21.君子危うきに近寄らず。
――― ぎゃあああああああああ!!
「ハナ……朝から煩い」
「だから声は出していないじゃないですか!!」
「今度はどうした?」
ルークは花の抗議を相変わらず流して尋ねた。
「ルーク! 昨日、私にキスしましたね!?」
「……今更?」
「今更じゃありません! 私の大事なファーストキスを!!」
「ハナ……お前、二十歳だったよな?」
「それが何か!?」
「遅くないか?」
ユシュタールの成人は十八歳からだ。
「いいじゃないですか!! 初めてに年齢は関係ないんです!! その時が、その人にあった適齢期なんです!!」
「では、昨日がお前の適齢期だったんだな」
「……あれ?」
ルークは笑いをこらえながら、花に回していた腕に力を込めた。
「それでは、今からもう少し先にいこうか?」
「な、何を言ってるんですか!? 先って何ですか!?」
顔を真っ赤にした花に構わず、キスをしようとしたルークだったが――
グゴゴオオオオ!!
「………」
「今のは?」
「お腹がすいたみたいです」
「腹の音か?」
「そうみたいです」
「……お前は、腹にも獣を飼っているのか」
「『腹にも』ってどういう事ですか!? 『も』って!!」
ルークは笑いながら起き上がると、花に手を差し出した。花は怒りながらも迷わずその手を取った。
自分の力の秘密を知っても花の態度は変わらない。それがルークには嬉しかった。
**********
「そういえば、まだ会った事ないのですが。宰相さんと」
「……」
二人は青鹿の間でそのまま、朝食を食べていた。
花の何気ない一言に、ルークは不自然に無言で食事を続けているが、花はそれに気付かない。
「確か……ディアンさんでしたっけ?」
ガシャン!!
「も……申し訳ありません!!」
お茶の用意をしていたエレーンが、食器を取り落としてしまったようだ。
「いいのよ。エレーンは大丈夫?」
花の言葉にエレーンはブンブンと首を縦に振るだけで、言葉が出ないようだ。
「?」
花は不思議に思ったがルークに視線を戻し、もう一度ルークに訊いた。
「陛下、宰相のディアンさんは、どのような方ですか?」
最近はみんなの前でも神密度を表す為に、ルークへの言葉を少し砕けたものにしている。
「……」
「陛下?」
いつまでも無言のルークに訝しげに問いかける。
するとルークは軽くため息を吐いて口を開いた。
「ハナ……世の中には知らない方が、幸せと言う事もある」
「――わかりました」
ルークの言葉に疑問を挟むのはやめた。
『君子危うきに近寄らず』素敵な言葉だ。
**********
転移魔法でルークが執務室に着いたとほぼ同時に、扉がノックされレナードが入ってくる。
普段、転移魔法を行える臣下たちは一旦扉の外に転移して、ノックをした後に部屋に入るようにしているからだ。緊急時は例外だが。
「おはようございます、陛下」
レナードの顔を見た途端、ルークは手元にあった文鎮を投げつけた。
慌ててそれを受け止めたレナードは驚きの声を上げた。
「急に何するんだ! ルーク!!」
部屋に二人きりの為、というより、驚きの為に敬語が抜けている。
「すまん、わざとだ」
「お前……」
謝罪になってない謝罪の言葉に、レナードは言葉を失う。
レナードは一瞬、ルークが昨日の怒りを引きずっているのかとも思ったが、どうやら違うらしい。
――― それどころか、これは……。
ルークから溢れだす魔力に驚く。
人の持つ魔力を見る事が出来るのも、限られた者たちだけだ。
レナードはルークからこれほどの魔力を感じる事も初めてだったが、何よりも魔力の質が違う事に気付いた。何が違うのか、と問われても答えられはしないが。
「ルーク、昨晩、ハナと何かあったのか?」
それしか原因が考えられず、訊いたレナードに今度は応接テーブルが飛んできた。
もちろん、魔力で飛ばしたのだ。
「お前! 魔力の無駄使いをするな!! というか、打ちどころ悪ければ死ぬだろうが!!」
応接テーブルは大理石でできている。
「心配するな、レナード。俺は今、最高に気分がいい。だから、一思いに殺してやる」
「殺す気なのかよ!?」
レナードが本気で抗議の声を上げる。と、そこへ――。
「そうですね。レナードの為にも一思いに殺っちゃってあげて下さい」
突然割り込んだ第三者の声に、二人の動きは止まる。
「ディアン、いつの間に?」
「ノックはしましたよ」
ルークの少し引きつったような声の問いに、第三者である宰相のディアンは答えた。
「昨晩は、随分『おいた』をしてくれたみたいですね?」
「……」
ディアンの微笑みを含んだ声を聞いた二人はその場に固まった。
「いっその事、死んでいれば良かったものを、中途半端に生き残って――なんで助けたんですか? レナード」
「俺かよ!!」
理不尽すぎるディアンの言葉に、レナードが堪らず声を上げる。
「『死人に口なし』と言うではないですか。生きている方が、事後処理が大変なんですから。あんな、居ても居なくても良いような、いや、寧ろ、いない方が世の為、人の為になった馬鹿を助けるなんて、バカですか?」
と、文句を言うディアンに、レナードは「泣いてもいいかな?」と呟いた。ルークはと言えば、『黙して語らず』の姿勢を貫いた。
今日はレナードの厄日らしい。
ちなみに、ルークの暴挙の原因は花に関係があるに違いないと確信していたレナードは、後ほど、花に訊いたのだが「ごめんなさい! 悪気はなかったんです!!」と、涙目で謝られ、逃げ去られたのであった。
だが、レナードにとって『知らない方が、幸せ』であるのは間違いないので、これでよかったのだろう。