29.猫に鈴、犬に首輪。
――― くそー! ルークの変態!!
花は俯いたまま自身の膝の上に乗せた左手の甲に付いている歯形を見ながら、心の中で悪態を吐いていた。
そしてチラリとルークを窺う。
と、ルークと目が合い慌てて逸らす。
***
先程広間へ戻る時に、花は転移魔法について聞いたのだが、転移する時に別の者も同時にというのは、かなり魔力を使うらしい。
「もう、こんな無茶なさらないで下さいね」
後ろにいるルークの近衛騎士たちに気を使いながら、花は心配そうに言った。
その花の言葉に、ルークはあっさり返した。
「そうか? 俺は別にあの場でもよかったんだが、ハナが嫌がるだろうと、わざわざ移動したんだがな」
「え!?」
それ以上、花は言葉を発する事は出来ず、ただ心の中で悪態を吐くに止めた。
***
――― 何がよかったのよ!? 何が!! しかも噛みつく!? 耳だって噛まれたし、犬!?……狂犬ルークめ!!
花は俯いたまま相変わらず心の中で悪態を吐きながら、ルークに新たな名前を付けていた。
――― 狂犬ルーク……誰か、鈴……いや、首輪だ! だれか首輪をルークにつけて!! でも、ルークに首輪……なんか倒錯的じゃない!? うわー。しかも……。
花はまた、チラリとルークの方を窺う。ルークの両隣りにはレナードとディアンが座る。
――― なんなの!? あの三ショット!! 乙女の夢!? くはー! ごちそう様!! お腹いっぱいです。イケメン王国万歳!! デザートはやっぱり、ルークの首輪……くは。
先程までの怒りはどこへ行ったのか、それとも心の中で仕返しをしているのか、花の思考は段々と危ない方向へ向かっていた。
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食事が終わり、本格的な酒宴になる頃、いよいよ楽師たちが入室してきた。
――― ドキドキする。
花は瞳を輝かせていた。
それを満足そうにルークが見ている事にも気付かずに。
そして、広間に入室してきた幾人かの男たちの手にある楽器に花は注視した。
――― 小鼓、マラカス、タンバリン、横笛、コンガ……ギター?
花はそのギターのような楽器を凝視した。
――― ギターとは、少し違う……リュート?……ビウエラ?
ビウエラはギターに良く似た形をしているが、ギターの中心にある丸い空洞がない弦楽器だ。
もし、あれがビウエラならば……ギリシア神話に登場する吟遊詩人オルフェウスの楽器だ。冥府の者達をも魅了する才を持つ者の楽器。
これが何を意図するものなのか。
花は心が高揚するのがわかった。
なんとか心を落ち着けて、もう一度、楽師たちを見やると。
――― おお!! 踊り子さんたちもいる!
花は食い入るように見てしまった。
――― 楽器……楽器も大事だけど、こっちも大事な気がする、女として!
踊り子さんたちは、いわゆるアラビアン風の扇情的なものではなく、どちらかと言うとフラメンコダンサーのようなドレスだ。
みんな美人で女の色気が滲み出ている。
そしてリーダーらしき人物の口上が終わり、演奏が始まった。
「あれ?」
思わず花は声を漏らしてしまった。予想していた曲調と随分違ったからだ。
予想していたのは、踊り子さんたちの衣装から、なんとなくフラメンコのような激しさの中にも、少し哀愁漂うようなロマ音楽。
それが、イメージ的にはサンバ、あるいはマンボのような、色々ミックスされた陽気な音楽だった。
そしてそれに合わせて楽しそうに踊る、踊り子達。
最初は呆気に取られていた花だったが、次第に同じように明るく楽しい気分になってくる。それは、他のこの場にいる貴族たちも同じようだった。
笑顔を振りまきながら躍る、踊り子達は、たまにチラリチラリと艶っぽい流し目を向ける。
その視線のほとんどは上座に座る三人、特にルークに向けられているのがわかった。
――― 踊り子さんたち、みんな美人だなぁ。
花はそんな事を思いながらも、その視線の先にルークがいる事に、チリリと胸が少し痛んだのだった。
結局、予想とはかなり違う音楽ではあったが、楽しむ事ができた。そして自分の使命に、少し希望が持てた。
――― あの人たちと……特に、あのビウエラらしき楽器奏者と話がしてみたい。
そう思った花だったが、残念ながらそれは叶わず、楽しい時間は過ぎていった。
そして楽師たちが退室した後、セレナに促されて、花もルーク達に挨拶をして退室した。
***
「セレナ? 部屋へ戻るのではないの?」
青鹿の間へとは違う廊下へ案内されて、花はセレナに尋ねた。
「はい。陛下がこちらへおいでになるようにと」
「陛下が?」
セレナの答えに驚きながらも、花は素直に案内された部屋へとセレナの先導で入る。
その部屋はどうやら楽師たちの控室となっていたようだった。
そうして短い時間ではあったが、楽師たちと話をする事ができ、シューラと言うビウエラのような楽器も少し触らせてもらい、シューラ奏者から手ほどきを受ける事ができたのだった。
また踊り子達も、とても優しい人ばかりであった。
花はルークの心遣いがとても嬉しかった。
**********
部屋に戻った花は、先程の楽師たちとのふれあいがとても嬉しくて、その前にあった事などすっかり忘れてご機嫌だった。
あまりにも嬉しかったので、花は『生まれてきたことを後悔させてやるリスト~ユシュタール版』に記入された人物達に、恩赦を与えていた。
リストはポイント制で、ポイントがいっぱいになったら後悔発動になる。
そのポイントを減点していく。
ちなみに、このリストでポイントがいっぱいになったのは、今までには『特別版』に記されたルークだけなのだが、なぜか返り討ちにあっている気がする。
「何を書いているんだ?」
「どぎょ!!」
相変わらずの花の悲鳴にルークは笑う。
「もう! いきなり現れるのはやめて下さい!! やましい事が出来ないじゃないですか!!」
「……してたのか、やましい事を」
「何言ってるんですか!? してるわけないじゃないですか!! ハハハ」
「……まあ、いいが」
あまりにも白々しすぎる花の返答にルークは呆れながらも、流すことにした。
そんなルークに安心して、花は今日の事に改めてお礼を言った。
「あの、今日はありがとうございました!!」
「ん?」
「楽師達と会わせてくれて。すごく嬉しかったです!! シューラって楽器を今度持ってきてくれるんです!!」
シューラ奏者は、その場で花にシューラを献上してくれようとしたが、やはり弾き手に馴染んだ物を頂くのは申し訳なくて、花は固辞した。
結局、近いうちに新しいシューラを届けてくれる事になったのだ。
「そうか」
本当に嬉しそうに話す花に、ルークは優しく微笑んで答えた。
「ルーク、本当にありがとう」
再びお礼を言う花にルークはニヤリと笑う。
「言葉だけか?」
「え?」
「感謝は言葉だけなのか?」
「はい?」
「やはり、感謝は言葉だけでなく態度で示してほしいがな」
「な、何そんな三流の悪役みたいな事言ってるんですか!?」
慌てる花にルークは相変わらずニヤリと笑うだけだ。
それに花は腹を立てる。
でも実際、今日の事は本当に嬉しかった。使命の事だけでなく、楽器に、音楽に触れられたのだから。
それを考えれば、ルークには感謝してもしきれない。
「な……何をすればいいですか?」
「何をとは?」
ルークは益々意地悪そうな笑みを深めて聞く。
「感謝を態度に表すのにです!!」
「そうだな……ハナがしたいと思う事をしてくれればいい」
「ええ!?」
一番簡単なようで、一番難しい事を言われてしまった花は、驚きの声を上げた。
――― くそー!! デコピンとかしてやりたい!!
向かいにいるルークを睨んでそんな事を考えた花だったが、覚悟を決める。
そして――ルークの唇にあわただしいキスをした。
それから花はルークに顔を向けることなく「もう、寝ます!!」と宣言して、掛け布に包まった。
ルークは真っ赤になった花を、楽しそうに、そして愛しそうに見ていた。
――― いつか絶対ルークに、三回まわってワン! って言わせてやる!!
花は小さな復讐を決意して、眠りに落ちたのだった。