22.長いものには巻かれろ。
「あ、すみません」
花は慌てて伸ばした手を引いた。
「いえ、こちらこそ」
同じように手を引いて微笑んだ男性を見て、花は頬を染めた。
――― ストライクど真ん中!! すごい好みの顔!!
その男性は、燃えるような赤い髪で眉は少しつり上がっているのに対し、それを和らげるかのように目尻の下がった翡翠色の瞳をしていた。
つり眉、垂れ目が好みの花は心の中でガッツポーズをした。
そんな花の心の中での称賛にはもちろん気付かず、男性は先程二人が同時に伸ばした手の先にあった本を取り出し、差し出した。
「はい、どうぞ」
――― こ、このシチュエーション!! これは、まさに王道!!
花は王立図書館にいた。
数日前にジャスティンに王宮を案内してもらった時から、ずっと気になっていた場所だ。
この王立図書館は王宮の中にあるのだが、紹介状があれば誰でも立ち入ることができる為、花の警護の関係上、近づく事が出来なかった。
読みたい本があれば、セレナかエレーンにお願いすれば適当に見繕って持って来てくれるので不自由はない。だが、本好きの花としてはどうしても一度、実際に図書館を見てみたかったのだ。
それで、ルークに我が儘を言ってしまった。
ルークは今までこちらの理不尽な要求に文句も言わず、飲んでくれるだけだった花からの初めての我が儘を許した。
そして花は今、侍女服を着て侍女に扮しているのだ。
護衛もすべて利用者のような格好をして、さりげなくついている。
これはゆっくり見て回りたいと言う花の意向を受けて、用意してくれたルークの心遣いだった。堂々と大勢の護衛を付けた方が簡単だと言うのに。
花には知らせていなかったが、何度か花を狙って侵入者が青鹿の間に現れていた。別に花の命を狙った者に限ったわけではない。花を攫えば、マグノリア帝国皇帝との交渉の切り札にできる。
花への皇帝の寵愛ぶりが伝わるごとに、そんな思惑を持った者たちも増えていた。
「いえ、私は今度で構いませんから、お先にどうぞ」
そう言って遠慮した花に、男性は心配そうに訊いた。
「でも、それでは君が主人に怒られるんじゃないか?」
男性は花が、仕える主人の為に本を借りに来たと思ったようだ。
「いえ……あの、これは……自分の為についでに……」
しどろもどろに花は答えた。
いつの間にか一般客に扮したカイルが、本を選んでいるかのようにして傍に立っている。男の向こうには他の護衛もいる。
それに男は気付かないまま、花に微笑んで聞いた。
「セルショナードに興味があるの?」
本はセルショナードについて書かれたものだ。
「あの……海がとても綺麗だと聞いて……いつか行ってみたいと思って……」
実際はこれから戦争になるかもしれない国の事を知りたかったのだが、そんな事は言えない。
「そうなの? 嬉しいな。セルショナードはとても綺麗な所だから是非、遊びにおいでよ。歓迎するよ」
その言葉に花は驚く。
「セルショナードの方なんですか?」
「そう。だからこの本は君に譲るよ。ただ単に、俺たちの国がどんな風に書かれているのか気になっただけだから」
男はそう言うと、本を花に押しつけるように渡した。
思わず受け取った花に、男はまた微笑むと「じゃあね」と言って去って行った。
花はその姿を見送り、手元の本に視線を落とした。
――― 使者の人だったのかな? それにしては、くだけた態度だったから、従者の人かな?
そう思った花だった。
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「殿下、ご出立の準備が整いました」
「ザック、ここではリコだ」
「はっ! 申し訳ございません」
ザックの慇懃な態度に、リコは苦笑する。
「俺はここではお前の従者だ。マグノリアを出るまでは気を付けなければ……ザック様」
最後の方は自分にも言い聞かせるように言ったリコは、出て来たばかりの図書館に視線を向けた。
「護衛が五人に、更に隠れた術者が二人……ずいぶん過保護だな」
そう呟くと、燃えるような赤い髪に翡翠色の瞳をした男、リコはその場を立ち去った。
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――― あれ? レナード?
その後、他の本を物色していた花は、少し先にレナードがいる事に気がついた。
「レナード?」
図書館内の為、少し落とした声でレナードに呼び掛ける。
レナードはそれに気付き、花の方を振り向いて微笑んだ。それを見てレナードの方に近づいていた花は足を止めた。
「すみません。間違えました」
花の言葉に、レナードは面白そうに微笑んで言葉を発した。
「よくわかりましたね?」
「はい。レナードではありませんでした。間違えてごめんなさい。さようなら」
そう言って、踵を返した花だった。
『君子危うきに近寄らず』今が実行の時だ!
が、腕を掴まれてしまった。渋々、花はレナードのそっくりさんに向き直る。
護衛が現れないのは、危険人物ではないからだろう。
――― でも、すっごい危険なオーラが出てる!!
心の中で自分に警告を発するが、最早どうしようもないので、挨拶をすることにした。
「はじめまして。こんにちは」
一応侍女に扮しているので名乗らなかった。
すると、レナードのそっくりさんが爽やかに微笑んだ。
――― こんなにドス黒い爽やか笑顔を見たのは初めてだ……。
そう思った花だったが、その後の男の言葉に納得した。
「始めまして、侍女様。私はこの国の宰相を務めております、ディアン・ユースと申します。以後、お見知りおきを」
――― うわ! これが噂の宰相さんだったか! 以後、お見知りおきしたくない!! この場でこの縁、ぶち切りたい!!
花の本能が、これまでにないほど告げているのだ。
『この男、第一級危険人物なり』と。
それでも花は、かき集められるだけの猫をかき集めて、ニッコリ微笑んだ。
「ユース……と言う事は、やはり近衛隊長のレナードとご兄弟ですか?」
「いいえ。まったく関係ありません。赤の他人です」
また爽やかに微笑んで否定するディアンに、花も微笑み返す。
「まあ、そうでしたか。それは大変失礼致しました」
――― って、んなわけあるかー!! その、寸分違わない顔かたち、名字まで一緒で赤の他人の訳がない!!
心の中で激しくツッコミを入れた花だったが、逆らってはいけないオーラに素直に従うことにした。
『長いものには巻かれろ』素敵な言葉です。