った。
――― ハナ……。
ルークは花を想う。
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「ハナ様、本日も陛下はお越しになられないそうなので、お気になさらずお休みなさるようにと」
セレナが気落ちした様子で伝える。
花はそれを微笑みで受け止め、皆に心配をかけないようにした。気がつけば、花の腕時計は二十一時を回っている。
花は窓から、王宮のルークがいるであろう謁見の間の方向を眺めた。
王宮もサイノスの街も悲しみに包まれているようだ。
その時、雲間から隠れていた月が顔を覗かせた。
――― 満月……。
花はその美しい光に心を奪われた。
月光が王宮の端に聳え立つ塔を白く浮かび上がらせ、輝かせている。
――― 『月光の塔』
花は王宮の案内をしてくれていた時のジャスティンの言葉を思い出した。
「セレナ、私『月光の塔』に行きたいです」
「ハナ様? まさか今からですか?」
「そう、今すぐに」
花の突然の我が儘な発言にセレナは驚いた。
しかし普段、花がこのように我が儘を言う事はなかったので、戸惑うと共に叶えて差し上げたいと思う。
「ハナ様、暫くお待ち下さい。手配して参ります」
そう言ってセレナは部屋を出ていった。
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花は『月光の塔』の最上階に来ていた。
側にはセレナといつもの護衛の二人、それにルークの近衛である、始めてこの世界に来た時に会った、ランディとアレックスもいた。
花は天を仰ぐように顔を上げた。天窓からは月光が優しく降ってくる。
ここは『祈りの間』。
創世神ユシュタルは月の光を好み、満月の夜にはユシュタールの地に降りてくる。
それはこの世界に伝わる神話。
「……ですから、人々は満月の夜に祈りを奉げるのです。ユシュタルの為に、己の為に。この『月光の塔』では、代々の皇帝陛下や皇族の方々が祈りを捧げてこられました。そしていつしかこの部屋は『祈りの間』と呼ばれる様になったのです」
そんなジャスティンの言葉を思い出し、なぜかここへ来なければと思ったのだ。
そして、ここへ来てわかった。花が今すべき事が。
この部屋は今、『神様』の力で満ちている。
花は悲しみに満ちた王宮を、街を見渡す窓へと近づく。
窓を開けると直接、優しい月の光が花に纏う。
目を瞑り、大きく息を吸った花の体に月の光の力が、『神様』の力が満ちた様だった。
花は歌った。
心からの歌を、鎮魂歌を。
その歌声は月の光となって、マグノリアに降り注ぐ。
見上げれば、キラキラとまるで月の精が舞っているかの様に光り輝く。
そして、その光は優しく皆の傷ついた心を癒す。
悲しみが癒えていく、憎しみが消えていく。
これほどの優しい歌声を今まで聴いたことはなかった。
それはまるで、天から降り注ぐ、天上の音楽。
花の歌声は、天上の音楽となってマグノリアを優しく包んでいったのだった。




