30.見た目に騙されるな。
「申し上げます! 本日未明、セルショナードの軍勢がサラスティナ丘の国境を超え、帝国領内に侵攻を開始しました!」
息を切らしながら報告する武官からは、疲労と焦燥が感じられる。
恐らく魔力を馬に与えながら、一晩中馬を走らせてきたのだろう。サラスティナ丘からここまで、普通に馬を走らせて三日はかかる。
その武官からもたらされた知らせに、議場は大騒ぎになった。
「馬鹿な! 何かの間違いでは!?」
「卑劣な!」
「そんなもの、すぐに叩きつぶせばよい!!」
皆が各々に口を開き、近くの者達と話し始める。
「お静かに!」
そこへ、宰相ディアンの声が響き渡った。
途端、場はシンと静かになる。そして、ディアンは武官に問い質す。
「セルショナード軍の数は?」
「は! 恐らく、歩兵三千、騎兵二千のおよそ五千かと」
「五千!?」
一人の大臣が驚愕のあまり洩らした声からまた、場は騒然となる。
「サラスティナに駐屯している兵は確か、三百だったんじゃないか?」
「セルショナードは本気で帝国に戦を仕掛けて来たのか!?」
皆が信じられないといった様子だ。
だがそれも、当然かも知れない。
マグノリア帝国は、ユシュタール創世とほぼ同時に、創世神ユシュタルの祝福を受けた一人の男、ヴィシュヌが建国した国だ。
ヴィシュヌは強大な魔力によってユシュタール全土を統治し、マグノリアは帝国と呼ばれるようになった。そしてユシュタールと共に順調に発展を遂げてきた。
それから十代ほど後の皇帝が広がりすぎた帝国を分割し、皇子達に治めるよう、それぞれに分け与えた。
それが今の、一帝国・七王国となっている。
今まで何度か、七王国同士の戦はあった。しかし、未だかつて、帝国に戦を仕掛けて来た国などなかったのだ。
しかも今、マグノリア帝国皇帝を失うようなことがあれば、ユシュタール自体を失いかねないというのに。
――― セルショナードの王はいったい、何を考えているのだ?
その場の誰もが、疑問に思った事だった。
**********
「かわいい!」
花は思わず声を上げた。
セレナ達と花は今、貴族からの貢物の選別をしていた。昨晩、ルークに安全を確認してもらった物だ。
その中に、ウサギのような形をした動物のぬいぐるみが入っていたのだ。
今までドレスや宝石、お菓子などは貰ったが、ぬいぐるみは初めてであった。
「まあ、本当に」
「かわいいですね」
セレナとエレーンが同意の声を上げる。やはり、女性はかわいい物が好きだ。
そのぬいぐるみは、ありがたく貰うことにし、花の寝室にある書き物机の上に飾った。
***
夜の刻に入って随分経った頃、ルークが寝室に現れた。
花は寝台に座り枕に背を預けて本を読んでいたが、ルークの姿を見て本を閉じる。
「ハナ、俺を待たずに、先に寝ろと言っただろう?」
「この本の続きが気になって、眠れなかったんです」
そう言ってニッコリ微笑んだ花は、『世界魔物大図鑑』をサイドチェストに置いた。
「ハナ……」
ルークは呆れたような、困ったような顔で微笑んだ。
セルショナードが帝国に侵攻を始めてから三日が経っていた。ルークはそれ以来、朝早くから、夜遅くまで執務に追われている。
――― せめて、起きて待っていたい。
花にできる事は、疲れたルークに癒しの歌を歌うくらいしかできないのだから。
そんな花の気持ちはルークの心を温かくする。
その時、ふとルークは違和感を感じた。
――― なんだ?
その違和感を探ろうと、注意深く部屋を見回す。
そして机の上にある、ぬいぐるみに目を止めた。
「ハナ、それはどうしたんだ?」
ルークの質問に、花は「それ」を視線で追う。
「ああ、サルト伯爵から頂いたんです。すごくかわいいので、ここに飾っておきたくて」
嬉しそうに花は答えた。
「サルトから?」
ルークは不審気に机に近づくと、ぬいぐるみを手に取り、顔を顰めた。
「ルーク?」
ルークの態度に花は不思議そうにする。
「ハナ、これには呪が掛かっている。かなり巧妙に掛けてあるから、昨晩はどうやら気付かなかったらしい。すまない」
その言葉に花は驚いた。
「呪ですか!?」
「ああ、これをこのまま側に置いておけば、普通の者なら体調を崩し、そのうち寝込む事になるだろうな」
「ええ!?」
ルークから聞かされた事に花は青ざめた。
「ハナ、心配しなくてもお前は大丈夫だ」
「え? なぜですか?」
花はルークの確信に満ちた言葉を不思議に思った。
「普通の者と言っただろう? お前は普通じゃないから大丈夫だ」
「えええ!?」
ルークのひどい答えにショックを受けた花だったが、ルークは笑いながら続けた。
「これは魔力のある者にしか、作用しない呪だ」
「魔力に?」
「ああ、だから全く魔力のないハナには効かない」
その答えに納得するも、花はハッと気付いた。
「だったら、ルークには良くないじゃないですか!!」
花は慌ててルークから、そのぬいぐるみを奪うように取り上げた。
それにルークは笑う。
「心配ない。俺はそれぐらいの呪じゃ堪えない。サルトもそれは分かっているはずだ」
「でも!――でも、全然大丈夫なわけじゃないんですよね? そんなのダメです!!」
――― 今、ルークは大変な時なのに!! こんな……。
花は怒りのあまり体が震えた。
そんな花にルークは安心させるように優しく言う。
「ハナ、心配するな、大丈夫だから」
「……このぬいぐるみ、すぐに処分して大丈夫ですか?」
処分することによって、変な魔法が発動したりしないか心配して花は訊いた。
「ああ、大丈夫だ。明日、セレナに言って――ハナ!?」
ルークの言葉は、花の行動によって途切れ、驚愕に変わった。
花はルークの「大丈夫」の言葉を聞くとすぐに、ぬいぐるみを暖炉に投げ入れたのだった。
あまりの出来事に、ルークは呆気に取られた。
「……」
先程まで、花が「かわいい」と言っていたぬいぐるみが真黒に焼け焦げていく。
「私、怒ってるんです!」
「ハナ……」
「この部屋でルークは過ごすのに! それなのに、こんなものを贈ってくるなんて!! 例え、ルークにとって大した事ではなくても、私には大した事なんです!!」
「ハナ」
ひどく怒って顔を紅潮させた花をルークは抱きしめ、宥めるように優しくキスをする。
ルークは花の気持ちが嬉しかった。
「にしても、ぬいぐるみにはかわいそうなことしたな」
そう呟いたルークに花は答えた。
「大丈夫です。ちゃんと、ぬいぐるみの為に祈りましたから」
「なんて?」
「『成仏しろよ!』って」
「……」
花の世界の祈りの言葉は、ずいぶん高飛車だな、と思ったルークだった。




