18.嘘と噂と真実。
「なあ、ルーク。お前、最近の貴族達の退屈凌ぎの話題を知っているか?」
レナードは執務机に座って書類にサインをしているルークに話しかけた。
「知らん」
ルークの返事はそっけない。
「ハナが大臣や貴族、ご令嬢達と面会を始めた事でのハナの評判だ」
「ほう?」
どうやら少し興味をもったらしいルークに、レナードは話を続けた。
「なんでも、ハナは『どこぞの市井の娘で、たまたま陛下の目にとまった幸運な娘。従順で微笑む事しか能のない、御し易い娘。』だそうだ」
「ッ!」
レナードから聞いた花の評判に、ルークは笑いを堪える。
「とんだ猫かぶりだな」
思わず呟いたその言葉に、レナードも笑う。
「皇帝陛下の溺愛ぶりから、ハナを取り込んでしまえば権力はほしいまま、と今のうちにハナの後見につく為に皆、画策しているらしいな」
「ああ」
実際、ルークの元にはすでにその旨の申し出がいくつか来ていた。
「まあ、ハナがお前の子を産めば、次代の皇帝陛下の後見になれるんだから当然だろうが……。だが、一部の貴族やその娘たちは、ハナなど取るに足りないと、己がハナに成り代わろうと奸計をめぐらせているらしいぞ」
「……馬鹿ばかりだな」
ルークは溜息を吐いて握っていたペンを机へ放った。
「まあな、だが馬鹿だからこそ、何をしでかすかわからん。俺も気を付けるが、お前も十分にハナの事は気を付けてやれよ」
レナードの忠告にルークは「ああ」と答えた。
「しかし、お前がハナを『青鹿の間』に入れた時には心配したが……無用だったな。あれほど賢い娘とは思わなかった。ルーク、お前は知ってて入れたのか?」
「……いや、まさかあれ程とは思わなかったな。ただ、面白いと思っただけだ」
「お前……」
ルークの言葉にレナードは呆れた。
「だが、拾い物だった」
本心から出たであろうルークの言葉にレナードは大きく頷いた。
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花が、ユシュタールに届けられて、八日が過ぎた。
「ハナ様、陛下は今日はかなり遅くなられるそうなので、先にお休みになるように、との事でございます」
セレナがルークからの言付けを伝えに来た侍従に応対した後、花に告げた。
花は弦楽器なら作れるのではないかと思案しており、まずは弦の調達の為にと、ユシュタールの動物図鑑を読んでいた。
実際、花はギターなら多少だが弾く事が出来る。
「そう」
心ここにあらず、といったていで返事をしたが、次のセレナの言葉に意識を向けた。
「なんでも、セルショナードから非公式の使者が来ているそうですよ」
「……セルショナード」
花は呟いた。
花は大臣や貴族達と面会しても、ほとんど話さずニコニコと微笑んでいるだけなので、始めは花に世辞を言ったりと、機嫌を取るのに必死になっていた者達も、そのうち花の存在を忘れているかのように、その場にいる者達で話し始めるのだった。
それを聞きながら花は、たまに興味深そうに相槌を打ったり驚いたりする。
すると、聞いてくれていると思って気を良くするのか、話している者達は饒舌になる。
基本、貴族達は自分に関わりのない噂話が大好きだ。まあ、それは貴族に限ったことではないが。
そして、その会話の中でよく飛び交っているのが、セルショナードという国の名だ。
セルショナードはマグノリアの北東に位置する国で、肥沃な大地に作物が良く育ち、海に面している為、海産物も豊富でとても豊かな大国らしい。
そのセルショナードの動向が最近『きな臭い』というのだ。
その国からの非公式の使者というのは、歓迎できる話ではなさそうだった。
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ルークは疲れていた。
セルショナードの使者との会談は芳しいものではなかった。だが、非公式とはいえ、一国の使者をもて成さないわけにはいかない。そうして非公式の晩餐が開かれ、やっと先ほど解放され自室に戻って来たところだった。
そこへ、ノックの音が聞こえた。
扉の外の護衛が来訪者の名を告げる。
「ハルンベルツ侯爵がお越しです」
その名前にルークはうんざりしたが、今回の会談の立役者である侯爵を追い返すわけにもいかず、通すように告げた。
侯爵が入って来た途端、入室を許可したことを後悔した。
侯爵は娘を三人伴って現れたのだ。
以前から縁談を勧めて来ていたのだが、断り続けても懲りもせず、遂には三人同時にと言いだしたのだ。三人同時に娶って気に入った者を正妃にすればいい、と。
その申し出に虫唾が走ったのは言うまでもない。
ルークは憮然として席も勧めずにいると、ハルンベルツはその場で立礼し、許してもいないのに話を始めた。
「陛下、本日は誠にお疲れさまでした。此度の会談は、思わしいものとはなりませんでしたが、何卒、お気落ちなされぬよう申し上げます。この先、セルショナードと一戦交えることになりましても、このマグノリア帝国は盤石の如く、安泰でありましょう」
つらつらと述べるハルンベルツの言葉に、ルークの怒りは募った。
――― こいつは、何を根拠にこんなに驕っているのだ?
ハルンベルツの家系は、現在の当主であるジョージ・ハルンベルツの曾祖父が四代前の皇帝の実弟という事から始まったと言うだけの、今はただの臣下に過ぎない。しかも、現当主のジョージはあまり魔力が強くなく、国政にも何も役に立たず、今回たまたまセルショナードの使者がハルンベルツの妻と縁続きだったという事で、仲介を頼まれたにすぎないのだ。
恐らくこの先、戦になろうとなるまいと、役に立つ事など一つもないだろうに、どこからこの自信に溢れた発言が出てくるのか。
馬鹿とは恐ろしい生き物である。
そして、更に馬鹿な娘達の発言によって、ルークの怒りは頂点に達した。
「陛下、そろそろお戯れはおやめになって下さい。あのような下賤の娘を陛下のお側におくものではありませんわ」
「そうですわ、陛下。あのような愚鈍な娘、きっとすぐに陛下を退屈させてしまいますわ」
「陛下、私なら陛下を退屈させませんわ。寝所でもきっと……」
それを笑って聞いていたハルンベルツが口を開いた。
「陛下、どの娘も立派な教育を受けており、何より、高貴な血を受け継いでおります。陛下のご正妃となり、陛下の御子を産むのに申し分のない娘たちです。この先の陛下の愁いを晴らす為ならば、命を賭す覚悟もあるでしょう。何卒、ご考慮くださるようお願い申し上げます」
ハルンベルツの勿体ぶった馬鹿馬鹿しすぎる言葉に、ルークは一言返した。
「なら、死ね」
「え?」
ハルンベルツも娘達も驚いて聞き返す。
「今すぐ、愁いを晴らす為に死ね」
「へ、陛下……」
ルークの冷酷な言葉に、慌ててハルンベルツが縋るような声を漏らす。そして、娘の一人が、媚びるような甘えた声を出し、一歩前へ出た。
「陛下……」
途端――
「寄るな」
ルークの声と共に、四人は壁際まではね飛ばされた。そして尚、何かに押し潰される様に壁に張り付いたままだ。
娘の一人がその圧力に耐えられず血を吐き出す。
ハルンベルツは忘れていたのだ。皇帝が冷酷で、無慈悲だという事を。
たった十日前に伯爵の娘が皇帝の不興を買って右腕を失ったばかりだというのに。
なぜ、忘れてしまっていたのか。
更にルークの力が強まり、四人共が血を吐いた。最初に血を吐いた娘はもはや気を失っている。
「ルーク!!」
切羽詰まった、近衛隊長の声がした。
レナードはルークの攻撃魔法の気配を感じて、急遽、転移魔法で駆け付けたのだ。
「ルーク! やめろ!!」
ルークの部屋に転移した途端、目にした光景にレナードは慌てて止めに入るが、ルークは力を弛めようとしない。
仕方なくレナードは剣を抜き、レナードの攻撃魔法でルークの魔法を緩衝する。
それによってルークの魔法は解かれ、四人は圧力から解放された。しかし、四人はぐったりしたまま動かない。息は辛うじてしているようだが。
「ルーク……」
何があったのか、レナードにはだいたいの想像がついたが、ルークに何と声をかければいいのかわからなかった。
するとルークは無言で、バスルームへと消えた。
レナードは詰めていた息を吐き出し、急いで医師の手配と、四人を運ぶ手配をする為に動いた。