16.賄賂は慎重に。
――― 温かい。
花は、ぼんやりした頭で思った。
――― 温かくて、硬い……ん? 硬い??
目を開けた花が見たのは、薄手の布に包まれた硬い胸板。恐る恐る、視線を上へあげていくと……超絶美形の寝顔。
――― ぎゃあああああああ!!
心の中で絶叫した。
別に昨晩、言われた事を気にしたわけではないけど。
すると、ルークが顔を顰めて目を開けた。
「朝から、うるさい」
「私、何も言ってないじゃないですか!? それより、なんですか? このベタな展開は!?」
そう言って離れようとした花だったが、ルークが回していた腕に力を込めた為、逃れられない。
「ちょっ! 何してるんですか!? 放して下さい!!」
「いやだ。俺はハナの嫌がる事をするのが好きらしい」
「何ですか!? その変態発言は!!」
一生懸命、抜けだそうともがくのだが、ルークの腕はびくともしない。
――― くそー! この変態!! ボケ! ナス! カボチャ!!
ずいぶん低俗な悪態を心の中で吐いていると、ルークの笑っているような気配がした。それと同時に、腕の力が緩む。
――― よし! 今がチャンス!!
と、なんとか体を反転させて立ち上がろうとした。
途端に再び腕に力が込められ、今度は後ろから抱きしめられる形になり、花は再び悪態を吐く。
しばらくして、ルークが起き上がる気配がした。
――― あ、やっと起きる?
花が安堵した瞬間――
「ぎゃあああああああ!!」
今度は声を出して叫んだ。
「な・な・な・何を……何で耳を噛むんですか!?」
左耳を手で押さえた花の顔は真っ赤だ。
「お前……もう少し、色気のある悲鳴は出せないのか?」
花の質問は無視して、ルークは呆れたように呟いた。
「ちゃんと必要な時は出せます!! というか、そもそも悲鳴に色気は必要ありません!!」
「必要な時とは、どんな時だ?」
「男性を利用する時です」
色気があるかどうかは知らないが、ちょっと可愛く悲鳴を上げて「きゃ! こわ~い」「きゃあ! 重くて持てな~い」など言えば、大抵の男性は動いてくれるらしい。
クラスメイトがよくそう言っていたが、残念ながら花が試した事はないのだが。
「……」
ルークはなぜか気の毒そうな視線を花に向けた。それから起き上がると、長椅子まで行き、掛けてあった服を着ながら言った。
「どうやら護衛たちも来たようだし、俺はもう行くが、お前はこのまましばらくこの部屋から出るなよ」
「なぜですか?」
「先ほどのお前の悲鳴を聞いて、朝から激しく励んでいると思っているだろうから、すぐに出て行ったらガッカリさせるだろう?」
「何を励んでいるんですか!? なんでガッカリするんですか!?」
花が慌てて問い返すと、ルークはニヤリと笑い――
「結構です!」
「まだ、何も言ってないだろうが」
「結構です!」
花は畳みかけるようにルークの言葉を拒否する。ルークは残念そうな、しかし笑いを含んだ声で「じゃあ、またな」と言って消えた。
本当に、その場で消えたのだ。
――― 転移魔法というやつかな?
花はそう思ったが、もはやそれくらいでは驚かなかった。
そしてルークの言葉に腹を立てながらも、素直に従って暫く寝室で過ごした。
その間、寝台横のサイドチェストにしまっていた『生まれてきた事を後悔させてやるリスト~ユシュタール版』を取り出し、新たな一枚の紙に『特別版』と記して大きくルークの名前を記入したのだった。
**********
朝食を食べていると、青鹿の扉がノックされた。今日の護衛もジョシュとカイルだ。そして、今日はカイルが扉の内側担当らしく、応対をする。そして花に尋ねた。
「ハナ様、どうやら贈り物が届いているようですが、お受け取りになられますか?」
「贈り物?……どなたから?」
「ハルンベルツ侯爵からだそうです。」
――― ハルンベルツ……ハルンベルツ……ああ! あの『チビのチョビ髭侯爵』か。
思い当たった花は暫く逡巡した後、頷いた。
「わかりました。お受け取りして下さい」
そうして、それを誰も使っていない侍女用の小部屋の一つに置くように指示した。
開封はしない。
それからほとんどひっきりなしに、贈り物が届くようになった。まあ要するに、貢物という賄賂だ。
相変わらず開封はしないままセレナとエレーンにカードが付いていても念の為、誰からかわかるようにメモを貼ってくれるように頼む。
送り主のわからない贈り物だけは受け取らないように指示する。たまに届くようだから恐ろしい。
贈り物を置いた部屋がいっぱいになる頃、ルークが青鹿の間に来た。夜は遅くなるので、昼の食事を共にしようと伝言を受けていたので、慌てることなく迎える。
花はルークが入って来た途端、朝のやり取りを思い出し、仕返しをしてやろうとルークに抱きついた。
「陛下! 待ち遠しかったです!!」
一瞬、ギョッと強張ったルークに「やった!」と喜んだ花だったが、気を取り直したのか、すぐにルークが抱き返してきた。急いで離れるつもりだったのに強く抱きしめられ逃げられずにいると、ルークが低く、甘い声で囁くように言う。
「余も、そなたに早く会いたかったぞ」
そして花の顎を持ち上げ顔を近づけてくる。
――― え? え? え!? ちょ、ちょっと待って!! ごめんなさい、ごめんなさい!!
花は心の中で思い切り悲鳴を上げ涙ぐむが、傍から見ると、嬉しそうに目を潤ませているようにしか見えない。
花の行動に、周囲は一瞬青ざめたが、その後の二人を「信じられない!」と奇跡が起こったかのように、一心に見つめている。
それもそのはず、あの冷酷で無慈悲な皇帝が、花を優しく見つめ抱きしめているのだから。
青鹿の扉は未だに閉じられておらず、この様子は外にいた後宮に仕える者たちも見ることになった。そして、その場面を見た者達によって、瞬く間に王宮に広まる事になるのだが。
花は、今それどころではない。
明らかに、ルークは面白がっている。優しい顔、甘い声にも花は騙されない。とにかく、周りにばれないように逃げ出さなければと思うのだが、ルークの顔は益々近づいてくる。
――― ぎゃああああ!!
覚悟を決め、花は目をギュッと閉じた。
しかし、ルークは花の頬に軽くキスを落としただけだった。
――― あれ?……助かった?
正直に言えばキスくらいは構わないのだが、それでもやっぱりファーストキスにはそれなりの夢を抱いている、というか、この衆人環視の前では嫌だ。
考えてみれば、頬にキスをされるのも初めてだったが、朝に耳を噛まれるという体験をしている為か、花はすっかり忘れていた。
そして、少しガッカリしているのも事実で……と、ルークの方を見ると、すごい意地悪そうな顔をして笑っていた。
――― くそー! またやられた!!
悔しがる花だった。
そして、一部始終を見ていたレナードは、花に「諦めろ」といった風に首を振った。
その後、食事をしながら花はルークに話を切り出した。
「今日は、朝から皆様にたくさんの贈り物を頂いたんです」
「ああ、聞いている」
「とても、嬉しいんですが、本当に頂いてもよろしいんでしょうか?」
「構わないが……心配なら、どんなものが届いているのか、後で余も見てみよう」
「まあ、ありがとうございます」
そうして会話は進んでいるのだが、要するに贈り物に小細工がされていないのか調べて欲しいと、花はルークに頼んでいるのだ。
ジョシュやカイルは魔力が強いので、贈り物を受け取った時点である程度の安全は確認できているのだが、二人の魔力を上回る者が巧妙に細工をすればわからない。その為、念には念を入れて、ルークにお願いしたのだ。
「贈り主の名前はわかっているんだから、ここまで念を入れる必要はあるか?」
贈り物を納めた小部屋で、レナードと三人になった時にルークは訊いた。
「私が悪い事をするなら、人の名前を騙ってしますから。特に嫌いな相手の名前で」
そう言ってニッコリ笑った花に、満足そうにルークもニヤリと笑い返した。
やはりというか、いくつか、魔力による呪いがかかった贈り物が見つかった。ルークの魔力で本当の送り主もわかり、それによって王宮内の人間相関図がよくわかる事になった。
そして、この作業はその後も続く事になるのであった。
**********
余談だが、受け取った贈り物はルークに許可をもらい、ドレスや宝石などの品物は商人に換金してもらって、マグノリアにいくつかあると言う孤児院に匿名で寄付をする手配をした。
お菓子などの食べ物は、そのまま城下にある孤児院に配ったり、日持ちのしないものは王宮の下働きの者達へ配ったりした。
お菓子配りは送り主の名前で行った為、後日、その送り主から花に「いやあ、いきなりお礼を言われて参りましたよ」と嫌味だったり、素直に驚きだったりを伝えてきたりしたので、花は「食べきれなくて……失礼だとは思ったのですが、せっかく頂いたのに捨ててしまうのも心苦しくて……」と心から申し訳なさそうに謝った後、ニッコリ微笑んだ。
それで大抵許され、その後も食べ物の贈り物は続く事になった。
ちなみに品物の方は、換金した事がばれないように、帝国内では流通させないようにしている。
そして贈ったものを身に付けてくれないと、嘆く者達に「陛下から頂いた物以外を私が身に付けるのを、陛下がお嫌いになるんです。でも素敵な物を頂いて、本当に嬉しく思っております。大事にしまっておりますので、お許し下さい」とこれまた申し訳なさそうに言った後ニッコリ微笑むので、身に付けてもらわなくても構わない、と贈り物が途絶える事はなかった。
そしてお菓子などを配る手配をしてくれているのは本当は花だと言う事が、いつの間にか広がり、また孤児院への寄付も、花であることがどこからともなく漏れ『皇帝陛下のご側室のハナ様』は民衆の間で人気を博すことになった。
寄付金の出所は謎のまま。