20.夢見る乙女と黒い妖精。
「ハナ、泣くな」
そう言ってルークは花を抱き寄せた。
声を出さずに涙を流す花をこれ以上見ていたくなくて、自分の腕の中に隠してしまったのだ。
すると花はルークの背中に腕をまわして、ギュッと抱きついてきた。
愛しい。
その感覚にルークは自覚した。
――― ああ、俺はハナが好きなんだな。
それはあまりにも簡単にルークの胸の中にストンと落ちた。
ルークはそっと花を胸から離し、涙に濡れる顔を見下ろした。
「ルーク?」
自覚してしまうと花の声までもが愛しい。思わずその声をすくい取るかのように、花の唇に口づける。
「ルーク?」
花は少し驚いたように、首を傾げた。
――― ああ! もう、なんだ!? この可愛い生き物は!! 珍獣だろうが、猛獣だろうが構うもんか!
そっと花を抱き寄せたまま寝台に横たえ、そのまま覆いかぶさるように上になる。それからルークは花の額に、涙に濡れた両瞼に、頬に、軽い口づけを落としていく。
そして、唇にも軽く落とした後、舌で、花の唇の輪郭をなぞる。
と――
( ぎょわ! )
花の心の悲鳴が聞こえた。
***
花は何度もキスを落としていくルークを、ぼんやりと見つめていたが、唇にキスされ、ルークの舌を唇に感じた瞬間、我に返って思わず心の中で悲鳴を上げていた。
――― ぎょわ!
と、同時にルークの動きが止まる。
――― ぎゃあああああ! 何をなさるでござるか!? この御仁は!!
もはや何語かわからない言葉で、なおも心の悲鳴をあげる花に、一時停止したままだったルークが低く声を出して笑い始めた。
それは徐々に大きくなり、本当に楽しそうだったので花は驚いた。
――― ルークの笑い声、初めて聞いたかも。
笑いの止まったルークは少し考えた後、もう一度軽く花の唇にキスをすると、上半身を起こした。
そしていつものニヤリとした笑いをして花を見下ろす。
「ハナ、俺の秘密を一つ教えてやる」
「聞きたくないです」
すかさず答える花だった。花の本能は聞かない方がいいと告げている。
「なぜ?」
相変わらずの予想外の返答に、ルークは笑いながら聞き返す。女とは秘密が大好きなはずなのに。
「悪人の秘密を知った人物は、たいてい消されるんです。その場で殺されるか、泳がされて殺されるか。どっちですか?」
「知るか!」
花の言葉に思わず反応してしまったルークは軽く息を吐き出して、サイドチェストの上にのっている水差しから水を注ぎ、一気に飲み干した。
そして新たなコップに水を注ぎ、花に差し出す。花が水を飲んだ後、コップを受け取り、また話を始めた。
「俺は、人が考えている事が読める」
「え?」
驚いて聞き返した花を無視して続ける。
「別に、常にというわけではない。ただ俺が……」
「ウソでしょー!!」
ルークの声にかぶさるように、花が悲鳴を上げた。
「じゃあ、じゃあ、あんなことやそんなこと、心の中でこっそり、ルークに五寸釘打ったり、コサックダンス踊らせたり、レナードとのこと想像したりしたの全部ばれてるんですか!?」
「……」
花の告白? にルークは無言を通していたが、なぜだろう、静かな怒りを感じる。
「色々と、問いただしたい事はあるが……特にレナード云々というのは……だが、それは後だ。ハナ、俺は人に触れると心が読める」
やはり秘密を知ると殺される、花はそう思いながらも、ルークの話を聞いた。
「触れると?」
「ああ。だが、いつも読んでいるわけじゃない。普段は意識して読まないようにしてる。たまに必要だと思う時だけだ」
「じゃあ、初めて会った時、トイレまでエスコートしてくれたのって……」
「ああ、お前の心を読む為だ」
「やっぱり、あの時笑ってたんだ!!」
花は恥ずかしさのあまり、頭を抱えた。それを見てルークは笑いを漏らした。
「だが、あれでお前は殺されずにすんだんだぞ? 怪しい事この上ないお前が、部屋まで与えられるのは、おかしいとは思わなかったか?」
「そりゃ、思いましたけど……」
「まあ、それでだ。俺は滅多な事ではこの力は使わない。人の心なんて読めない方がいいに決まっているからな」
ルークのその言葉には深く頷いた。人の心の中なんて知らない方がいい。
「だがな、読みたくなくても、読んでしまう時がある」
「そうなんですか?」
「ああ――相手が、あまりにも強い思いを抱いている時だ」
「強い思い?」
「大抵は欲望だな」
「欲望……」
出世したい、権力がほしい、名誉がほしい……人の欲望は際限がない。そんな思い程、強く出るものだ。
ルークは読みたくないものほど、読んでしまう。知ってしまう。
人の笑顔の下に隠された、反吐がでるほどの欲望を。ルークが皇帝であるが故に、余計に向けられてしまう感情。
女に触れれば、美しく艶めいた微笑みの下のドロドロとした欲望が見える。
皇太子に就いた頃にはまだ力の制御が出来ずにひどく苦しめられ、人に触れられるのが耐えられなくなった。当時はまだ力の制御もできずに、振り回されもした。制御できるようになっても、相手の強い思いは勝手に流れ込んでくる。
それがルークの孤独を強める結果になった。
「この力の事を知っているのは、レナードとジャスティン、それから、宰相のディアンだけだ」
「そうですか……」
「ああ。変に警戒されても困るし、これ以上化け物扱いされてもな……」
「ルーク……」
自嘲めいたルークの言葉に花は言葉を失う。
――― これ以上って……ルークは化け物なんかじゃないのに!!
自分勝手で馬鹿な貴族達に怒りが募る。
そんな花を気遣ってか、ただ単に面白がってか、ルークは言葉を続ける。
「だが、お前は違ったな」
「え?」
「お前の強い思い……というか、あのダダ漏れの思い……あまりにも突拍子がなくて面白い」
その言葉に花は真っ赤になった。
「違います! あれは私じゃなくて、頭の中に住んでいる黒い妖精の仕業なんです!」
「――黒い妖精……」
呆れたように呟いたルークだったが、そのまま話を続けた。
「では、その妖精に言っておけ」
「何をですか?」
「俺に触れる時は、平常心を保て、と」
「何ですか!? その熱血格闘マンガのようなセリフは!!」
「マンガ?」
「いいです。気にしないでください」
「……とにかく、心を読まれたくないなら、別のどうでもいい事でも考えておけ。それが無理なら、あまり俺には触れるな。俺も気を付ける」
そう告げた時の、ルークの表情があまりにも切なくて、花は胸を締め付けられたように感じた。
しかし、その後に続いた言葉にパニックになる。
「で、レナード云々というのは……」
「ぎゃあああ! 違うんです! ほんの出来心なんです!! 別に腐女子じゃないんです! ただ、夢見る乙女なら、美形男子二人が常に一緒にいる所をみたら、誰だって想像しちゃうんです!! ごめんなさい!!」
「……先ほどからお前の言っていることは、よくわからん……わかりたくもないが……碌でもないと言う事だけは、よくわかった」
「う!」
言葉に詰まった花を見てルークは楽しそうに笑うと、「もう寝るぞ」と言って横になった。
それを恨めしそうに見ていた花だったが、しばらくして横になる。
そうして花はまたルークに抱きつく。
ルークは驚いた。あの話をしても尚、花が自分に触れてくるとは思わなかった。
「ハナ……」
呼びかけたルークの言葉に花は寝息で答えた。
「またか……」
今回は一分もかからなかった。
ルークは花の歌に心身ともに癒されたのを感じていた。
しかし、それは気付くきっかけに過ぎなかった。
魔力がいつ枯渇するかもわからない事に怯え、強すぎる力ゆえに孤独を感じていたルークの心を、花はその存在をもって癒してくれていた。
いきなり暖炉の中に現れた珍妙な格好をした娘が、これ程までにルークの心を占めることになるとは思いもよらなかった。
まだ、たったの八日だと言うのに。この先、どれほどルークの心を癒し、苦しめるのだろう。
もはや花がいなければ生きていけない。そんな愚かな言葉が飛び出してきそうになる自分に、ルークは苦笑した。
そして、ルークは何十年かぶりになるユシュタルへの祈りを奉げた。
ユシュタルが花をルークの許へ遣わしてくれたのかはわからない。ただ花がこの世界に、ルークの許に存在することに、感謝を込めて。心から。